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--朝日新聞 へき地医療原点に国際貢献を

 

長野県南相木村 へき地医療原点に国際貢献を 色平哲郎(地域通信)

       1998年11月04日 朝刊 004ページ オピニオン   写 Y 713字

 

 色平(いろひら)哲郎

  

 長野県の東南部、人口千三百人の南相木村。週に三回、医者が半日通ってくるだけだ

ったこの村で、今年六月から初代診療所長として家族五人で暮らし始めた。

 鉄道も国道もない村では、自家用車が普及するまで、人は最寄りの駅まで三里(約十

二キロ)の山道を歩いたという。養蚕と炭焼きなどの山仕事しか現金収入のなかった時

代だ。今は村営バスが走り、農作業も機械化されたが、患者さんのほとんどは、そんな

村の歴史を知るお年寄りたちだ。

 診療の合間に、その口から語られるのは遠い記憶である。今はない分校に子どもたち

の歓声が絶えなかったこと。足ることを知り、隣近所が支え合った暮らしぶり。今も村

に残るそんな人情味は、かつて放浪し、へき地医療に取り組むきっかけとなった東南ア

ジアの村々をほうふつとさせた。

 そんなことから日本の農山村を理解することが、途上国への真の国際貢献につながる

のではと考え始めた。高価な医療機器も高度な技術も、貧しい村ではすぐには意味をな

さない。献身的な「心持ち」の人々の協力が村を魅力的なものにしている。

 南相木村の隣村で診療を始めた三年前から、五、六十人の医学生や看護学生がへき地

医療を知ろうと毎年泊まり込みでやってくる。その多くが女性だ。長かった無医村時代

、地域に密着して献身的に日夜格闘していた村の助産婦や保健婦たち。ボランティアの

原点といえる、そんな人たちの話が学生の胸を打つ。タイやブラジルなどから視察に来

た医師らと彼らとの交流もいくつか生まれた。聞けば、学生たちの半数はアジアの国々

の農村保健に関心があるという。村で得た体験をもとに、彼らがアジア各地へと飛び出

していくことを願いたい。

 (医師)

 

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