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「プレジデント」2003年12月29日号 
「社長が選んだわが社のMVP社員」 掲載

「平成・医療維新」第二回

気骨の医者魂、ここにあり!
地域医療
全国の医学生が憧れる異色の「村医者」
長野県南佐久郡南相木村国保直営診療所長
色平哲郎



長野県南相木(みなみあいき)村。
人口1300人の過疎の村で、ただ一人の医師、色平(いろひら)哲郎。
彼のもとには、全国から医学生、医療従事者、行政担当者、ジャーナリストらが日参
する。
色平が彼らを連れて行くのは村の元気なお年寄りの家。
そこで手作りの料理をご馳走になり、農作業を手伝い、機織りを教わり、
語り合いながらお年寄りと時間を共有する。
「医師として患者に接する以前に、まず人として人に接する。
医療はそのうえで初めて成り立つもの」。
人々を魅了する色平の地域医療の原点はそこにある。

色平は、東京大学の理Tに入ったものの、
「研究者か官僚か」という将来に疑問を感じ、大学三年のとき、海外へ放浪の旅に出
る。
帰国後に中退。
茨城のキャバレー、都内のパン工場、北海道の牧場などを渡り歩いた末、
京都大学医学部に入り直した。
文字通りの「異色の医者」である。

「日本にいると医者ほどエラそうな職種はない。
医者だけにはなりたくなかった。
でも、海外で難民支援の現場などを訪れて、
人様のお世話をして差し上げられる生き方の一つとして医者というものが浮かび上
がってきた」

関心を持ったのは「地域のお医者さん」。
卒業後、地域医療で有名な佐久総合病院に入り、
六年前に南相木村国保直営診療所長の初代の診療所長に就任した。

長野県の田中康夫知事のブレーンでもある。
県の「保健医療計画策定委員会」のメンバーとして、診療の合間を縫って、
中長期的な県の医療供給体制と医師教育のの在り方を討論した。

「いろいろな人生のぶつかりの体験」を経て自分の生き方を見つけた色平は、
現状の大学医学部のあり方に疑問を呈す。

「一八歳で決めるのは早すぎる。
社会に出て、どんなお医者さんになりたいのかイメージを持って、
もっと言うと、どういう人間として生きていきたいのかを突き詰めた上で医学部に入
るべきだ」。

医学生になってまずやるべきことは「ケアの現場に行くこと」。
現場に入って「病気と付き合う以前に、人間として人間の世話をすることを学ぶ。
自分が本音のところで、何を目指して生きていきたいのかということです」。

医学生たちは、「知恵や技を体現するお年寄り」とゆったりとした時間を過ごす中
で、
「弱者としてのご老人」のイメージは完全に覆される。
そして自分の「座標軸のなさ」を発見する。
「そこが面白いんだけど、そういうチャレンジを受けたことがない人は、逃げ回る
よ」。

色平のもとを訪れる医療従事者、エリート官僚たち……その多くがリピーターになる
という。
「色平塾」卒業生たちが自らの現場で職責を担いつつ、行動を起こしてくれること、
それが塾長の願いである。

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