へき地医療への道

「地域医療は、医療の一分野ではない?」



長野県厚生連佐久総合病院内科医・
南佐久郡南相木(みなみあいき)村国保直営診療所長

色平哲郎・いろひらてつろう

(詳細は以下まで)
http://home.catv.ne.jp/hh/yoshio-i/Iro/01IroCover.htm



地域医療の特徴

地域医療は、医療の一分野ではない、、、
などと言ったら、皆さんは違和感をお感じになるだろうか。

信州の山の村に暮らして7年になった。

最近は、「村の医療は、医療の一分野というより、地域の一役割なのだなー」
と、以前にも増して感じるようになった。

都市の大学医学部や付属病院では、患者さんの周囲に医師や医学生が集まり、
問診し診察し、得られたデータについて別室で討論する光景が目に浮かぶ。

患者さんはいつも診(み)られる対象であり、皆さんはいつも診る側にいる。

そしてほとんどの場合、患者さんが皆さんの討論に加わることはないし、
皆さんの出した結論に患者さん側がコメントしたりすることも考えにくい。

しかし、村の医療の現場では、地縁血縁で(時には数百年間も)
塗り固められた地域共同体の中に皆さんが一人、或いは一家で降り立ち、
周囲の人々から不断の視線が皆さんの立ち居振舞いに注がれることになる。

眼差しが、病院とは逆方向になっていることに気づく。

外国で一人旅をした経験をお持ちならそう感じた場面もあったかも知れないが、
皆さんの方が、動物園の「パンダ」状態になっているのだ。

地域共同体が観(み)る側にいて、皆さんは一方的に観られる側におかれる。

地域は、一種の「劇場」である、といえようか。

皆さんは、そんな舞台の上で「役者」として振る舞うことを期待され、
医師という、地域に不可欠な、唯一無二の「役割」を担うことになる。

病院と地域の違いは決定的である。

そして、役割を担うことで皆さんは矛盾をも背負い込むことになる。



庶民にとって「いい医療」とは?

都会にいるような、そんなエリートは村にはいない、
ということを前提にすれば、地域医療の主人公は村の庶民である。

誰もが、医師であれば、評判のいい医師を目指すものだろう。

例えば、皆さんがいいお医者さんなのか、そうでないのか、
皆さんの診療がすばらしいのか、そうではないのか、、、
この様なことは村の庶民が一方的に判断するのであって、
皆さんの自己判断や皆さんの先輩や同僚の判断はほとんどアテにならない。

もちろん医者仲間や看護スタッフ間のいい評判が、
間接的に皆さんにとって有利に働くことはあろうけれども、
最終的には地域(の庶民)が判断するのだ。

地域は、実に一方的だ。

しかも、意見表明をする代表者が存在しているわけではないところも厄介だ。

きちんと言語化された意見でさえない、、、そんなこともよくある。

「納得がいく医療であったか」「丁寧な診療であったか」
といった点を、しかも風評だけで判断してくるから、抗弁も訂正も難しい。

そんな、まことに当方にとっては「納得し難い」状況になるのが常だ。

共同体の仲間である患者について、
「彼や彼女の個別性を大事にしてもらえたか?」
「本人と家族は納得したか?」
の二つを特に問題にしているようなのだが詳細はいつも不明だ。

まるで、病院に入院中の患者が、医療側の判断や診断について、
リアルタイムには知ることも抗弁もできない状況にあるのと似ている。

村では、皆さんの隣や周囲で何が語られ、何が決められているのか、
どんな雰囲気でいるのか、垣間見ることはできてもきちんと知ることはできない。

最終段階になってはじめてその結論だけを、しかも一方的に知らされることになる。

この様なことを避けるために、地域の中に自らの友人知人を
たくさん持てるかどうか、、、そんな取組みの必要性を感じるのではないか。

しかし、やってみると、これが難しい、、、医師としての付き合いを超えた、
人間としての付き合いは案外難しく、出会いの場が限られているのだ。

そして、あまりに一方的な向こう側の言い分については、
どこかに弁護士役でもいてくれないかなー、とまで感じてしまう。

この様なことは、大変に面白い、驚きの体験ともなろうが、大学や大病院での
常識的な職場感覚とだいぶ異なることに愕然とする向きも多いのではないか。

また、とても私には無理、、、こういったことは不得手、、、
とお感じになる向きも多いかもしれない。

つまり「病院では医療側の力が強く、地域では患者が元気で、患者側の力が強い」
という当たり前のことを、以上、くどくどと述べたててみた。

私は、こんな場面にこそ、皆さんが医学生時代にどんな「ぶつかり」の体験
を持ったのかが問題解決の為のキーになるのではないかと感じている。



旅の経験

医学生のうちに、旅の経験を持った方がいいと思う。

ここで言う旅とは、あらかじめ決まった「道」の上を行く旅とは限らない。

医者としてではなく、人間としてさまざまな「ぶつかり」の経験があると、
後年役に立つのではないか。

一言で言って、病院での医療は(すでに自分を)病人
(であると考えるようになった人々)の世話をすることが中心となるが、
地域での医療は比較的元気な(多くは高齢の)人々への対応が大きな比重を占める。

そんな出会いの際、さまざまな経験をお持ちになる個々人の
(病気や障害の後ろにある)人生や生活について聴き取ることが可能であれば、
実際(何かの時に)役に立つのではないか。

つまり、個々人の人生の「プライドやこだわり」をきちんと聴き届けることを通じ、
人生の一後輩として「人々の生き方から学ぶ」といったような姿勢が初めにあると、
すんなりと地域共同体の中に入っていけるというものだ。

読者の中には、海外の医療現場に関心をお持ちの方もおいでかもしれない。

私は、途上国でのPHC(プライマリー・ヘルス・ケア=ゼロ次医療)の活動と
日本のへき地でのPMC(プライマリー・メディカル・ケア=一次医療)の活動
とで、違っている点ももちろんあろうが、似ている点も多々あるように感じている。

私の場合、当初から日本でのへき地医療を目指していたわけではないのだが、
ある時期から、実に面白い現場であると、一種、開眼してしまった。

まるで、文化人類学か農村社会学のフィールドの様に感じる時もある。

その理由の一つには、若い頃、アジア諸国の旅で、出会った
さまざまな人にお世話になったことがあるのかも知れないとも感じる。

今も「あの時は大変お世話になった」という感謝の気持ちを、
かすかには持ち続けているようなのだ。

世界は実に広く、世間もとても広い、という当時の私なりの発見を
今に至るまで持ち続けているようだ。



軌道を修正するということ

役人の行政サービスと医師の医療サービスには、実は似たところがある。

いずれも目の前で言い返えされたり、アピールを受けることはまずないという点だ。
また、こんなことがあるようだと、すでにそれは大事で、訴訟ものなのである。

クライエントは医師の前から黙って立ち去り、
後になって、ウラで、不平や不満、不安を口にすることがあるのではないか。

村でなら、この様なウラの不平や不満、不安は村会議員の耳に届くことがある。
議員は、一回であれば、風評として、気にも留めないだろう。

しかし、いくつか重なるようだと、困ったことだ、と感じながらも、
村長に一言告げることになる。

村長もまた、最初は聞き流すのが普通だろう。

しかし複数の議員から伝わってくるとなると、そうもいくまい。

村長は、担当の課長に一言告げることになる。

そして、担当課長が、しょうがなくて、皆さんに一言告げた場合、
実にウラでは大変なことになっているのにお気づきだろうか?

十数倍の不平や不満、不安がこもりにこもっている、、、
つまりリスクそのものであり、とっくに方向修整が迫られるべきものなのである。

村や町の診療所や自治体病院であるから、まだこのような一巡する輪が小さめで、
方向修整が可能だったのだろうか。

もしこれが県立病院や国立病院であったなら、、、
クライエントの不平や不満、不安が、一旦県知事や厚生大臣まで届いて、
それから現場に降りてくるということはまずあり得まい。

つまり、医療現場でも行政サービスの現場でも、また公教育の現場でも、
目の前で不平や不満、不安が語られないからといって、
決して安心してはならない、という教訓になろうか。

患者や子どもを「人質」に取られているからこそ、
率直な物言いができずにいる家族や両親の心境を忖度(そんたく)することも、
小さな町村であるからこそ可能なのかも知れない。

軌道修正したり、襟を正したり、時には主張することも、
小さい組織であるから可能なのであって、大組織になると難しいのではと感じる。



複眼的にものを見るということ

年間200人ほどの医学生、看護学生が当村においでになる。

その7割が女性であり、今の時代を象徴しているようだ。

活気ある、熱意ある若い世代の学生が合宿して、村のご老人のご自宅を訪れて、
半日、一日と語り合っていただくようにしている。

ゾウリ作りや機織りなど、村ならではの古くから伝わる知恵や技の世界
を知ることで「元気な、かっこいいご老人」の姿を知っていただきたい。

地域から根を抜かれ、病院や施設に置かれ、
あきらめの心境の中にあるご老人と最初に接することで、
「老人は弱者である」との刷り込みが医学生になされてしまう、
というのは、今の時代当然といえば当然なのだが、残念なことではある。

一つの目でものを見ると、見えてはいるのだが、
距離感はとれないし、立体的には見えない。

二つの目でものを見ると、複眼視によって、
距離感が分かり、リアルに見えて、印象も深い。

例えば、私は若い頃、海外の途上国で数週間を過ごし日本に戻った際、
戻って数日間はこんな風に感じたものだ。

「みんなが日本語を話している、、、
周囲の会話が聞こえれば理解可能だなんて、、、不思議だ」

「なんて慌ただしい社会なんだろう」

「コンビニには何でもおいてある、なんて便利なんだろう、しかし高い」

ほとんど、ナンセンスな感想で恐縮である。

しかし確かに日本の中だけで暮らしていては、ここがどういう社会なのか、
よく感じ取れずにいたものが、海外から戻り、向こうの常識に慣れた目で
もう一度見直すことで、ある種気付きの機会になったようだ。

将来、へき地診療に従事する可能性がほとんど無い医学生であればこそ、
学生のうちに、日本とアジアの農山村を訪れておくことが重要なのではないか。

それは、病院に於ける医師中心の医療とは異なるもう一つの眼差しを
感じ取ってみるいい機会になるかも知れない。

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