“われ・われ”のケア

日本ボランティア学会 2000年度学会誌
18―29ページ



1)人が育つということ


色平 
 バブさん(バルアさんの愛称)は日本に来て何年くらいになりますか?

バブ 
 まず1976年から3年くらい日本にいました。
そして1993年に再び日本に来て、今年で8年くらいになりますね。

色平 
 最初に来たときと今、日本は変わりましたか?
日本人は日本の中にいるからな かなか気づかないけれども、
バブさんが最初にいた3年と現在までの8年とでは、
日本の経済状況もだいぶ変わりました。
たとえば戦後の若者たちと、高度成長のあとの若者とでは違いがあると思うんですよね。

バブ
 そうですね。
産業や技術が変わる。
考え方も変わる。
いろんなことが変わったけれども、
人間関係や人間の精神的なものはどうなったのでしょう。
私はそれがすごく気になるし、よく考えなければならないと思います。

たとえば近年、死亡率が下がって平均寿命が長くなり、
高齢化社会を迎えました。
高齢の方々をケアする必要性や制度的な問題がよく話題になりますし、
たくさんのお医者さんや医療従事者が、
デンマークとかスウェーデンに制度を見に行きます。
しかしそこで、
自分たちはどういうふうに日本の若者を育てればいいか考えているでしょうか。
老人の方々の心のケアができる人材を育てることができていないと思います。
おじいさんやおばあさんの話に耳を傾ける能力、
その時間あるいはその我慢が、若者にはとても必要です。

だから私は大学のゼミの合宿で、学生たちには老人の方々とただ1日、
ずっと過ごしてもらいます。
いっしょに村を歩いたり、わらじを作ってもらいます。
その目的は、若い人たちに年配の方々からの話の聞き方、
あるいは年配の方々への話の仕方を学んでもらうことです。

高齢化という変化をしている日本で、
ただ老人が歩けなくなったから車いすを作ってあげる、
それだけの話だったら私はちょっとさびしいなと思うんですよ。
老人の方々の心のケアのためにも人材を育てなければならないと、
いつも感じます。

色平
 経済的にも変わり、若い人たちも豊かです。
バブさんはときどき「かきくけこ」の話をされますね。

バブ
 日本は今まで、海外協力や開発援助で、
「か」「き」「く」をたくさん送りました。
「金」「機械」「車」ですね。
しかしそうやって送ったお金は、使われてしまってもうないでしょう。
10年も20年も前に送った機械や車は、もう壊れているかもしれない。
「か」「き」「く」の協力は長持ちしないのです。
それは国内の場合でも同じです。

学生がアルバイトなどでお小遣いを得ることは、今は当たり前です。
車で通学する学生もいるし、自分たちで好きなように旅行もできます。
海外に行く人も増えて、国際協力に関心があるという学生もいますが、
単に憧れている場合が多いです。
深い意味がないのです。
だから学生たちには、「け」と「こ」が大事だと言います。
つまり「健康である」ことと「志がある」こと。
「健康である」とは、世界保健機関が示しているように、
ただ病気がないことではなくて、精神的にも社会的にも元気であることです。
健康な人は、日本のことや自分のアイデンティティについてよく考えています。
「志のある」人たちを育てていこうとすれば、
ホリスティック(全体的)でスピリチュアルなケアがますます大切になってきます。

新幹線のスピードがどんどん早くなるように産業が発展しました。
しかしスピリチュアルなケアについては、
それとは逆方向にだんだん弱くなってきているのではないでしょうか。
若い人たちが深刻な問題を抱えたり、
人を傷つけるような事件をおこしたりすることとも関係があると思います。

色平
 どこでも自由に旅行できるような時代ですから、
若い人たちにとっても、いろいろな人とさまざまなご縁で結ばれるチャンスが
昔に比べて増えていると思うのですが、果たしてそうかな、と思います。

バブ
 昨日私たちは、私が日本に来たときに仲間として迎えてくれた人たちと
30年ぶりに会ったでしょう。
彼らは、バングラデシュ独立戦争直後のダッカで、
たまたま兄のお寺に来てお世話になったというご縁が、30年経っても続いています。
今の日本の若者はあちこち行くことができるけれど、
それをすごく短い目で見るんです。
ここへ行きさえすれば修士論文を書けるとか、長い目で考える気持ちがあまりない。
「出会い」とか「ご縁」という言葉は知っているけれど、
毎日の生活の中で実際には使われていないんですね。

色平
 昨日30年ぶりに会った人たちは、
バブさんが日本に来たときもお世話してくれたし、
大学での講演にも招いてくれました。
つまり、困っているときにも、成功しても、
どんなに立場が変わってもご縁が続いていますね。

僕の場合は、学生のころアジアを回ってバブさんに出会って、
その後もお付き合いが続いているし、
フィリピンの人やタイの人にお世話になったことを考えると、
日本にいるフィリピンやタイの人の生活相談に乗れたら、
と思う気持ちがあります。

バブ
 これまでは、
名刺交換をして商売になる人と付き合うことが大事だったんですね。
社会的に認められるためには、一生懸命働いて、
自分のポジションを上げなさいと教えてきた。
ご縁とか出会いを長い目で見て大切にすることを忘れたまま、
日本は経済大国だと言われるようになったようです。

色平
 昔の若者にはたくさんの縛りがあったと思います。
地域に縛られたりしていて、そこから逃げたいと思っていたかもしれない。
しかし、いろいろ大変な中で葛藤を体験して、自分自身の生き方を考えたと思う。

バブ
 今は便利な世界になりましたね。

色平
 子どもをダメにするには、
子どもが必要だと言う前にぜんぶ準備してあげればいい。
何にもぶつからないようにしてあげたら、いちばんひどくなるよ、
という話があります。

バブ
 私は毎年、医学生たちをフィリピンに連れて行きます。
フィリピンでは、最初の数日間、
保健所や日本の政府開発援助のプロジェクトを見学に行ったり、
フィリピン国立大学の学生たちと自分たちの勉強の仕方について話をしてもらったりし
ます。
そして、最後の日に学生さんたちをあるところに連れていくんです。
それはスモーキーマウンテン。
パヤタスというところにあるゴミの山です。
どのゴミの山もものすごく臭いですよ。
その山の中で、現地の子どもたちはゴミを拾って、これはプラスチック、
これはビン、と分別して、売ることで生活しています。

私は日本の学生たちに、「自分たちがなぜ医者になるかについて、
このゴミの山の中で考えなさい」と言います。
子どもたちといっしょに臭いゴミの山を歩きながら、
自分たちの生き方の意味を見つけてほしいのです。
私は自分の中のぶつかりがあったから医者になりました。
みんなが私と同じである必要はないけれども、
医者になるには理由が必要なのです。
  
現地でフィリピン国立大学の医学生たちから「あなたはなぜ医学部に入ったのか」
と尋ねられたときに、「何となく」「よく分かりません」ではバカにされます。
理由もないのに、どうして君は朝から晩までこんなに勉強してるの、
とすごく笑われてしまいます。
ある学生は自己紹介で、
「自慢じゃありませんが、私は勉強がいちばんできました」と言います。
成績がとてもよかったから、県の教育委員会に勧められて入学しました、と。
何のために医者になりたいとか、何のためにこうしたいという、夢がないのです。
ミッションがなくて、ビジョンがなくて、ゴールがどこにあるのか分からない。

だから私は学生たちに、「このゴミの山の中で自分たちの夢を見つけなさい」
と言うわけです。
将来こういう子どもたちの世話をするために、健康を守るために医者になりたい、
と思ってほしい。
スイッチひとつで何でもできる便利な世界で、
若い人たちには葛藤やぶつかりがありません。
それで、何のために何をしてるか分からない。
しかし、一人ひとりが自分でできることに気づいてくると、
自分たちで自分たちの将来をもっと広く深くしていくことができると思います。


2)自分自身をケアすること

色平
 昔は農業が中心で、村に人がたくさんいましたね。
きょうだいの数も多かったし、おじいさんおばあさんと接点がありすぎて、
もうこういう田舎はいやだ、という時代もあったと思います。
今はほとんどの人が都会に暮らすようになって、
家族や同年齢の人との付き合いばかりになりましたよね。
そうすると他の人の意見とか人生の経験を聞く機会も減って、
世間が狭くなったように思います。

バブ
 そうですね。
自分の育った地域はおじいさんおばあさんの時代にどういうところだったか、
それを深く勉強するチャンスがありません。
ということは、自分のアイデンティティを見つけたり、見直す機会も少ない。
私はどこから来たのか。おじいさんおばあさんはどういう苦労をして、
お母さんお父さんを育ててきたのか。
お母さんお父さんはどういう苦労をして、今の私がいるのか。
自分の足元を見直さずに、今日の次は明日、明日の次は……、
と楽しく一日いちにちを過ごしても、ただ明日が来るだけでしょう。
でもその楽しさのうしろに、美しさや深さがあることを忘れたくないですね。

色平
 日本は今、曲がり角にあると思います。
今の日本を築きあげた人たちのご苦労が若い人に伝わっていないと、
そのうち難しい立場になるかもしれない、と私は心配しています。

バブ
 曲がり角にあるときには、車を1回止めて信号を待つでしょう。
それはたった30秒かもしれないけれど、待つということは、
自分が今どこにいるのか、足元を見直すということですね。
自分が左に行くか右に行くのかを考えて、また進むわけです。

私は日本の方たちにたくさんお世話になりましたが、
そこで責任を感じたというか、お世話になった方々から受け取った気持ち、
あるいは生き方についての教えのことを、
自分のためだけに持っていたらもったいないと思った。
私が10人のお世話をしてさし上げても、
その10人から私一人がお礼をいただいてしまったら、
それはもらい過ぎです。
お互い様ということが大事です。
  
だから私は日本の若い人たちに、
私を導いてくれた人生の先輩たちの気持ちを少しずつお伝えしていきたいのです。
あなたは左に行った方がいいかもしれない、でも自分で検討してみなさいとか、
右に行った方がいいか私は分からないけど、きっとこういうことがありますよとか、
まっすぐ行けばこういうことがありますよとか。
曲がり角にいて「道」を示したり、
若い世代の人たちの心に少しずつ火をつけるようにしていれば、
いつかきっと私の感謝の気持ちが私を導いてくださった人々に届くと思っています。

色平
 バブさんのふるさとのバングラデシュは、洪水が多いでしょう。
洪水のときに自分たちのコミュニティを守るために若者が活躍することが、
バングラデシュにもあると思います。

かつて日本にもありました。
一人ではできないことを何人かで力を合わせてやる。
それでもできないことを国などのレベルでやる。
そういうふうに大中小のレベルでそれぞれの取り組みがあったようですね。
中でも、自分の力で取り組むことと仲間でやるレベルとが大切ですが、
今の日本ではそれがなくなってしまって、
大きなところに全部おまかせするようになってしまったようです。

自分の村を守ることは自分たちの責任でもあり義務でもあるという感覚が
薄くなったような気がします。
しかし昔のほうが良かったという意味ではありません。
昔の村の若者はみんなが消防団や水防団に入り、
兵隊みたいな仕事をしなければいけなかったのですから。

バブ
 私も子どもの頃、村の道が洪水で流れてしまうと、
土のうを頭の上にのせて運んで、また道を作り直しました。
若者たちはみんな参加しましたし、今もやっていますよ。

「“われ・われ”のケア」の“われ・われ”というのは、
たとえばお昼ごはんを作る若いお母さんと、
それを召し上がるおじいさんおばあさんたち、のことです。
バングラデシュの村にはそうしたお互い様の関係が残っています。
つまり30年経ったら、この若いお母さんもまたおばあさんになりますね。
自分がおばあさんになったときには、次の世代の若い人たちに、
“われ・われ”の仲間として参加してもらわなければなりません。
自分たちで自分たちのケアができていなければならないのです。

色平
 山の村にいると、お互い様、ということがよく分かりますね。
私は医者として、あるおばあさんのことをとても心配していますが、
そこには独り暮らしのおばあさんの家にふった雪の
雪かきをしてあげるのは誰なのかな、という心配も入っています。
つまり、「病気」や「障害」の後ろにある「人間」や「生活」
について感じとることができるような、
また感じざるを得ないような環境に暮らしています。
村にいると、病院での医者としての仕事だけでは気づかないことにも
気づくようになりました。

私は、弱い(といわれる)人をケアすることを通じて、
ケアすることによって教えていただいたことが多いと感じています。
いつも一方的に世話してるばかりではない、というのが、
村での分かち合いや、お互い様の感覚ですね。

「自分は弱いものだ」と思うことができたら、
そのうち自分も誰かに世話してもらうこともあるだろうな、
ということに納得できるでしょう。
大自然の前で、人間は弱かったじゃないですか。
バングラデシュで洪水がおこれば、今も人間は弱いですよね。

バブ
 そうですね。
人間は自然の中で弱い。
その弱い人間が大自然の前で、分かち合いの世界を作り、
どのようにお互い様の生き方をしていくか、
それを考えなければならないと思います。

ある人は自分がとても強いと思っている。
しかし、その強さは誰のためにあるのだろう? 
その強さが自分のためだけのものだったらおかしいと思います。
ケアに取り組むことによって逆に教えられる――
そんな関係が伴わないままだと、
人はだんだん自分のできることばかりを考えてしまうようになります。
お互い様の世界、分かち合いの生き方こそ「“われ・われ”のケア」
だと私は思っています。

色平
 自分にできることをして差し上げようという気持ちは、
村では必ずしもお金におき替えていないんですね。
最近では地域通貨といった、
外部に持ち出すことができないお金の仕組みがあちらこちらで
始まっているようですが、それは、
昔ならば村内で自然にやっていたことの価値を、
目に見える形に取り出したものだと思います。
バングラデシュでもうちの村でもそうですけど、
お互い様でやってるときには地域通貨はいらないんです。
誰がどんなことをできるのかバブさんは知っているし、
またバブさんのできることを他の人は分かっている。
そして、それをお互いに依頼しやすい関係があります。
ところが、都会に人が出てきて、誰が誰だか分からなくなってしまうと、
私にはこれができます、私はこれをやってほしいと声をあげ、
それをうまく合致させないと物事が回らなくなった。
そこで地域通貨という新たな仕組みが出現し、
期待を集めているのではないでしょうか。

バブ
 私は若いとき、日本で医療を学ぶために
いろいろな先生に相談させていただきました。
そういう方々に私はお金を払ってはいません。
しかし、いろいろなことを、生き方の材料としていただいて、
今の私の生き方につながっています。
それはお金では買うことのできない財産です。

友人がたくさんいて、心、
つまり信頼関係でつながっていることこそが大切だという意味をこめて、
私はよく「金持ちより心持ちになろう」と申し上げています。
昔はみんな貧しくてお金持ちになりたかったけれど、
今こそお金持ちになったはずなのに、
心持ちではなかったことに気づいてしまった人が多いのではないでしょうか。


3)人間として人間の世話をすること

色平
 人間として人間の世話をすることが大切だと、バブさんはおっしゃいます。
これは同じ人間であるということを認めているということと、
それからお医者さんだから人の世話ができるというわけではない、
ということですね。

ケアの文化というのは、どうやって人と人との関係ができあがっているか、
ということへの気づきだと思います。
大きな強い自然の中にバブさんと私がぽつんぽつんといて、
われ、と、われになっているときに、この中でお互い様をやるのはちょっと難しい。
また、村だったらある程度人間関係ができていて、あの人はこういう人だし、
こういうときに困るだろうって分かるけれど、
見知らぬ人が集まってきて都市が作られているときにお互い様ができるためには、
うまく紹介しなければなりません。
私たちは昔に比べて機械の性能がよくなった分、
自分で何でもできてしまうような感覚になって、
お互いに支えあって生きていることに気づくチャンスを失いつつあるような気がします。
「“われ・われ”のケア」というのは、
それぞれの私と私との間がどうなっているかについて考えましょう、
ということかと思う。
人と人の間――関係性(interrelation)というものがいちばん大切なのではないか
と感じます。

今、ケアをする人はケアをする人、ケアをされる人はケアをされる人、
となって一方通行になり、不安を感じている人もおいでになるでしょう。
たとえば、自分がこうやっておじいさんおばあさんの世話をしたのと同じように、
そのうち自分も世話してもらえるかどうかは――分からない。
お互い様、にならないかもしれないという不安感です。
そのへんはいかがですか。
バングラデシュの、貧しさの中でみなで支えあっているところへ、
外部からお金が入ってきて、お金持ちがそうでない人に施しをする、
というような一方通行のやり方が成立してしまうと、どうなっていくのでしょうか。

バブ
 それはバングラデシュとか日本だけの問題ではなく、一般的な人間の問題です。
私は階段状のカリキュラムで医学の勉強をしました。
最初に助産士、そのあと看護士の勉強をして、
それから地域医療を専攻し学位をもらって、医者になった。
医者になってからさらに、修士号と博士号をとりました。
レイテ島で助産士の勉強をしたころ、215人くらいの赤ちゃんを取り上げました。
赤ちゃんに予防注射をしたり、赤ちゃんのお母さんのお世話もしました。
次に看護士として、そして医者として、患者さんの世話をしながら、
いつも頭の中で「白衣の壁」のことを考えていました。
自分と患者さんの間には、何かギャップがあるかもしれない。
「人間として人間の世話をする」ために、自分自身を準備しなくてはならない。
自分の生き方を見直さなければならない、と感じるようになったのです。
だから学生たちに対しても、このことをお伝えしようとしています。
医者や看護婦は、目の前の人を単なる「患者」として世話すればよいのではなく、
人間として人間の世話をする、という視点が大切です。

色平
 日本の医学生たちは大学を卒業すると、
すぐに病院で「先生」と呼ばれることになり、
自分と周囲の間にどういう「白衣の壁」があるのか気づく機会もないのです。

今日はケアの話ということで、高齢者問題かと思った人もいるかもしれませんね。
しかしご老人が主題なのではなくて、若者こそが主題であるべきだと私は思いました。

その若者もまたいずれ年老いる、という当たり前のことに、
気づくことができないような社会の仕組みだったり、
お金の仕組みだったりしている現状に危機感を感じます。
若い人が年配者のケアに取り組みながら、そのご縁を生かして学ぶことができたら、
人々の孤独や所在なさといったことが社会問題のようにまで
ならずとも済むのではないかと思います。


4)スピリチュアルケア

色平
 さて何年か前に、NHKで「ザ・ブッダ」という番組がありました。
仏教が生まれて2500年、
日本に伝わってくるまでのいろいろな道筋を紹介する番組を制作するにあたり、
担当ディレクターは、医者でもあり仏教者でもあるバブさんに相談に来たそうですね。
私がいちばん感動したのは、バングラデシュの村外れで、
おばあさんが亡くなりそうなところへ、お医者さんではなく、
黄色い衣を着たお坊さんが歩いてやってくるところです。
決して車ではなく歩いてきて枕元に座り、その場で「人は死ぬものです」と説法する。
このようなことは仏教の当たり前の姿なのですが、
日本の現状では考えることもできないような状態になっていることに気づき、
スピリチュアルなケア、「魂のケア」という意味において、
日本こそ貧しいのかもしれないと感じました。
バブさんは番組制作にあたって、
どんな気持ちでこのような現場を紹介されたのでしょうか。

バブ
 ディレクターの方が相談に見えたとき、
私は「番組を通して、年配の方々には死に方を、
若い人たちには生き方を教えてあげてください」と申し上げました。
すると彼は3回ぐらい私の顔を見ながら、
「年配の方々には死に方を、若い方々には生き方を……。
一つの番組で両方ともに見せるというのは難しいですね」と戸惑っていました。
私は「では、年配の方々の死に方を見せながら、
若い人たちへのメッセージを伝えてください」と申し上げました。

バングラデシュの村だけではなく、
アジアの国々には生き方と死に方の「道」がたくさん残っています。
たとえばフィリピンですが、カトリックの国を考えてみましょう。
人がターミナル状態になると、神父さんを呼んできてミサをやります。
そこでは、あなたは今まで生きてきた間にこんなことをしました、
あなたのお蔭さまでこういうことができました、ということをお話します。
どんな人であってもその人が今までやってきたことを、
まとめてお話をするのです。
それはもう耳には入ってないかもしれない。
しかし、これはスピリチュアルケアの一部です。

仏教の国ではお坊さんたちは皆、歩いていきます。
カンボジアの小さな村の、さらに奥にある、
メコン川の中州の小さな島にまでお坊さんが歩いていくのを見て、
びっくりしたことがあります。
もちろん車に乗ってきてもいいけれど、スピリチュアルケアというのはその志、
心の根っこがどれくらいあるかが問題でしょう。
そういう意味で、日本のお坊さんたちはよく悪口を言われていますね。

私が担当のディレクターに、生き方と死に方の両方の道を見せるべきだ、
と言ったのは、日本の社会ではスピリチュアルケアの現場、
そういう場面に遭遇できなくなってきてしまっているからです。
それは実に大きな問題だと思います。

色平
 われわれは2人とも医者ですけれども、
命を引きのばし続けるためにお金や機械を使うことに対しては、
ちょっと難しいと考えている立場です。
私が日本で接したタイの方々の中には、結核やHIV感染症の方もいました。
私は、医者としての力では治しきらないような病気を抱えた彼らの
スピリチュアルな部分をケアできればと考え、
タイのお坊さんを日本にお招きしました。
そのときは、長野県の東部佐久地方から長野市の善光寺まで、
黄色い衣を着たお坊さんたちが歩いて行脚しました。
タイの方々はそれを見て、表へ出て拝んでいました。
たとえ病気になっても、死にそうになっていても、
仏教の力が彼らの心を癒す働きがあるということに私はとても感動し、
いっぽうで日本人には今それはないのかもしれない、
ということを寂しく感じました。


5)ボランタリー・コミュニティ

色平
 ボランタリー・コミュニティという言葉、
カタカナで書いてあると分かりにくいですが、
お互い様とか分かち合いという意味だと思いますよ。
もともと日本の村の中にあったことでもあり、
あるいは現在のアジアの村にも普遍的に存在することに目を向けて、
足を運んでそこに入って、ご縁をつないでいくことだと思います。
それは、自分が歳をとってから世話をしてもらうようになること、
あるいは現在の自分のおじいさんおばあさんたちの昔語りを伺いながら
お世話をするということにもつながると思います。

バブ
 そうですね。
お坊さまが歩いていって誰かを看取る――
そんなことは、今の日本の社会ではなかなか考えられませんからね。

色平
 ボランティアというのは──
仏教もそうかもしれないけれど──、
ひとりの人間として目の前にいる人に関わる中で
さまざまな気づきの段階があり、
最後には結局自分に帰ってくるものなんでしょうね。
自分のおじいさんおばあさんの世代、あるいは私の子どもの世代、
さらにその子どもの世代、 そして地球環境といった、
ちょっと自分の一生では測りきれないものに対して取り組みをし続ける、
そんなことに意味を見出す人生観があることを、私たちは考えて
みるべき時期ではないかと感じます。
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