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若者よ「佐久」に学べ

 

                       保健医療の原点

 

 「保健医療の原点」,「地域医療の原点」。

佐久(さく)総合病院(長野県南佐久郡,清水茂文院長;以下,佐久病院と略)はこう

呼ばれる。

半世紀にわたる住民と一体となった医療の実践は,日本国内に留まらず,

アジア近隣諸国での地域医療にも影響を与え続けており,今も「佐久」を訪れる学生・

医療者は少なくない。

訪れた人は「佐久」に何をみるのだろうか。

 さる5月12-14日に,長野県南佐久郡で行なわれた東京大学医学系大学院国際地域保健

学教室の合宿に同行してみた。

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「佐久」の実践からPHCとは何かを学んでほしい

 「プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)とはどのようなものか。日本の地域医療の現場か

ら考えてほしい」

 バングラデシュ人の医師で今回の合宿を担当したスマナ・バルア氏(国際医療福祉大学)は,

1976年に初めて若月俊一氏(当時佐久病院長)に会い,79年からは若月氏の唱えた「農

村医科大学構想」(「保健医療は地域と一体となって取り組まなくてはならない」

という考え方が基盤にある)が影響を与えたと言われるフィリピン国立大学医学部レイテ校で

学んだ。以降,バルア氏は佐久病院の理念と取り組みを多くの人に伝えてきた。

 

 「PHCはプライマリ・(メディカル)・ケアとは異なるものです。

それは人々の健康の問題を病気の治療の側面だけでなく,生活のレベルで捉えた,予防

や健康増進,リハビリテーションなどを含むトータルな保健システムのことです。

そしてそれは地域の住民参加を前提にしているのです」

 

 佐久病院の取り組みは,PHCの重要なモデルの1つだとバルア氏は考えている。

本合宿の狙いは,実際の現場の活動からそれを学ぶことだ。

 

 

原点問い直す「佐久」の医師たち

 

 一方,佐久病院からは出浦喜丈氏(地域医療部国際保健医療科医長),北澤彰浩氏

(同部地域ケア科医師),長(ちょう)純一氏(川上村診療所長),

色平(いろひら)哲郎氏(南相木村診療所長)が合宿参加者を歓迎した。

 「専門医であってもPHCの視点を持っていなければならないというのが若月の主張で

す。

しかし,佐久病院も大きくなり,医師の専門志向は強まっています。

予防・健康増進活動から専門医療までを包括的に実践していく中には,やはり矛盾も出

てくる。私たち自身にも佐久病院の原点に立ち戻ることが必要です」

出浦氏は,合宿参加者を前に,佐久病院の現状をこのように話した。

 

 「原点に立ち戻る」この言葉を他の医師も繰り返した。

当然のことだが,彼らは佐久病院が「普通の病院」であってほしいとは思っていないの

だ。

 「地域で暮らしていくための知恵を学べる場であってほしい」

こんな願いを長氏が口にしたのが印象的だった。

 

 現在の佐久病院長は清水茂文氏(1999年就任)。

佐久病院での氏のキャリアは,そのほとんどが診療所で築かれている。

診療所の医師が本院の院長になる(しかも途中,病院批判をして佐久を離れている)。

このこと自体が,「佐久」らしく,「佐久」の原点がどこにあるかを雄弁に語っている

とも言える。

 

 しかし,何よりも1人ひとりの医師が,その「原点」を問い直している姿こそ,

ここが今も「地域医療のメッカ」である証しだった。

 

 さて,本合宿では,特に佐久病院および川上村保健福祉施設への訪問が企画され,

それぞれ関係者との交流の機会がもたれたので,その様子を紹介したい。

 

 まず,佐久病院への訪問では,出浦氏が佐久病院の保健医療活動について説明した後,

同氏の案内による病院見学が行なわれた。

 

 

「健康管理センター」は長寿・低医療費の原動力

 

 参加者には,院内のいたるところに張られている健康や病気に関するポスターが印象

的だったようだ。

また,併設されている「健康管理センター」(長野県のほぼ全域をカバーしている)の

活動には特に関心が高く,「健診(=予防活動)が長野県の医療費の低さ

(1人あたりの医療費は全国で7位,老人医療費は一番安い)

や長寿(男性1位,女性4位)の原動力なのでは?」などの質問が出された。

出浦氏は,それらが健診活動の成果であるとの見解を示しつつ,

「ぜひ,ともに学問的な検証作業を!」と,協力を要請していた。

 

PHCの考え方を実践

 

 病院見学の後,佐久病院から小1時間離れた川上村へ移動。

長氏(川上村診療所,佐久病院から派遣されている)の案内で,保健・医療・福祉の各

部門が統合された保健福祉の中核施設「ヘルシーパークかわかみ」および川上村診療所を

見学した後,川上村長の藤原忠彦氏,保健婦の菊池智子氏(南牧村在宅介護支援センター

ひだまり所長)から,当地の保健福祉の事情を聞いた。

両氏は特に「人の健康は医療機関が守っているわけではなく,

その地域の環境,人の交流に負うところが大きい」ということを強調した。

 

 本合宿の参加者の中には4名の留学生(ミャンマー2人,インドネシア1人,キルギス1

人)が含まれていた。

彼らは「メディカル以外の環境的な要因を重視していて,PHCの考え方に通じるところ

がある」と感銘を受けた様子だった。

また,他の参加者も「優れた連携システムを持っており,何十年の努力の積み重ねが感

じられる」と,半世紀におよぶ佐久地方での保健医療活動の地道な努力が結実した姿として,

川上村の現状を捉えたようだ。

 合宿中は夜も充実。

世話役を引き受けた長氏や色平氏らと合宿参加者は夜遅くまで,保健医療のあり方につ

いて議論を交わしていた。

 

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佐久総合病院

 

 1944年,産業組合(現在の農協)の病院として発足。

45年に同病院に赴任した若月俊一氏は,「農民とともに」というスローガンを掲げ,

出張診療や農村演劇などを通して農村に入り込み,地域に密着した保健医療活動を実践

した。

 若月氏は当時から「予防は治療に勝る」との考えを持ち,健康についての啓蒙活動を

重視。59年に始まる八千穂村全村健康管理,73年に開設された健康管理センターを中心とする

全県規模の集団健康スクリーニングは有名である。

同病院の医師には,県下各地へ赴き健康スクリーニングを行なうことが義務づけられている。

 

 開設当初は,1診療所にすぎなかった同病院は,現在,長野県下最大の病院(959床)

にまで発展した。地域住民の中に入り込み,住民のニーズを出発点とする医療を展開した

同病院は,まさに「地域医療のメッカ」と呼ぶにふさわしい。

しかし,それだけにその歴史は大きな広がりと重みがあり,一言で語り尽くせるもので

はない。

 

 同病院については多数の書籍があるが,同病院の内科医で芥川賞を受賞した南木佳士

氏による『信州に上医あり−若月俊一と佐久病院』(岩波新書)は,

若月氏と佐久総合病院の歴史がコンパクトにまとまっていて読みやすい。

若月俊一氏

東大卒。

学生時代から社会医学的関心を強く持ち,在学中および東大分院勤務時代に治安維持法

違反で検挙される。1945年3月に長野県,佐久病院に赴任。46年10月院長に就任。

約半世紀にわたり,地域住民の中に入り込み,住民と一体となった医療に取り組む。

現在,同病院名誉総長。75年農村医療に尽くした功績により「アジアのノーベル賞」

と呼ばれるマグサイサイ賞

を受賞。

著書『村で病気とたたかう』(1971年刊岩波新書)は地域医療を志す人間のバイブル的

存在だった。

 

(写真は,1973年第1回アジア農村医学会議で)

 

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写真キャプション

 

佐久総合病院

院内には,健康や病気,検査や治療について手作りのポスターがたくさん貼られている

 

院内に掲げられた合唱歌「農民とともに」

若月名誉総長作詞,松島松翠名誉院長作曲

佐久病院では折に触れて歌われる

 

今年の病院祭のポスター

 

佐久病院の病院祭は今年で54回を数える。

地域住民を病院へ招き,病院のことを知ってもらうと同時に,保健医療や健康について

さまざまな催しを開く。

健康増進活動の一環として毎年開催されており,多数の住民が参加する。

また,現在では,長野県内の多くの病院が同様の病院祭を開催するようになり,病院祭

は長野県内に定着するようになった

 

併設の「健康管理センター」を案内する出浦氏

「予防は治療に勝る」との考えから,1959年に八千穂村で始まった全村健康管理が発展

したもの。

1973年に開設され,全県規模の集団健康スクリーニングを実施している。

毎年の受診者は10万人を超える

 

川上村

 

診療所を案内する長氏

 

他の専門職や行政との連携の重要性を話す   藤原村長   保健婦の菊池氏

 

 

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http://www.so-net.ne.jp/medipro/igak/ より

 

「週刊医学界新聞」 第2392号 2000年6月19日

Vol.15 No.6 for Students & Residents

 

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