リレートークエッセイ“いま”をみつめる
(『生活と自治』02年5月号)

第10回のテーマは
「モンダ主義」から抜け出せ
色平哲郎

何か新しいことに取組もうとする際、こんなもんだ、
という「モンダ主義」による思い込みを打破することが必須(ひっす)、
と色平哲郎さんは言う。
また、何に取組むにも自意識の在り様が問われ、大切なのは、
世界の人々の人生がずいぶんと多様であることに気づくことだという。

いろひら・てつろう
長野県厚生連佐久総合病院内科、南佐久郡南相木(みなみあいき)村の国保直営診療所
長。
東大中退後に世界を放浪、その後、京大医学部へ。
無医村だった人口約1400人の同村に4年前、家族5人で赴任。
外国人労働者女性の生活・帰国支援にも力を入れる。
42歳。
「風のひと 土のひと」は、朝日新聞長野県版に68回連載された。



ひとりの人間として、広い世界に生きることが始まる21歳ーー。
ちょうど生まれ落ちた赤ん坊が、手に触れる外界のすべてのものを口に入れて確かめる
ように、
世界と新たに付き合うことが始まる。
世間とはこんなモンダ、他人とはこうやって付き合うモンダ、と決めてかかってはいけ
ないのだ。
摩擦を恐れず、時には反面教師としてでも、周囲の人々から学ぶ謙虚は姿勢が必要だ。
(「風のひと  土のひと」より)

日本社会がどういう顔をしているかは、学校にいてもわかりません。
いま、国語科とか英語科と同じように、「世の中科」をどうすればつくれるのかを、
知人とディスカッションしているところです。
社会科という一般的なものではなく、中学校あたりで「世の中科」を勉強して、
世の中の構造やしくみがわかるようになってほしいわけです。

というのは、世間がどうあるのかについて、大人になっても結構わからない。
で、辿(たど)り着く先が「モンダ主義」。
世間とはこんなモンダ、教員とはこんなモンダ、役人はこんなモンダとなるのです。
夢があっても、この「モンダ」にうまく染まることが在り様だとなると、
例えば医学教育について根幹にかかわるような議論にはまったくなりません。
最初は青臭い議論として、「医師はこうあるべきかもしれない」と思っていても、
議論をつくれず、「医者はこんなモンダ」に陥ってしまうのです。

私は医者です。
つまり、医者なのに医療を外から見る眼差(まなざ)しで「陥っているんだ」と言った
時、
医者たちは陥っているとは思っていない。
病識がない、事態がわかっていないんです。
社会構造の中で自分がどうなっているのかを学ばない。
ですから「世の中科」が必要だと思うんです。

医者は医療技術の専門家ですが、医療は医者だけにわかるというのは不遜(ふそん)な
考え方。
医療はみんなの眼差しが注がれていないと、まともに立ち行きません。
ところが、医師会がそれを推し進めてきたため、国民も「そういうモンダ」と思ってき
た。
「モンダ主義」の刷り込みです。
同じことで、行政は役人にしか、教育は教員にしかわからないーーとなる。
教科内容についても評価の在り様についても、受験もあるのだから、
そういうことは「専門家」にお任せするしかないとなってしまった。
ですから、「モンダ主義」の一方にはびこっているのが「お任せ主義」なんです。

「モンダ主義」は、「もう考えないでいい」という予定調和的な世界でもある。
ところが、そういう安定的なものを切り崩され、裸の自分として何かを考えなければい
けなくなると、
面と向かって根源的にものを考えて新たな領域に踏み出していく少数の人と、
喪失感の中で呆然(ぼうぜん)と立ちつくしてしまう人に分かれるような気がします。
そして、「昔はよかった。予定調和的だった。お任せしておけばよかった」
という郷愁が当然のごとく湧(わ)いてくる。
私はいま、巨大な長野県庁に対して色々と提言申し上げている人間ですが、
「復元力」を期待しつつ一方では、もう踏み込んでいくしかありません。
何か新しいことに取組もうとする際、
このような「モンダ主義」による思い込みを打破することが必須です。

なぜ医師を志したかとも問われた。
「とにかく医者にだけはなりたくなかった。
それどころか、鼻の高いこんなしょうもない連中を、
どうして世間は許しておくのかと思っていた…」。
そう振り返っているうちに、
大学中退後に世界各地を放浪した中でのさまざまな出会いを思い出した。
「学歴とは全然関係のないところで多くの人々が生きている。
そして、漠然とながらも医学というのはアジアや外国の辺境に行けば
民衆のために役立つのではないかと思った」と答えた。
(「風のひと  土のひと」より)

この村は、見た目には21世紀になっているように見えるでしょう。
でも、心象風景としては、「もののけ姫」の世界。
私以外はすべてムラの人、つまり土のひとだからです。
90歳代のおばあさんは一族の100人以上を自分で育んだことになる。
そういう人も看取(みと)る時は、「おばあちゃんらしい最期であった」
かどうかを、見ている人は見ているという世界なんです。
ですから、医療も介護も特注でなければなりません。
患者の個別性を大事にし、しかも、納得のいくような医療が求められている。
これをうまくやればすばらしい先生にもなれますが、主治医も大変ですよ。
しかしこれが医療の原点そのもの。
都会のようにドライになり、医者には医療だけをやってもらえばいいんだ
というのとは違いますね。

医師たちに対しては、医療の現場はどこにあるのかと問わなければならないでしょう。
医療の現場は白衣を着た私と患者さんの間にある、と考えがちですが、それは違う。
患者を看取る際の本当の現場は、残された家族の心の中にあるんです。
数年後に何が残っているのか。
看護職ではもっと長丁場でしょう。
看取ったあと10年もたってから、
「あのときの看護婦さんには本当に世話になったな」
と思っていただけるかどうかが醍醐味。
広い意味での福祉は、そういう目に見えづらいちょっとした価値を
どうとらえるかが重要なのでしょうね。
これは教育についても言えることです。


=====

リレートークエッセイ“いま”をみつめる
(『生活と自治』02年6月号)

第11回のテーマは

「人の見残したものの中に  大切なものがあるはずだ」

色平哲郎

教育について「愛情で与えて、経験で受けとるものだ」との諺(ことわざ)があると色
平さん。
また、人生では、ぶつかってみなければわからないことが多い、とも語る。
そして、若者や子どもたちにこんな言葉を贈る。
「世の中は一本の道ではない。いくつも道があり、行って嫌なら戻ればいいし、
遭難しない程度にいろんな道を歩いて行ったらいい」と。

いろひら・てつろう
長野県厚生連佐久総合病院内科、南佐久郡南相木(みなみあいき)村の国保直営診療所
長。
東大中退後に世界を放浪、その後、京大医学部へ。
無医村だった人口約1400人の同村に4年前、家族5人で赴任。
外国人労働者女性の生活・帰国支援にも力を入れる。
42歳。
「風のひと 土のひと」は、朝日新聞長野県版に68回連載された。

http://home.catv.ne.jp/hh/yoshio-i/Iro/01IroCover.htm



医療の現場は白衣を着た私と患者さんの間にある、と考えがちですが、それは違う。
患者を看取る際の本当の現場は、残された家族の心の中にあるんです。
数年後に何が残っているのか。
看護職ではもっと長丁場でしょう。(中略)
広い意味での福祉は、そういう目に見えづらいちょっとした価値をどうとらえるか
が重要なのでしょうね。
これは教育についても言えることです。
(『生活と自治』02年5月号)

教育界には「愛情で与えて、経験で受けとる」という有名な諺があるようです。
しかし「愛情で与えて」という部分は意味がよくわからない。
ただただ、熱意はあるんだ、と生徒たちに伝わったということなのでしょうか。
教え方が下手で全然わからない、そんなうちに終わってしまったのだけれど、
10年もたってから、「あの時の先生は、こんなことを訴えていたのだろうか……」
と思い起こしてもらえるかどうかが勝負なのかもしれません。

「愛情で与え(後日)経験で受けとる」のが教育なのだとすれば、
そこでいう経験とは長丁場の、しかも子どもの心の中での出来事ですから、
評価することは不可能でしょう。
ところが、そんな評価不能、表現不可能なものに対してわざわざ評価を下そうとする、
あるいは将来の地位やカネにつながるかつながらないかで直線的に判断しようとする。
これが、いまの教育のまずいところでしょうか。

医療界の場合は“白い巨塔”があります。
臨床の現場を持たず、医療実践と関係のない動物実験の研究で医学博士号を目指す。
大学の医局講座制と呼ばれるものです。
一方、民間病院では、医療機器を多用してカネを儲(もう)けるか否かで人を仕分け、
引き上げてきました。
教育ではどうかといえば、地域や子どもに向き合わないで、
昇進試験に目が向いた、そういう人を引き上げてきた可能性もあります。
これは中央集権的な管理の発想の結末ともいえるでしょうか。

敗戦直後の米国による諸改善は、医療についても教育についても、
明治国家のつくり上げた集権的な「お団子」状態になりやすい日本人を
様々に分断すべく制度を導入したはず。
そして教育に関しては、地方でこそ分権的な教育委員会制度を導入しましたが、
中央に文部省が存続して、内実は変わらなかったというべきでしょうか。

書いたもの、しゃべったものではごまかしが可能だ。
だが、生き方だけはごまかせない。
あらかじめの知識や肩書などで決め付けずに、世間の人々、
世界の人々の多様な思いと生き方に出会って学んでほしい。
人生には、ぶつかってみなければ分らないことが多い。
人の話にも、書物の中にもヒントはあるが、
自分の人生の「答え」は自分で見つけるしかない。
あてのない旅が人生そのものだとするなら、
「生きる力」こそ今必要なのだと思う。
(「風のひと 土のひと」より)

ですから、若者や子どもたちにはこう申し上げたい。
「世の中は一本の道ではない、いくつも道があり、行って嫌なら戻ればいいし、
遭難しない程度にいろんな道を歩いて行ったらいい」とね。
君のお父さんもお母さんも実はいろんな道を歩いてきた。
人間とはそういうものだ、と言ってあげたいですね。
私に対しては、「先生は大学を中退したとはいえ、
結局は医者になれたんだからいいではないですか」という反応もありました。
でも、医者になるかどうかはわからなかったのだし、
何になるかなんて最後までわかりません。
明日、死ぬかもしれないし、何らかの障害を背負うかもしれないわけですから。

人はぶつからないとわからない。
一度は、弱い立場になったり、困難を背負ったりしないと、
わからないことが多いのではないでしょうか。
交通事故の怖さは、ヒヤリとしてみて少しわかりますね。
勉強のできない子は成績の悪い子の気持ちがわかる。
わかるからこそ学校の先生になったほうがいいのに、現実はそうではなく、
先生にすり寄るとは言わないけれど、ティチャーズ・ペットばかりが上がってくる。
これは本来的に間違っている。
そんなのは競争でさえないと思いますね。
できない子どもの気持ちは、できない子どもにしかわからない。
患者の気持ちは患者にしかわからないのと同じです。

若い人は、若いうちにぜひ壁にぶつかってください。
それが自分にとっての壁だということが実感できたら、こぶしを傷めない程度に叩いて
みて、
「おれは壁にぶつかって、そして戻ってきたんだ」という、挫折体験が欲しいですね。
いまは、迂回に迂回を重ねてすべてのリスクを回避しながら上がってくるから、
「壁にぶつかった」と一度も思っていない人が多い。

世の中は非常に複雑で、しかもひどい情況です。
でも素晴らしいところもある。

「人の見残したものを見るようにしなさい。
その中に、いつも大切なものがあるはずだ」
「あせることはない。
自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
先は長いんだから」

これは、民俗学者の宮本常一(つねいち)が、15歳で奉公に出るときに父親から贈ら
れた
「家郷(かきょう)の訓(おしえ)」の一節です。
つまり、一般の人の見残したものの中にこそ学ぶべき価値があるというわけです。
こういうことを高校生ぐらいのうちに、
きちんとお伝えすることもまた、教育ではないでしょうか。
       

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リレートークエッセイ“いま”をみつめる
(『生活と自治』02年7月号)

第12回のテーマは

「お互いさま」「支え合い」の感覚

色平哲郎

「グローバリズムはフェアではある。
ただし、正論にすぎる」と色平さんは言う。
そして、立ち戻るべきところは故郷そのものだとも。

いろひら・てつろう
長野県厚生連佐久総合病院内科、南佐久郡南相木(みなみあいき)村の国保直営診療所
長。
東大中退後に世界を放浪、その後、京大医学部へ。
無医村だった人口約1400人の同村に4年前、家族5人で赴任。
外国人労働者女性の生活・帰国支援にも力を入れる。
42歳。
5月に『「風と土のカルテ」色平哲郎の軌跡』(まどか出版・山岡淳一郎著)が出版さ
れた。
「風のひと 土のひと」は、朝日新聞長野県版に68回連載された。

http://home.catv.ne.jp/hh/yoshio-i/Iro/01IroCover.htm



「均質化」とは実に、恐ろしい言葉である。
世界規模化するために、あらゆる文化的差異までも踏み潰(つぶ)しながら、
人類の同質化が進行するとしたら、まったくもって、格好いいどころではない。
グローバル・パラドックスという表現さえ登場したように、
グローバル化が進めば進むほど、かえって世界の「断片化」が進むーー
というパラドックス(逆説)も生まれているようだ。

世界中で頻発する民族紛争、宗教対立の一因には、
進行するグローバル化への反発反動もあるような気がしてならない。
国際化という言葉の裏の意味まで教えることこそ、
21世紀を生きる子どもたちへの「国際化教育」なのではないか
(「風のひと 土のひと」より)

私の敵は二つあるんです。
多数の「こんなモンダ」というモンダ主義に凝り固まった人たちと、
もう一つはネオリベラリズムです。
海外から押し寄せてくる、いわゆる正論の、高コストの日本社会に対する
グローバルな挑戦です。
日本中のさまざまな産業、医療も教育も確かに高コストです。
だからその挑戦から逃げられません。
中国も世界貿易機関(WTO)に加盟したことで、
経済合理性に従えば当然、日本市場に参入する。
それどころか、中国に生産拠点を移さないと生き残れなくなっています。
グローバリズムの論理的整合性ははっきりしていて、フェアではある。
ただし、フェアすぎる。
つまり正論にすぎるんです。
多くの信州人が田中康夫知事に抱いている思いと同じで正しすぎるんですね。

しかもグローバリズムの裏には、悪しき意味でのアメリカニズムがある。
村に住んでワンセットの行政を見ると、役場と小学校以外は、日本の中央集権的な、
お団子状態を分断する戦後の良き意味でのアメリカニズムでできたものです。
社会福祉協議会であり、PTAであり、教育委員会も然(しか)りです。
ところが、それに気づかずに換骨奪胎(かんこつだったい)してしまい、
今日に至っているのではないでしょうか。
そこに悪しきアメリカニズムが押し寄せてきているんです。

1月末からWTO交渉の新ラウンドが始まりました。
5項目の中には、農業とサービス分野がある。
サービスには教育も医療も入ると中央の官僚は言っています。
小泉首相はしきりに「構造改革」を連呼していますが、
あれは、WTO交渉を進めるために、国内をいかに
「ハーモナイゼーション」(平準化)し、異議が出ないように突っ切るためーー
というのが私の意見。
総務省が政策誘導して町村合併を進め、地方行政を合理化しようとしていますが、
小さい自治体があれば異論が出てくるからでしょうね。
町村合併は必至でしょうから村は消えてしまいます。

教育について文部科学省の政策誘導はグローバルな学力です。
もう一つ、ローカルということも打ち出していますが、中身はありません。
信州の山の村には分校があった時期があるから、
「地域の中で幸せに暮らす学力」というものがあり得ます。
私にとってそれは具体的、つまり、村の老人たちを知っているからです。

村のご老人は、まさに百姓たる、百の知恵と技を持っています。
田をつくり、水を引き、炭を焼き、養蚕や、造材伐採などの山仕事から、
子どもをとりあげ、家具をつくり、自分の家ぐらい自分で建ててしまう。
秋にはマツタケ山に行き、冬には猟をしていたから、
野や山の動植物に関してもほとんど知り尽くしています。

都会からやってきた私たちと比べて、実にアイデンティティーがしっかりしている。
つまり断固とした「根っ子」を持っていることに気づかされます。

グローバリズムが上陸してくる以上、立ち戻るべきところは故郷そのものです。
村の方々と接していると「お互いさま」「支え合い」の感覚が身近にあります。
普段、何気なく感じているものですが、このような共同体の持つ「よい部分」は、
都市生活では感じ取れませんでした。
もちろん、権威主義的、封建主義的でという「わるい部分」もあります。

私は地域通貨について講演し、「村や街のご老人方の生き方から学びとることで、
もともと地域にあった人と人との良いつながりを再構築しよう」と呼びかけています。
地域通貨こそ、その実現のためのたいへん、有効なツールであると感じていますが、
山の村では必要ないということを言うためにやっているようなものです。
都会ではこの「お互いさま」「支え合い」の感覚が失われた。
このことに気づいてほしいのです。

都会は、専門家やプロにならないと生き抜いていけない、お金に仕切られた空間だ。
写真を撮る人(カメラマン)、お金を勘定する人(銀行マン)……。
そうやって日常の一部をお金でプロに任せていくことは便利で楽ではあるが、
これに伴って失うものも実は大きい。
都会人は自分の「専門」を失ったら、アイデンティティーを見失うことになりかねない
。父と娘であるとかいった家族内の関係性のアイデンティティーは残るが、
人間それだけでは生きられない。
「あなたは何者ですかーー
あなたは自分の人生の持ち時間とお金を使って何に取り組むのですか」
という、人間の原点とそれを支える力量や技が問われている。
(「風のひと 土のひと」より)

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