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日本を考える…

 

 

     

国際医療福祉大学 アシスタントプロフェッサー 

                  スマナ・バルア

 

 

人物紹介:

 

1955年バングラデシュ生まれ。

99年東京大学医学部にて医学博士号を取得。

日本滞在歴は通算13年。

「プライマリー・ヘルス・ケア」

(住民主体の地域保健・医療活動)の推進者。

ある時は医師であり、ある時は大学教員、

またある時は保健医療分野のNGOやJICA、

またはWHOでの講師・指導にあたる実践者。

東京在住、二児の父。

 

 

編集人より一言:

 

今回の特別投稿記事は、

インタビューを通してバルア先生から伺ったお話しをまとめました。

 

山積する「人類」と「病苦」の問題に対し、

ひとりであっても立ち向かおうとする厳格な態度を持つ一方、

自分のできることについては素直に、当たり前の行為として、

半生にわたりできる範囲で取り組み続けてきた体験談を語る姿は、

飾るところなき自然体で、

しかも自分を大きく見せようなどとはしない等身大の方でした。

 

しかし、日本の将来への警鐘を鳴らす、その一言一言には、

この日本と日本人の現状を心底から心配する志士の姿がありました。

 

 

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競争社会ニッポン

 

戦後、「時は金なり」でガムシャラに働いてきた日本。

しかし、その先に待っていたのは、

何処までいっても続く競争社会ではなかったでしょうか。

その当時の父親たちが「子どもにいい教育、家族にいい暮らし」

を夢見て一生懸命だった姿が思い浮かびます。

“会社人間”という言葉がありますが、

全神経を会社だけに向けていなければ、競争にも勝てない。

いつしか会社の存在が自分自身の中心軸となり、家族と過ごす時間は削られ、

一方で子どもと顔を合わせられるのは夜の寝顔だけ…

週末返上でまた仕事、あるいは上司との付き合い。

子どもが一緒に遊んでほしいとねだると、

ファミコンを買い与えることで一緒に居られないことを誤魔化したり… 

そして子どもたちが人生の問題に悩む年頃になった時、どうなるのか… 

父親はすでに相談相手ではなくなっているのです。

今まで取り組んでこなかったことが急に可能になるわけがありません。

「いい教育」は「いい学校」、すなわち有名校への進学の意味になり、

高校卒業までの12年間、息つく暇もなく、受験のための学習に励む事になりました。

その子どもたちも、父親と同じ、会社至上主義の競争社会に入っていきます。

終わらない競争の中に…

 

 

 

親と子の関係

 

私は子どもと接する時にはこんな風にしています。

今日何処で誰と会うのか、帰宅後にはどんな話しをしたのかを子どもに伝えます。

連続ドラマのように娘たちは関心を抱いていろいろ尋ねてきます。

「誰々さんと会って、何を食べたの?

どんなお話しをしたの?」と…

 

大きな家に住む娘たちの友だちの話しになって、

「私も大きな家に住んで自分の部屋がほしい」と子どもがねだると、

私はこう答えます。

「大きい家に住む事はできますよ。

ただ、そうしたらお父さんは土曜日曜も働くことになって、

一緒に遊んであげられなくなるけれど、それでもいい?」

子どもに自分で考えさせ、選択させるのです。

子どもと話す時に、大人同士の話しだからといって会話を分断するのではなく、

大人の話しに子どもも混ぜて家族ぐるみで話し、付き合う環境が大切です。

子どもに与えるべきは、遊び道具やお小遣いではなく、”対話”です。

自分の体験談や貧しかった時代の日本人の生活ぶりを語り伝えるのです。

現代との比較対照を与えるのです。

そうでもしなければ、今の“豊かな生活”の中で、

モノが豊かではなかった時代の人々の暮らしぶりを感じとり、

追体験することはできないでしょう。

過去と現在との接点を大人たちが作って、

子どもたちの“気づき“の機会にする必要があります。

 

 

 

医者の卵たち

 

大学で教鞭をとっているので、日本の学生たちと接する時間に恵まれています。

ある学生がこう言いました

「両親にも相談できないでいることを先生に、

しかも外国からおいでになっている先生に打ち明けた自分に驚きます」と。

 

地域医療の現場を学ぶために、

医師や看護婦の卵たちをフィリピンの辺境の島へ連れていった事がありました。

現地の同世代の医学生との懇談会の席で、

自己紹介ができない日本の医学生の姿には驚きました。

「自分でもなぜだかよくわからないんですけれど、

医者を目指すことになってしまいました…」

目的意識を持たずに医師を目指すことは、

アジア諸国の医学生には考えられないことです。

翌日のスケジュールで早朝集合を伝えた時、

「朝、起きられないんです。どうしたらいいですか?」

と真顔で聞かれた時は、返す言葉が見つかりませんでした。

また挨拶もできない彼らを見ていて思いました。

最近続く“医療ミス”の根幹には、

こうした普通の生活さえできないでいる現状があるのではないか、と。

もう一つ感じたことは、

他者の“心”や”痛み”を感じ取る能力がやせ細っているのではないか、

ということです。

病気やケガに際して、患者さんと接した医師には、治してあげたい、

という気持ちが強く働くものです。

しかし現状の日本の医療現場では、すべてを機械に頼り、

患者さんとの対話の代わりに、データの数字と睨めっこをしています。

数値で判断を下してしまい、患者の訴えを“よく聴く”こと、

表情を“よく視る”ことを重要視していません。

なぜ心を感じ取れないのでしょうか?

機械の扱い方を学ぶことで

“医療”を学んでいるつもりになってしまっているからです。

“医療”以前のこととして、

「人間として人間のお世話をする」という観点が重要です。

黒板の文字をそのまま写して、写しまくって終わる授業は、

個人個人の頭というフィルターで「なぜ、どうして」

と考え直す作業を伴っていません。

文字と数字の暗記だけ、つまりテストのための授業になってしまっています。

人間のお世話に取り組む人間は、教室での授業では生まれません。

患者さんを実際に治療する技術を持たない学びの時期にこそ、

患者さんの生活する現場を訪ねてください。

現場であなたの感じ方を自分自身の心に問い掛ける作業を通じて、

医療者を目指す動機づけをしっかりと持つべきです。

患者さんと向き合う仕事をするためには、

患者さんの生活を知る必要があります。

私は北海道で、漁船に乗って、漁民たちの生活に触れたことがあります。

トラックの運転手のお手伝いとして東京から下関まで何度か往復したこともあります。

長野県では、高速道路の工事現場でアルバイトをさせて頂き、

労働者と語り合いました、

牧場やゴルフ場での手伝いもしました。

名古屋の街では、独りで何日間も街中を歩いて

いろいろな人の生活ぶりを視せて頂きました。

その他、静岡では茶摘み、京都では皿洗いなど、

医者になった今も、こうした様々な「旅」の経験は活きています。

患者さんの職業を伺うと、その仕事内容が目に浮かびます。

よく腰を痛める患者さんがいると、

腰痛の原因について職場の環境と作業内容から想像できます。

医者として薬を出すだけでなく、

生活スタイルの改善まで含んだアドバイスが可能です。

患者さんの仕事の大変さや辛さを自分で体験していると、

相手の身になって悩みを聴くことができるでしょう。

ですから、私が一番訴えたいのは、医師を目指すのであれば、

現地を訪れ、現場での体験をしてきてほしいということなのです。

日本の全国をまわって、自分の足でその土地を“歩き”、

土地の人々と“触れ合って”ほしいのです。

フィリピンへ行くのであれば、村人と同じ生活をしてきてほしいのです。

下痢をしたっていいじゃないですか。

病気になることは、また大きな学びの体験となるでしょう。

一見、医学と関係のない“無駄”とされがちな”人生の体験”こそ重要です。

病気の背景にある生活や人間、更には人生や社会を知ることこそ、

医療者に最も求められるべき第一の要請でありましょう。

 

 

医師を目指して日本へ

 

私は医者になることを目指して日本に来ましたが、

結局フィリピンで医師の資格を取りました。

なぜなら、私の祖国バングラデシュで活かせる医療は

日本では学ぶことができなかったからです。

日本の病院では、ハイテク機器を使っての医療が盛んです。

私の故郷のような電気が通っていない、清潔な水がない地域、

アフリカやアジアの国々の農村では、日本で学んだ知識も技術も、

そのままでは全く使えません。

そこで自分の国と事情の近い国で、地域医療を学んだという訳です。

私が卒業したフィリピン国立大学レイテ校は、

佐久病院の若月俊一博士が提唱した「農村医科大学構想」

が基になって実現したもので、保健医療活動は、地域住民のために、

地域住民の参加の上に取り組まねばならない、という理念からなるものです。

私は10年かけて、地域の中で働きながら助産士、看護士、保健士、

そして医師の資格を取得しました。

“階段状カリキュラム”と呼ばれる方法です。

いきなり医師の資格取得への道には行けないシステムです。

医師と看護婦の養成過程が別々になっている

従来からの教育のあり方とはまったく違います。

日本では、医療を細分化し過ぎているのではないでしょうか。

それぞれの医師がそれぞれの専門分野だけの知識と技術を追究していて、

専門外とされると別の医師に回されます。

「人の命は、レントゲンに写らない」のです。

 

 

 

日本の若者へ

 

自分のふるさとをしっかり、そして深く知ってほしいと思います。

自分が生まれた街、地域、国と… 

そうして自分を取り巻く環境への愛着が生まれます。

また自分のルーツ、アイデンティティーを大切にしていただきたい、

と思います。

 

最後に「かきくけこ」のお話しをします。

日本は「か・き・く」、すなわち「金・機械・車」は、すでに満たされています。

しかし、「け・こ」が決定的に不足しています。

「け」は「健康」、特に若者が若者らしさを失っている姿は、

精神的な不健康さを感じます。

「こ」は「志」です。

“夢”を語り合わなくなっているのではないでしょうか。

根っこをはった志を持って頂きたい。

そして「お金持ちよりも、心持ち」になってください。

 

私が今取り組んでいることは、種をまくことだと思っています。

だからどんな芽が出て、どんな花が咲くのか、とても楽しみです。

 

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