「自己解体を繰り返すことに恥じない」

-協力社会にこそ新たな価値を見い出す学びの社会を
 
●長野県南佐久郡南相木村診療所長 色平哲郎
 
 
色平 哲郎 いろひら・てつろう
長野県南佐久郡南相木村診療所長。
内科医。1960年神奈川県生まれ。東京大学中退後、世界を放浪し、医師を目指し京都大学医学部へ入学。
90年同大学卒業後、長野県厚生連佐久総合病院、京都大学付属病院などを経て長野県南佐久郡南牧村野辺山へき地診療所長。
98年より南相木村の初代診療所長となる。
外国人労働者、女性、そしてHIV感染者・発症者への「医職住」の生活支援、帰国支援を行うNPO
「佐久地域国際連帯市民の会(アイザック)」の事務局長としても活動を続け、95年タイ政府より表彰を受ける。
著書に『大往生の条件』(角川新書ONEテーマ21)『源流の発想』(オフィスエム)がある。
 
 
 

われわれはどこかで「変わらなければならない」という感覚を持っているのではないだろうか。
 
たとえ無自覚であったとしても、現状への“とまどい”の表れがそれを象徴している。

私たちには、見えないものを見定める力、声になっていないものを聴き届ける力、そうした能力が求められているのかもしれない。

そのためには、この社会の「構造」を自覚し、「ちがいとまちがい」をこそ大切にしながら、長持ちする人間関係のありようを学んでいくほかはないのではないか。

ムラの診療所長として、また長野県の福祉行政、教育行政のブレーンとして馳駆(ちく)の労をいとわない色平哲郎医師の視野にある日本の進むべき方向性とは--。
 
 

■「支配の構造」を自覚しなければならない

冷戦という一つの「構造」が終焉(しゅうえん)を迎えたときから市場経済への完全な移行とともに世界が単一のマーケットになるという新たな「構造」が生まれました。
そして、「こういう社会では競争が必然だ」とかけ声がかかるようにもなりました。
そのため、これまでに見られなかった変化が日本にも表れてとまどっているという現状があります。

このことは、途上国ではすでに以前から起こっていたことなのです。
しかし、日本人は自分たちの国を先進国だと考え、「みんなが中流になれてよかった」とさえ思っていました。
いま、やっと競争社会の現実が見えるようになってきたのだという気がします。

とはいえ、本来考えていかなければならないことは、みんなが感じているその“とまどい”がどこからくるのか、ということです。
それは「支配の構造」に原因があります。
われわれは、それを自覚しなければなりません。
善し悪しは別として、支配する側とされる側があるのだということを。
それは「お金」という形を通した間接的なものであったとしても、厳然と存在します。
日本の中だけにいれば、いかにも民主主義的に運営されているように感じられますが、一歩国際社会に出れば必ずしもそうではないのです。

まだソ連が存在している間は、アメリカもそうしたことをオープンには語れませんでした。
しかし、「大米帝国」がだれの目にも明らかになったいま、「支配の構造」をよく見ておいたほうがいいと思います。
決してわれわれの敵ではないけれど、われわれ自身がその構造物の中に閉じ込められもがいていることも含めて、
その構造物はどのような目的で建てられ、あるいはどのような意図で改築されてきたのかを見据えていく必要があります。
それが、たとえ一種の諦(あきら)めの境地になる可能性があったとしてもです。

この日本という国では、どれほど“とまどい”があったとしても生きていけなくなることはありません。
客船でいえば三等船室に封じ込められているわけではないのですから。
ほとんどの国民が中産階級化した日本人は、いってみれば一等船室に閉じ込められた状態でしょう。
ところが同じ船内には、一等船室の他(ほか)にも、自分の荷物置き場をやっと確保できる二等船室や、
座席のない三等船室、あるいは広い空間と高級な調度品を備えた特等船室の乗客もいます。
機関室やレストランの厨房(ちゅうぼう)で仕事をしている人もいます。

そうしたことを、かつての日本は、アジアの一国として肌身に感じてわかっていたはずなのですが、
自分の船室のレベルが上がってくるうちに「自分らの船室以外のところは関係ない」「国境の外は関係ない」と思うようになってきました。
しかし、その時代もすでに終わってしまったと私は思うのです。

もちろん、一等船室の中にも「二等船室へ行ったほうがいいのでは?」とか「まったく別の特殊な船室へ行ったほうがいいですよ」と言われる人がいます。
障害者など差別を受けている人たちです。
同じ船に乗り合わせている人間として、その人たちのことも考えてあげねばならない。
自分もまた身体障害者になる可能性があるのだということを認めなければならない。
そうした、「先進国に似つかわしくない人たちには別の船室へ行ってもらいましょうよね」と、
みんなが同じであることに安心を感じてウス笑いを浮かべているようでは、「構造」を感じることなど到底できないでしょう。
 
 
 
■声なき声を伝えられるピラミッドであるか

スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』(一九三〇年発刊)という著書の中で「大衆は、少数のエリートによる支配を乗り越えてくる存在であるけれども、
彼らはみんなが同じであることをまったく恥じ入る感覚がないばかりでなく、むしろそれによって存在感を示そうという人たちである」と述べています。
少数のエリート支配が終わる時代状況を指摘したのですが、われわれは決してエリート社会に戻りたいと願っているわけではないと思います。
しかし、みんなが同じであることを前提に社会を取り仕切って安心のウス笑いを浮かべていると、「構造」が見えてこないばかりか、
学校でいじめが起こっても「人と違わないことが得だ」と思うようになる危険性もあります。
それは不幸なことです。
また、先生が「正解をもっているのは私ですよ」と知識を注入するような教育を続けるのであれば、これもまた「構造」に対する気づきを奪ってしまうことにもなりかねません。
教師のほうも、そうした権力的な関係を当たり前だと思うときには、自分もまた同じような権力構造の最底辺にいる場合が多いのですが、
そうした上から下への一方的な伝達に無批判な行動をとっていると、自分がどこに位置して、どういう状況にあるのかを外から見つめなおす視座を得ることがほとんどできなくなってしまいます。

学校関係者の前で、こんな話をしたことがあります。「子どもたちがノビノビ、イキイキ、ハキハキ、ニコニコ、ドキドキするような教室づくりができたらいいですよね。
その子どもたちを教え導いているのは、やはりノビノビ、イキイキ、ハキハキ、ニコニコ、ドキドキしている先生方ですよね。
そして、その先生方を支えているのは、ノビノビ、イキイキすることが大事だと考えて学校経営をやられている校長先生ですよね。
教育委員会もそれをうながすような組織ですよね」と。
そう話した後、「では、病院では、どうして患者さんや家族の方はビクビク、オドオドしているのでしょうか?」と投げかけます。
そして、「こう考えられませんか?」と言います。
「患者さんや家族の方がビクビク、オドオドしているのは、そうさせられているからではないでしょうか。
つまり、医者がノビノビ、イキイキしすぎているからなのではないでしょうか」と。
そして最後に、「自己を家畜化させられ、飼われることに慣れてしまった自分に気づいていない教員たちもまた……」と言い添えて、
「彼らにこそ、”奴隷解放宣言”が必要となろうか」と結べば、聴衆の方々は絶句です。

文部科学省が作り上げた小さなピラミッドの末端に置かれている教師たちが、同じような三角形を下に作ってしまう。
それは、病院や診療所の医者にも、特養施設の所長にも、役職にある役人にも当てはまることです。
下の人たちを導き促す立場にある専門職であるけれども、それがために「専門的に善き道筋に導くのだ」という罠(わな)に陥ってしまう危険性があるのです。
しかも、下の人たちはオドオド、ビクビクはしないとしても常に依存的な、ある意味で「仕方のないこと」と感じがちな一方的なサービスにさらされることになります。
このような人たちは、そうした三角形の頂点に立つ人、あるいは中間にいる看護婦さんや寮母さんやヘルパーさんに対して言い返すことができないために、
その人たちが心の中で思っている声にならない声は沈黙の中に置かれてしまいます。
それが当たり前となれば、組織は硬直化していきます。

知的障害者の施設へ行くと、言葉のおぼつかない青年が私に対して「実は」という本心を訴えてきます。
ところが、ドアの外から足音が聞こえてくるとパッと声を止める。
知的障害があっても自分の身の安全保障に関しては考えているわけですから。
そこで私のような外部の人間がアドボカシー(代弁者)として「アラオカシー(あら、おかしい)」と感じたことを小さな三角形のトップにうまく伝えることができれば、
現在のように規制緩和などの大波が押し寄せている時代にあっても、その小さな三角形でのサービスが他とは差異が際立ち、生き残れる組織にもなっていくのです。
声なき声を集約して上に伝えて襟(えり)を正していくことは、小さな三角形にとって決して損なことではなく、得な、生き残りの施策にもなるという、そういう時代であろうと思います。

一方で、その小さな三角形がたくさんあるその上にも三角形がいくつも乗っていて、教育界や医療界でいえば、
たくさんの三角形の頂点に文部科学省や厚生労働省が乗っている日本の中央集権という構造のあり方に気づかなければ、次の一歩は踏み出せません。
そうした「構造」に気がつけば、自己を家畜化してしまうような文部科学省からの統制に対しても「当たり前だ」と思うことが教師としてのあるべき姿だと感じざるをえないような
つらい状況にあったのかもしれないと、たとえ同情的にでも指摘できることは第一歩なのです。
なぜなら、「そんなことはない」という反発する心の中にこそ、自らの気づきがあるわけですから。
 
 
 
■生涯学習社会とは「選び取る学び」の社会

私は、長野県の医療行政、道路行政に昨年まで携わっていましたし、今年度は教育委員会からは生涯学習審議会の委員を、
社会部からは福祉サービスが第三者評価されるためのシステム構築を行う委員の委嘱を受けています。
まさに先ほどのアドボカシー、あるいはオンブズマン活動をどうすれば導入できるのかという検討を行っているわけです。
オンブズマンとは北欧の言葉で、「真実の人」という意味です。つまり、声なき声を聞きとどめて対応していく仕組みなのです。

生涯学習審議会の委員になったことを意味のあることだと思うのは、学校以外のところに学習の機会や気づきの機会があるという発見です。
これは、大学病院の中だけに医療があるのではなく、地域にこそ医療が必要なのだという意味と同じで、
「大学医療」と「地域医療」が対比されるように、「学校教育」に対して「生涯学習」と捉(とら)えることができるかもしれないと考えています。

例えば、医療、教育といえば専門職が担うものという感覚があります。
さらにいえば、特に教育は「教える」あるいは「教え込む」という斜め上からのまなざしになりがちです。
それに対して「学習」は、教育する側の人間にも存在するものであり、ぶつかりの体験の中で学んで自ら変わらざるをえないものでもあるわけです。
痛いぶつかりであったかどうかはわからないし、また人間はよいほうにも悪いほうにも自在に変われる存在ではありますが、
だれにもぶつかりとその後の自分の内面の変化という「学習」は確実にあったはずです。
それを自身で内省的に捉えれば、どんな人でもその人生は一生涯をかけての「学習」なのだと理解できる。
それが「生涯学習社会」でありましょう。

今日、社会が変わってくれば、あるいは世界情勢が変化してくれば、それに合わせてわれわれの立ち居振る舞いをも変えなければならない状況である以上、
継続教育ともいうべきこの「生涯学習」は大切なものです。
またそれがあればリカレント教育(社会に出てからも学校または教育・訓練機関に回帰することが可能な教育システム)の理念に照らしても人材が無駄になることはないだろうと感じます。
いったんどこかでつまづいたとしても、その後、自分の持っている能力を別のところで開花していくことができるという社会的な保証があるわけですから。

ヨーロッパ社会では、暮らすということが重視され、「住まい」は人権であるという感覚があり、きちんとした家に住むことが権利であるという合意形成がなされています。
同じように、ただ「住む」というだけでなくそこで暮らしていくときに地域で学び続けることもまた一つの人権であると確立されています。

日本では、例えば十八歳で医者になることを決めざるをえなかったり、さまざまな決断点を早めに用意していますが、実は、これはいかにも途上国的な発想なのです。
これほど長生きする社会になったわけであり、また、一生同じ職場で勤め上げることは理想ではあるかもしれないけれどそれができないような流動的な世の中になった。
だからこそ、次の職にいかに自分を適合させていくかという「選びとる学び」が重要になってくるわけです。
ここに、「教え込む」という教化ともいうべき教育観を当てはめることは時代遅れです。

知人のある財務官が、こんなことをいいました。
「お金の流れやシステムは簡単に変えられるんです。でも、人間の意識がいちばん変えられない。特に専門職にある人たちの意識を変えることは難しい」。
 
権力的に変えることのできるものは簡単だけれど、職業人の意識にはそれが通用しないと彼は言うわけです。
現在のような、あらゆることの変化のスピードが早い、専門的な技術が陳腐化しやすい世の中にあって、ある種の不安感からか専門職にある人たちは変われないでいます。
ですから、「生涯学習社会」実現の最大の「敵」が、実は教員であったりするのです。
教員たちが仕切っている教室でもって、しかも文部科学省が一元的に取り仕切っているところで「生涯学習」を打ち出すことは不可能なのかもしれません。
本来、教員ではない人たちが役割を担って自分を発見し子どもたちを促していくようにすべきであり、
子どもたちもまた、自分たちが世の中でどのように自らの生き方を選びとっていくのかとすべきでしょう。
文部科学省が一元的に仕切るベきものでもなく、せめて都道府県の教育委員会で
「われわれの地域・地方においてはどのような生涯学習社会に向けて舵を切るべきか」と白紙から練り上げていかなければいけないことなのです。
そうしなければ言葉の矛盾になってしまうし、「生涯学習」が機能しなくなります。
 
 
 
■「自分で考える」という必然的な流れの中で

しかし、こうしたことがスローガンを立てるだけで解決するわけではないことはもちろんです。
理念があって、その理念を政策として文章化し、その政策を施策に落とし、予算執行し、決算までもっていくという一連の流れがありますが、まず必要なものは理念です。
それがなければ船は舵を切ることさえできません。

一九九九年に「地方分権一括法」が成立しました。真の意味での地方分権、地域主権を目指さなければならないわけですが、
ヨーロッパでは、まず自分でできることは自分でやる、それでできないことは家族でやる、家族でできないことは地域でやる、
それでできないことは基礎自治体(コミューニティー)がやって、基礎自治体でできないことは広域自治体で……と目の前から積み上がっていくやり方です。
日本の場合、「シャウプ勧告」のときにその実現を勧告されたけれども、それができずに戦後そのままになってしまった。
そうして、例えば「県」という行政単位の位置付けが、国でもなく市町村でもない「中二階」的な、上からの指示を流すだけの存在になってしまっています。
そうすると、自前でできることは自前でやるために市町村レベルに下ろさなければならないし、国もまた財政難から、
さきほどの積み上げられた三角形の頂上から、かつてのような強権による指示もなくなっただけでなく、つい最近までのお金を流して指導するやり方も不可能になってしまったために、
残された方法としては、「自分のことは自分で考えてやる」しかないわけでしょう。
つまり、必然的に地方分権にならざるをえない状況になっているのです。
ですから、現在の長野県は自ら社会実験に取り組む方向へ進んできています。
それで失敗しそうになれば、また軌道修正すればよいわけです。

ここでポイントとなることは、自前で責任をとるという姿勢であり、そういう社会になっていかない限り地方分権は実現できないでしょう。
これまで日本は、資本主義であるといわれていたわりには、すべての判断を「お上」に任せていた。
それが、何か問題が起こっても「お上」が保証してくれるというお墨付きでもありました。
いま、そのお墨付きがなくなってきています。けれども、実は、それは本来の資本主義に向かっていることでもあるわけで、これは実に恐いことでもあるのです。
自分で考えてやっていくことができなければ世の中を渡っていくことも難しい状況になっているわけですから。

私が大学などで非常勤として授業を受け持ったり、あるいは集中講議で学生に話をする場合には、討論の機会をたくさんもって、自ら調べ、自分の意見を述べることを求めるようにしています。
知識を求めているのではなく、自分で知識の体系をひも解いて、自ら考え、意見を皆に発表することを重視しているのです。
あるいは、他人との関係性の中で正解を見つけていこうとする姿勢が大事だと考えているのです。
それは、私自身が気づけていなかったことでもあるからです。
英語を勉強してヨーロッパやフィリピンで英語を使ってディスカッションをやるようになって、「こういうやり方があるんだな」と気づかざるをえなかったからなんです。

学ぶことを学ぶ、生きることとはなにかを大事にする、道徳や価値をいったん疑ってかかることができるか、
合理的証拠をもいったんは疑ってそれでもなおやはりそれが大切であると納得して考えることができるか、
教える側と学ぶ側との間でなにを学ぶのかを協議することができないか……そういったことに取り組んでいかなければいけないだろうと思うのです。
さらには、問題や課題を発見できたときに、われわれ年齢も性別も生きる環境も異なる者同士がいったいなににおいて合意できているのか、どこまで互いに変わりえたのか、
それは言い換えれば、絶えず自己解体をくり返すことに恥じないという姿勢が問われていることでもあるのです。
 
そうした姿勢があれば、どちらが「教育者である」ともいえないのです。
片方が多少物事を知っているからリードすることはできるけれども、議論が終わった後には、批判めいたことまでいかなくても、
お互いの姿勢やディスカッションのありようを批評しあうことができるような開かれた教育観をもつようにならなければ、今後の社会は持続できないのではないかと考えます。

書かれたもの、しゃべったものには編集行為が可能なために事実と異なることも入り込んでくる余地があろうけれど、人の生き方だけはごまかせない。
つまり、日々を同じ姿勢で貫いてきた職人や肩書きと関係のない生き方をしてきた人の人生の中にこそ技や知恵があるという、
長持ちする人間のありようというのは、かつての日本人に確かにありました。そういったことは村の中にいても感じ取ることができます。
知ることや覚えることよりもイマジネーションやインスピレーションが大事で、一人ひとりの気づきの体験というのは、覚えこんだことよりも、感じ取った真実として長く記憶に残るものです。
そのように、知識そのものよりも学ぶことに価値があるとする社会が「生涯学習社会」なのです。
ため込むのではなく、みんなで分かち合うことで、「違うかもしれない」とか「もう一歩先へいってみようか」という「ちがいとまちがい」に気づくことが大切なのです。

「みんなが同じであること」が当たり前であり恥ずかしくもないことと感ずるのが大衆の当たり前のありようであるとすると、
単に消費させられるだけの、あるいは広告の刺激を受け続けるだけの大衆消費社会の大衆が、
自分たちが変わることによって広告を批判的に批評し、また自前の生産活動に関与し参加することができる一人の市民として生まれ変わることができるかどうか。
これは、旧来的な社会においてはエリートだけの特権であった「ちがいとまちがい」が大切であるという気づきを取り戻せるかどうかという点にあります。
 
 
 
■地方分権・再分配重視の方向へ舵を切ることは可能か

しかし、一方で「自己判断」「自己決定」「自己責任」だけでは済ませることのできないのが現実の社会でもあるわけです。
現代の日本社会の成立は一九四九年の中国分裂が大きな影響を与えていると考えます。
大陸に中華人民共和国が生まれたことによりアメリカが施策を切り変えてきました。
本来、戦勝国である中国に行くべき資金が日本に流れてきて、農業国として存続するはずであった日本の復興が数十年早まることになりました。
それが現在のような世界と世界観を築くことにもつながりました。
そうしたなかで、われわれは、なにがこの豊かで平和な日本社会を成り立たせているのかを忘れがちです。
敗戦後、焼け跡に人々が溢(あふ)れていたから、その人たちの生活の底上げをすることこそ大事なことでした。
そして中流社会になり、次いで競争社会を目指して現在変貌(へんぼう)しつつあるのでしょうか。

実は、「自己判断」「自己責任」「自己決定」というのは心理的な罠なのです。
若くて「力」のある人にとっては、それは得であるだろうし、市民として市場で勝負することなのだと思います。
しかし、市民や市場といえば聞こえはいいのですが、本当に、市民として市場で勝負して通用する人は、割合としてはおそらく千人に一人くらいでしょう。
赤裸々な競争社会では子育てや介護も難しいことになりかねません。

ここに二つの座標軸があります。
横軸(X軸)はお金(市場、企業)軸、縦軸(Y軸)はお上(国家、行政)軸で、四つの部分(象限)に分かれています。
左下の地方分権で再配分重視の生き方--つまり、「本来の意味での」第三セクター(市民セクター)がなければ、
銀行が国営化され、次には民営化され、といった現在の日本のような状況になってしまう。
また、お金軸で右のプラス方向は、規制緩和や民営化、そして「がんばる人が報われる」と耳障りのよいことがいわれる領域に当たるわけですが、
では、その反対の左への方向はどうなのかというと、これは再分配重視です。
十九世紀までのヨーロッパ社会では「所得税などいかがなものか」といっていたのが、いまでは常識となっているように、
この「再分配重視」の施策がなければ、子育ても老人介護もできなくなりかねません。
つまり本来の地域共同体とは、こうしたものを内包したボランティア社会だったわけです。
それをお金軸とお上軸のプラス方向だけに目を向けてしまうと罠に陥るといいたいのです。

お上軸の下への方向は地方分権(市民)重視です。
地方自治体あるいは市民であって、しかも市場で通用するとした場合、座標系の右下の象限に当たります。
市場で通用する市民、という言い方は格好いいので、若くて「力」のある人にはこの感覚は受け入れられやすいものかもしれません。
現在までの日本社会は左上の象限で、再分配重視の国であった・・・というわけです。
自民党から共産党まで、それが票のためであれ、弱者も含めたみんなのことを重視してきましたが、
それは中央政府が機能していることによって再分配を重視できる日本的福祉国家のありようでもありました。
日本では、その再分配が形を変えて土建国家になってしまっているわけですが……。

いずれにしても、この福祉、土建国家を否定して、その対角線上にある右下の方向へと引っ張るなにかがあるのです。
しかも、このままでは割をくうことになる新中間層であるサラリーマンが、右下の方向へ走る可能性が非常に高くなっています。
民主党を支えているのも、こうした若い層であると思われます。

では、右上はどうかというと、「お上」と「お金」を大事にする部分ですから、軍事力も握って多国籍企業重視のブッシュ政権が「大米帝国」として進めている路線です。
これは「ユニラテラリズム(片務主義)」といって国連やWTO(世界貿易機関)などの多国間交渉さえも認めない感覚であります。
つまり、「自分で正義だと思えば正義だ」というふうにお金とパワー(力)を使うようにもっていくわけですから。
これが「ネオ・コンサーバティブ(新保守主義)」と呼ばれる現在のアメリカの政権を象徴しているところでもあります。

右下もまたアメリカのある一面を表す部分なのですが、「ネオ・リベラル(新自由主義)」といわれるものです。
ネオ・コンサーバティブやネオ・リベラルという座標系の右側の二つの象限は冷戦が終わったことによって生まれてきたものです。
市場としても工場としても中国が台頭して、それによって日本の高コスト体質があらわになり、いつまでも左上の象限にとどまることが日本にはできなくなってきた。
また、世界市場が売り手市場から買い手市場に変化し、お金を持つことが非常に価値のあることになってきた。
そうなると、日本としては単に右側に移動して、ブッシュのアメリカに取り込まれていく路線をとるのか、
それともWTO交渉に見られるような規制緩和路線で対角線方向の右下にギアを入れるのか。
はたまた左下にギアを入れるという選択肢もあります。
左下とは地方分権でかつ再分配重視です。
この部分が、実は長野県が目指している路線であります。

仮に、私が東京に暮らしていたとすれば、右下の方向に価値を見い出していたかもしれません。
自分のリスクで自分でがんばっていくんだ、本来の資本主義をこそめざすんだ、といいかねない。
先の「自己判断」「自己責任」「自己決定」の社会です。
しかし、長野県に住んでいる以上、再分配でなければ交付税もなく、ふるさとも水源も消えてしまい、ご老人方の生活もたちゆかなくり、
ムラがなくなり、診療所が消えるという自分自身の立場から考えても、この左下の感覚に立たざるをえない。
立場が見方に影響を与えているのかもしれません。

この座標系のY軸の右側はネオ(新しい)という言葉が頭に付く部分ですが、世界全体はいま資本主義のニューバージョンのほうへとシフトしてきています。
金融資本は、強権があると排除される可能性があるためにX軸の上側にいきたくない。
市民側でしかもお金が使える社会をめざしているのです。
WTO交渉などを見ても明らかに右下の方向に進めていこうとしています。
いまの民主党も右下に移行していますが、今後、政権交代がなくとも自ずとそうなっていくでしょう。
小泉内閣もその方向です。
そうなると、子育てどころか子どもを産むことすらできなくなる人もでてくるし、あるいは結婚もしにくい社会になっていって、元も子もなくなるのではないかという気がしています。

こういう私の素人考えをある財政学者に話したところ、「確かに現状は左上から対角線上の右下方向へギアが入ろうとしている。
そして左上からそのまま真下へ、つまり左下の方向へはギアが入りにくい。
それは労組の人たちが組織に守られているがゆえに未組織の人たちの気持ちが理解できにくいのと同じことなんだ。
しかし、だからこそ、そこに『財政』の役割があるんだ」と指摘されました。
そして、「アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン、日本のなかで最も所得格差の大きなところはどこだと思う?」と尋ねられました。
私は「アメリカですか?」と答えましたが、答えは「スウェーデン」でした。
所得分配の不平等度を示す「ジニ係数」が財政の介入前はスウェーデンが一番高く、日本が一番低かったのに、
財政の介入によってスウェーデンは所得再分配の最も平等な国になり、日本は五カ国の中では中位に位置してしまっている。
アメリカは、もともと格差の大きい国だけれど、財政がそれほど介入しないために介入後もこの五カ国の中では格差が最も大きくなっています。

では、なぜ財政介入後の日本で「ジニ係数」がそれほど低くならなかったのかというと、財政の力が効いていないということです。
この力を強くして、安心して子どもを産み育てることができる社会をつくっていこうというのが、その先生の考え方であり、
たとえ左上から右下にギアが入っても財政の力で左へシフトさせることもできよう、との勇気づけをいただきました。
 
 
 
■日本型生活重視の協力社会を築くために

日本には日本特有の生活重視の社会システムが必要だということを示すものとして、「人事」というテーマがクローズアップされてきます。

こんな問いがあります。
「ある会社に十人の課長がいて一人だけ部長に昇格させるとき、その中に非常に有能な人間が一人、社長の息子が一人いた場合に、だれを部長にするか」。
一般的には「有能な人間」と答えるでしょう。しかし、日本にかつてあったよき人事システムという範疇の話の中では、「社長の息子」と答えるのが正解なのです。
それは、社長の息子を部長にすればみんなが納得するけれど、有能な課長を部長にすればほかの人たちがやる気をなくしてしまって組織全体が力を落とすからです。

官僚における人事システムも大企業のそれも、非常に似通っています。
十人の同期が幹部候補生として入ってきたとすると、彼らは「同じ能力である」という前提の元でスタートします。
二年間はそのままで、三年目に人事考課を行うのですが、そのときには一人だけほんの少し遅らせるそうです。
公務員には等級・号俸という給与体系の区分がありますが、ほかの九人が例えば四等級八号俸になるときに一人だけ四等級七号俸にするというわけです。
「ちょっとだけ遅れた」ことが他の人たちにもわかるようになっているのです。これを三年おきに繰り返します。
普段は協力関係にあるのだけれど、実はライバルでもあることが徹底しているわけです。
そして、三年に一度の人事考課のときに部長と課長が集められてディスカッションをするそうですが、そのときに、
自分の部下である幹部候補生が遅れをとると部長も課長も自分の人事に差し支えるので、その部下のことを部課長会議の席では庇うそうです。
ところが自分の部署に戻るとその部下に「遅れるな」と叱咤激励します。このとき、どういう人が遅らせられるのかというと、イレギュラーな人です。
みんなとは「違う」人を選べば、周りだけでなく本人も「まあ、変わり者だから仕方ないや」と思えるからです。

しかし、減点主義で、しかもわずかな差異がその後も決して埋まることのないようなこのやり方こそ、この日本的人事システムが壊れていった最大の要因なのです。
ドッグイヤーがキャットイヤーへ、キャットイヤーがマウスイヤーへと物事がより速く移り変わる時代においては、
それに対応した「次の才能」を用意していかなければいけないにもかかわらず、そうした人が決して浮かばれない人事であったり、すでに所内や社内からいなくなっていたりするわけです。
これを根本的に変えていかなければいけないのは明らかです。

では北米型のやり方は素晴らしいのでしょうか? 
アメリカ合衆国のような、同じ部署にスペリングのおぼつかない人からMBA取得者までいる組織においては、能力のある人間を選ぶのはリーズナブルなことです。
しかし、日本のように高卒は高卒でほとんど同じレベルであり、大卒は大卒でほとんど能力に差のない人が集まっているお国柄で「能力のある人間」を選んでしまうと全体がバラバラになってしまいます。
いまの日本はそういう方向へ舵を切っているのです。

地方自治体の多くが膨大な財政赤字を抱え、地方では都市も郡部も、公共事業以外に雇用がない、雇用の場としても生活の場としても魅力の乏しい地域になってしまっています。
これと似た状況はかつてのヨーロッパにも起こりました。
われわれは、そこを打開した先人の努力に学びながら、しかし日本型の、生産ではなく生活を重視した、競争ではなく協力社会に価値を見い出す社会を築くべきであろうと考えます。
財政をきちんと介入させれば、地方税や地方債の発行による直接金融を行うことができるわけですから、
大恐慌のときにスウェーデンがヨーロッパの「希望の島」になったように、セイフティーネットが張り巡らされ、
だからこそアクロバティックな競争もできる……そんな地域社会が再生していくきっかけづくりが重大なのだと感じます。
 


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