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朝日新聞社「論座」ロッキングチェア(11月号)の連載より


第一回 「水」に酔わない医療

「水酔い」という言葉がある。長雨で畑が水浸しになり、
作物が根を張らず、病気が広がることをいう。

私が妻と三人の子どもと暮らす長野県南佐久郡南相木(みなみあいき)
村は、標高一〇〇〇メートル、高原野菜の産地である。
今年の夏、レタスが水に酔って結実しなかった。収穫量
は例年の半分以下。わが家の畑の馬鈴薯も腐った。相当
深刻な被害である。

が、一方で「雨が降ったら、カネが降る」とほくほく
顔の村人もいる。「競(せ)り」でマツタケの採取権を手にした
人たちだ。毎年、春先にどの山のマツタケを誰が採るか、
競りで決まる。長雨と、暖かい、ほどよい気候は菌類で
あるマツタケの成長を促すようだ。秋の訪れが、待ち遠
しくて仕方ないといった向きもある。

人口千三百。高齢化率は三五%。半世紀後の平均的な
日本列島の姿を先取りしたこの村では人々が厳しい自然
の循環を受け入れながら、したたかに暮らしている。 自
然と寄り添う「野生」が息づく。

そんな山の村へ、この夏も、都会から大勢の医学生、
看護学生が、都会生活ですり減らした感性に導かれるよ
うにして、やって来た。

九八年春、初代診療所長として村に赴任して間もなく、
ある大学の農村医学研究サークルから村での合宿実習を
希望する連絡が入った。 医学生たちは「地域医療」に関
心があると言う。しかし彼らの「地域」というセリフか
らはリアリティーが感じられなかった。なぜか。

概して医学生の頭は専門知識でコチコチ。フクザツで
言語化しにくい「世の中」のことを捨象し、単純化した
がる。利いたふうな抽象語を並べて「地域」だと思い込
んでいる。さらには患者さんを「タンパク質の塊」とみ
なし、医学の専門性によってのみ、解釈しようとする。
下手をすれば、自分の専門性を発揮できる患者さん以外
は「いない人」として切り捨てかねない。本末転倒も甚
だしい。

医学の幅より人間の生活の幅の方が、だんぜん広い。
村に住めばよくわかる。都会では保健・医療・福祉、縦
割りの専門家たちが互いの領域侵犯をせずに、お年寄り
と接しているのを是とするようだが、村ではそうはいか
ない。村医者は保健師さんと一緒に健康講座に出向き、
往診をし、役場担当者、ケア・マネジャーやヘルパーさ
んらと相談しながら在宅介護と施設介護の境界線を見極
めねばならない。ときには足の不自由なお年寄りを、診
察後、車でお宅まで送る。その人の生活状態を知りたい
がためだが、これはおカネをとらない「白タク」か? 
ちなみに国土交通省は社会福祉分野での白タク行為を認
めていないが、厚生労働省は認める方針だとか。

村には先祖代々「畳の上で死ぬ」ことが、死生観(ししょうかん)を支
える文化として残っている。死期が迫った患者さんを、
家族とのあうんの呼吸で、病院から自宅に戻し、看取る
ケースもある。口の悪い友人に言わせれば「黒衣(袈裟けさ)
がありゃ、一人二役」。 村医者は、保健〜医療〜福祉が渾
然一体となった自治空間の、広い意味での「ケア」の担い
手。縦割りの壁に安住するのではなく、壁をうまくす
り抜ける技こそ求められる。 すべて、患者さんと「一対
一」で向き合えるかどうかにかかっているのだ。

研修受け入れにあたって、学生に告げた。「君らは医者
になれば、嫌でもガンのお年寄りと接するだろう。ガン
患者として、その人を意識せざるをえない。が、相手は
他の誰でもない『私の病気』としてのガンを診てもらい
たいと思っている。誰もが『私』という背景を大切にし
てほしいんだ。だから、村で『私』をしっかり持って、
個性的に生きているお年寄りたちを紹介しよう」

一人暮らしの女性は、半世紀以上前の「恋のアバンチ
ュール」の顛末を学生たちに聞かせた。ある男性は、庭先
で悠々とワラジをこしらえながら、太平洋戦争中、出征し
た南方戦線で仲間が栄養失調とマラリアでいかに「戦死」
したかを、驚くべき正確さで、克明に語った。

学生たちの物見遊山気分が、いっぺんに吹き飛んだ。
以来、毎年、百人以上の学生たちが村に来るようになった。

最近、村を訪れた看護学生から、こんな手紙が届いた。
「わたしは祖父母とも深く話した経験がなく、歳をとる
ことに『暗い』イメージを持っていました。でも、二晩、
Cさんのお宅に泊めていただき、機織(はたおり)を習い、とても明
るい気持ちになれました。都会にも、村のお年寄りのよ
うに個性的で、生き生きと暮らしている方々がいらっし
ゃると思います。都会には都会のよさがあるはずです。
その人に合った人生を送るサポートができれば、と願っ
ています」

医学生や看護学生に専門知識という「水」は大切だ。
しかし、水ばかり与えていても、医療者の根がしっかり
張れるとは限らない。若者は刺激を求めて都会に出ると
いうが、村々の土に根を張った生き方からの学びも捨て
たものではない、と感じる。


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