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   シンポジウム「私たちが変える」

 

 

信州・南相木のいろひらです

 

2000年11月3日、埼玉県の東京国際大学の学園祭に招かれ、

友人のバングラデシュ人スマナ・バルア医師といっしょに講演しました

 

 

以下はその一部です

ご笑覧ください

 

=========

 

バルア氏  

 

みなさんこんにちは。

 

皆さんのお手元に、私のことについて書いてある朝日新聞の記事がありますので、

今日は自分自身のことはあまり言わずにおくことにします。

 

私は、ふるさとを3つ持っています。

第一はもちろんバングラデシュ生まれですから、バングラデシュです。

 

2番目は日本です。

25年前に最初に、日本に来ました。

日本の進んだ医学を勉強しようと思っていました。

 

その後、残念ながら日本の医学がとても専門的なものになってしまっていることを知り

ました。

日本で医学の勉強をしてしまったら、

自分の国に必要な機械を持ち帰えるのは無理だろうな、と思いました。

 

私の村にはきれいな水がありませんし、電気もありません。

つらいことですが、それが現状です。

機械に頼った医療では人々のために成り立っていかない、と感じました。

 

そこでアジアの他の国で医学校を探しました。

最初は働きながら、医学の勉強をしようと思っていたんですが、

結局”外国人労働者”になってしまったんですよ。

 

もう25年も前のことです。

中央高速道路の小淵沢インターチェンジを造ったり、

八ヶ岳のふもとの富士見高原でゴルフ場の草を植えたり、

そんなことをしながら、自分の基礎をつくりました。

 

二ヶ月ぐらい日本でアルバイトをしてお金をため、シンガポールに行ったり、

マレーシアに行ったり、また帰ってきて、

「この国にはわたしの勉強したい学校がない、、、」

 

ずいぶん悩みながら、自分の”道”を探しました。

フィリピンのレイテ島で、ついに自分が勉強したい医学校が見つかりました。

先ほどみなさんがおっしゃっていたSHSです。

1979年に入学しました。

 

フィリピンに行き始めたのは1977年でした。

当初フィリピン人のために医学校を作ったものでしたから、

外国人として受け入れてもらった私は、まったくの例外でした。

 

順番に助産士、看護士の勉強して、それから医学部の勉強をしたんですが、     

 地域の中で暮らして全部で10年間かかったんです。

レイテにいる時は村から村まで歩いて、215人のお子さんの出産に立会い、援助しま

した。

 

そのあとバングラデシュに戻って、

医学部で教えながら地域保健医療活動をしていました。

92年から東大医学部の大学院に来ることになりまして、

今では東大の大学院や国際医療福祉大学で教えています。

 

最初に、ふるさとが3つあると申し上げたのですが、

最後の一つはフィリピンです。

勉強をして医者になったフィリピンが、私の第三のふるさとになりました。

 

 

学生さん方に申し上げたいことは、”現場に行かないと何もわからない”、ということ

です。

 

先生方や学生さん達もよく申し上げるエピソードですが、

神戸の大地震のしばらく前に、

神戸市の教育委員会のご招待で、高校の先生方にお話をしたことがありました。

 

アジアの子どもたちの教育と健康問題、そういうテーマでした。

私は講演の1時間半の間に何回も繰り返して、アジア諸国では、ミャンマーでは、フィ

リピンでは、

お水はこういう問題です、とスライドを見せて申し上げました。

 

すると後ろの方から一人の先生が手を上げて、

「日本人を馬鹿にしないで下さい」とおっしゃいました。

私は、何もお答えできませんでした。

 

「いや、ここにおいでの先生方はみんな頭の良い人たちですから、一回で分かりますよ

。お水は大切、それはそうですよねえ。」と言って、出て行っちゃったんです。

 

その後1年ほどして、神戸で大きな地震がありました。

地震から3週間の後、その先生から私に電話がありました。

 

「バブさん、お元気ですか。今日は謝りの電話です。」

私は困ってしまいました。

「そんなことありませんよ。

先生、また皆さんお元気ですか、おけがはありませんでしたか。」

 

「いやいや、今日は謝りの電話です。」

 

「私はお風呂が大好きな人間です。

生まれてからこのかた、毎日お風呂に入ってきました。

しかし、地震の後3週間もお風呂に入ることが出来ないでいます。

お水が大切だと、今はっきりわかりました」と、。

 

人間は、何かにぶつからないと本当の理解には達しない、

という教えだな、と感じました。

 

 

私はこちらのゼミの学生さんたちには、

「レイテ島に行って、下痢になって来てください。」

と申し上げています。

 

なぜでしょうか?

 

現地の人たちがどういう思いで、どういう風に暮らしているか、

それを学んで来てほしいからです。

現地でのニーズと人々の気持ち、人間としての気持ちを学んでください。

 

生き方、そこの土地の文化や習慣、歴史を学ばないで、

ただ、「協力しに来ました。」

「僕は専門家です。」、、、

 

そうじゃないんですよ。

みなさん、そうではないんです。

 

皆さんは国際関係の勉強をしておいでになるんですから、

その国の文化や習慣については、

「フィリピンのどこそこへ行ってきました」

とおっしゃる前に、事前に具体的に学ぶべきです。

 

 

今までの日本は、「か、き、く」の国際協力をして来ました。

 

か、お金。き、機械。く、車、、、

お金があるから、機械と車。

 

あるいは

「僕は日本から来ました。専門家です。よろしく、、、」

繰り返しますが、そうじゃないんです!

今まではそうやって来ましたが、それでは長持ちできません。

 

「け、こ」の若者、健康(け)で志(こ)を持った若者を

育てて行かなければならない。

このことに、私は期待しています。

 

皆さんが国際NGOとして関わって行きたいということには、

以上のような難しい課題があるんだ、と気づいてくださいね。

 

 

親しい友達に、「世界で1番美しい場所はどこですか」、と聞くと

「貧乏の中です」という答えがありました。

 

「ゆったりしている間に、誰かにお食事ができましたよ。」と。

 

ミャンマーかカンボジアか、、、

にこにこしている間に食事がでてくるんですよ。

私はそういう世界になることを望んでいます。

お金ばかりではない、”人情”のようなものでしょうか。

 

国籍を超えたところで、人々を理解した上でなければ、国際協力は長持ち出来ません。

それが私が申し上げたいことです。

ミャンマーで、いろいろぶつかって体で覚えて下さい。

 

 

もうひとつ若い人たちに申し上げたいこと。

それは、しっかり自分の足元を見ることです。

日本人として、自分の人生をしっかり生きていきたい、

そういうアイデンティティーを自分のものとして持つことです。

 

ある看護学生さんが半年ほど前私のところに来て、

「ベトナムに行きたいんです。

誰か紹介してください。

自分がどういうふうに国際協力ができるかを見に行きたい」

と言いました。

 

私が、

「あなたはまだ、国際協力ができる人間になっていません。」

そう言うと、彼女は真っ赤になってしまった。

 

いや、とても大事な点です。

何を学びに行くのか、それをはっきりして下さい。

 

現地に行くと、いろいろぶつかって悩むんですよ。

たとえば、日本の国内でも鹿児島と北海道とは違うんです。

同じように家族の一人一人も違う。

人間は一人一人が違う。

 

現場では、あなたがどういう人間か、それをあなた自身が知った上で、

初めて友達ができるんです。

そうして初めて「協力」もできるんですよ。

 

国際協力の原点はここにあるんです。

ですから、若いうちにさまざまな場所に行っていろいろ触れてくることは、

とてもすばらしいことです。

 

 

例えばレイテ島では、、、

レイテ島の医学校では、先生方は教室の後ろの方に座るんです。

学生たちが発表している間、ずっと聞いています。

最後の15分だけは先生の講義の時間ですが、

後は学生たちが自分で学んで仲間に発表します。

 

下羽ゼミと同じように先生は後ろに座っているんです。

こういうやり方を見ているうちに、

学生自身が変わっていくんです。

自分でこういう努力を現場でやるんだ!と。

 

今日は学生さん方の話をいろいろお聞きしたいと思っています。

 

小さいところから始めて、

ゼミの活動を5、6年間でここまで広げておいでになったことは、

すばらしいことだと思います。

 

学生さん、後でお話しましょうね。

 

 

 

 

 

 

色平氏   

 

はじめまして。

 

長野県の山の中から来ました色平(いろひら)です。

 

バブさんはとても苦労して、そしてお医者さんになりました。

今ではWHOの仕事また、

日本のお金をどのようにしたらアジアの人々のために使うことができるか、

その相談を引き受けておいでです。

 

どうやってバブさんがそういう人になったのか。

それは、苦労したからですね。

様々な旅をして、”壁”にぶつかって、その中で苦労しながら、

人々の生き方を自分で学びとった、ということです。

 

今日皆さんは、「私たちが変える」、とタイトルをこの頭上に大きく書いていますね。

これは正しいことです。

若者が”世の中を変えたい”という気持ちです。

しかし同時に私たちは、”自分自身が変わる”、ということも考える必要があります。

 

私はアジアのいろいろな所を旅して、人間は変わる、ということを実感しました。

皆さんにも同じようなことを体験していただきたい、と思います。

 

後ろの入り口のところで「未来への発信」という本を見て、私はとても懐かしく感じま

した。

この本に出会ったことが、私と下羽先生が出会ったご縁につながりました。

そしてバブさんをこちらの大学に御紹介することで、こちらのゼミでさまざまな活動が

始まった、

ということを伺っております。

ですから、皆さんの活動の評価ということに関しては、

私は”最初の種”をまいた人間になりますので、うまく評価しきれないのです。

 

しかし、このような場にお招き頂いたこと自身非常な驚きでもあり、

世の中はどんどん変わる、自分自身も変わる、ということを実感できる機会になりまし

た。

 

皆さん、ODAのお話をしておいでになりますけれど、

ODAの総額はお金として、どのくらいになるんでしょうか?

皆さん勉強したことありますよね。

 

だいたい1兆円ぐらいですね。

 

税金など国の一般会計からくる分が1兆円です。

事業ベースでは1兆8千億円ほどでしょうか。

 

1兆円って、どのくらいのお金なんでしょうね。

日本のGDPはほぼ5百兆円くらいですので、

日本人の総収入の5百分の1をODAにあてていることになるでしょう。

 

一方で日本人の持っているお金はいくらでしょうか。

知っていますか?

金融資産として持っているお金は1千3百兆円くらいです。

ですから、毎年のGDPの二倍半くらいのお金を貯金として持っているわけです。

 

しかし、ただ「お金持ちだなー」と思っちゃいけない。

その半分の6百5十兆円分が、国および地方の借金としてあるんです。

6百5十兆円はどれくらいのお金でしょうか?

 

どうしても今の世の中では1万円札ではなくてドル札で計るんです。

ドルに換算して、ずっと1ドル札を積み上げます。

どれくらいの高さになると思いますか?

 

地球から月まで行って、帰りの途中までの距離のお札が積み上がりますよ。

 

日本人はお金をたくさん持っています。

”人々”はお金持ちです。

しかし、”行政”はたくさんの借金を抱えている。

1年間にもうかるお金として500兆円があり、

その500分の1を国際社会に出している、とこんな割合です。

 

どんな理念で出しているんでしょうか?

それはもちろんいろいろな考えがあるんです。

 

 

私とバブさんはお医者さんです。

お医者さんにとって、こういった問題に取り組んで何になるんでしょうか?

 

私はお医者さんがいない山の中で内科医をやっている者ですが、

同時に国際保健、インターナショナル・ヘルスというものを目指している人間でもあり

ます。

 

インターナショナル・ヘルスは、お医者さんや看護婦さんだけではなく、

ここにいる若い方の誰でもが参加できる学問、取り組みだと思います。

 

インタ−ナショナル・ヘルスの敵、というか対抗すべき相手としては、

貧困であったり、内戦であったり、時には飢餓であったりします。

 

地球の上にはよくあるんですけれども、日本の中で、比較的忘れられがちなこれらのこ

とがらについて、

何が原因なんだろうか、どのようなことを我々はできるのだろうか、、、

と考えていく必要があります。

そして「私たちが変える、私たち自身が変わる」というところから、

次第に日本人のお金の使い方、そして日本の若い人たちの活動の仕方を考えていけるの

ではないかな、

と思っています。

 

 

お医者さんの世界は非常に狭い世界ですね。

そういうところで、わたしは”悪い医者”と言われています。

 

私やバブさんもそうですけど、

様々な病気になったバングラデシュ人やタイ人が私たちを頼ってやってきます。

どうしてそういう人たちを診るんだろう?

お金にもならない”趣味的な”ことをやって病院に赤字を作る、悪い医者である、と言

われます。

当然だと思います。

 

だって、言葉も通じない外国人を、HIV感染した結核患者を入院させて、

病棟で患者が鼻血を出したりすれば恐ろしい事態ですからね。

私は医者としてのキャリアを積むためにそれなりに苦労しました。

 

一般のお医者さん方の考えとはかけ離れたところまで取り組むことで、

ずいぶんいろいろなことに気づきましたよ。

 

 

今、私は長野県の山の中で医者をしています。

そこは国道も鉄道もないところなんです。

 

皆さん、”もののけ姫”というビデオをご覧になったと思いますが、ああいうところで

す。

古い鉱山があったりします。

標高が高くて米が取れないところで人々はどういう生き方をしてきたか。

高度成長の前の日本人の生き方があります。

 

そういう高齢化した山の村でご老人の世話をさせていただいているんですが、

今のような豊かな日本国になる以前の思い出話がたくさん伝わっています。

 

どうして、信州の山の村に飢え死にがあったり、娘が身売りするようなことになったの

か。

あるいは、それが故に村を分けて満州に開拓移民に行かなければならなかったのか、

引き揚げて帰ってくる時にどういう苦労があったのか、こういったことを、

それぞれの体験者が語ります。

あるいは身体に染み付いた傷跡を通じて、

私は医者として思い出を”聴き取る”ことがあります。

 

思い出話を語ることを通じて、ボケてしまったはずの頭がさえてくる人もいますよ。

そういう”思い出療法”に毎日取り組んでいるわけです。

 

そういう、人々が見落としてしまいがちなこと、

現代の日本人が気付かなくなってしまったようなことの中に、

非常に大事なことがある、ということに気付かされました。

 

最初は分からなかった。

私は東大を中退しましてね、

親不孝な人間として、ずいぶん母親を悲しませました。

遠くへ旅をしたこともありました。

東京から新潟まで歩いて行ったこともありましたよ。

 

様々なところを交通機関に頼らずに、歩くこと、峠を歩いて超える苦労、

またその時にふれた人情味が自分に戻ってくる、そんなことを感じたものです。

 

だから、皆さんはゼミでも行動するかもしれませんけれど、

ぜひ個人の資格で様々なところを旅して欲しい。

 

いろんな事にぶつかって欲しい。

そのぶつかる中で、生き残るためにはどういうものが必要なんだろうか、

とかいろいろなことを考えてください。

 

お金が無くなってキャバレーでボーイをやったこともありました。

そのキャバレーは、当時はまだフィリピン人女性が日本にやって来る前の時代でしたの

で、

沖縄の女の子たちが働いていました。

オーナーは朝鮮の人でした。

そういう”水商売”の裏も見たこともありました。

 

今日お配りした私の資料の中にも「水商売」の記事があります。

朝日新聞のインタビュー記事の次のページです。

ぜんぜん別の意味での"水"商売ですね。

 

そしてまた一枚めくっていただきますと、5ページに

バブさんのホームページのURLが出てきます。

 

http://home.catv.ne.jp/hh/yoshio-i/Bab/01BabCover.htm

 

ご覧になっておいてください。

 

私が山の村でご老人のお世話する時に感じた、

さまざまな”老いの姿”についても書いておきました。

以下は、長野県版の朝日新聞の連載記事です。

 

 

「下のお世話」

 

人のつながり、わかる瞬間

 

患者さんの下(しも)の世話を医者が担うことは少ない。ふだんは看護婦さんまか

せとなっている。

しかしある特別の場面で、印象的な「大便(だいべん)様」との出会いがある。

 

皆さんはご存知だろうか。

 

それは亡くなった患者さんのご遺体の最後のケアする時である。

最近では自宅でご老人を看取(みと)ることが少なくなったせいだろうか、

この大事なケアについて無頓着というか、ご存じない家族に時々おめにかかる。

 

度重なる往診に続いて、いよいよ私たち医師があたまを下げたとき、どうしよう。

つまり90歳代のご老人が、たとえば皆さんのおばあさんが、ご自宅で息をひきとった

際、

皆さんならどう動かれるだろうか。

 

しばらくの間をおいて、私はご老人の肛門に綿をつめ、女性であれば陰部にもつめ、

鼻と口にも綿をつめて、下あごをきちんともちあげて口を閉じるようにする。

そしてからだをタオルで清めてから、両手を胸の上で組んで固定する。

時には硬直がくるまでの間、紐で固定することもある。

 

この一連の「作法」を故人が喜ぶのかどうか、全く不明である。尋ねようもない。

しかしある時、数時間家族まかせにして、ふとんが大便だらけになったことがあるので

、私としては、積極的にとりくまざるをえない。

 

また、私ひとりでこの作業をすることは稀(まれ)で、ほとんどの場合その場に居合わ

せている

女衆(おんなしゅう)、つまり動けそうな女性方に声をかけて、いっしょに取り組むこ

とが多い。

 

なぜ女性に声をかけるのだろう。

それは無難だからであるが、この、うんちだらけになる作業がはじまるときが、それぞ

れの家人と

故人になった方との、人間的なつながりのありようがよく分かる瞬間なのである。

母親を慕う息子は、すすんで身を乗り出して取り組むし、台所にかくれてしまう何人か

もいるわけだ。

故人と各人との長い長いつきあい、他人には容易に介入できない人生の総決算の時、と

私は考えている。

 

前後して、私は村の診療所にもどり、「診断書」を書くことになる。

大往生のときは、私なりの故人への思いで書き上げる。

ひととなりを知る故人であればあるほど、書くのに手間どってしまう。

逆にいえば、はじめて往診して看取ることになった方の場合など、思い入れなく書ける

というものだ。

 

山の村では、出会いと同様、別れも個別のものである。

 

 

 

 

次は、衆議院選挙の前に書いたものです。

 

 

 

「投票に行こう」

 

山のむらも国際社会に直結

 

総選挙だ。

 

今こそ、この国の現実と将来像を見据え、よく考えて行動しなければならない。

無力感ばかりでいては、いけないのだ。前向きに考えなければ……

 

つい最近まで、21世紀について、バラ色の夢と希望が語られていた。

現実には、全地球的な環境の悪化、食糧不足、資源の枯渇、内戦や民族紛争、

人口爆発、金融危機と失業、外国への出稼ぎなど悪い話ばかりだ。

 

「大競争時代」に入って、世界全体を市場にして全地球上で競争するのだ。

「キセイカンワ」と情報技術(IT)革命なのだという。

 

しかし、人類の半数にあたる三十億人が、一日10仏フラン(約200円)

以下で生計をたてている。

途上国に住む45億人のうち3人に1人は、清潔な飲み水を入手できない。

毎年3000万人が餓死し、8億人が栄養失調に苦しんでいる。

(ル・モンド・ディプロマティーク98年11月号)

 

こんなに貧乏人ばかりが多い国際社会は、不安定だよ。

  

 

老後が不安だなあ。

 

21世紀も、この国は今までのような経済大国として、やっていけるのだろうか?

国と地方で借金が650兆円を超えるこの現状…

この閉塞感が、「構造的な」欠陥からくるものなのだとしたら…

リスクを先送りして、子どもたちの世代に負担を転嫁してしまって、本当に大丈夫?

 

人生に手ごたえが感じられないんです。

生きている実感に乏しくて、自分が消えてしまいそうで不安でたまらないんです……。

こう訴える若者たちが、都会から山の村にやってくる。

 

「都会は病んでいる」と語る彼らと話して、ずいぶん悩んでいるように感じた。

悪いことではない。若いうちにこそ壁にぶつかって、十分に悩んだほうがいい。

 

しかし、なぜまた私のところへやってくるのか。

まったく不明だが、信州の大自然の中ですっきりするのだろうか。

「ふるさと」を失いかけた人々が、都会で不安になっているようだ。

 

ところが、「癒(いや)し」の場であるむらも、経済のグローバリゼイション

(地球規模化)の象徴である国際通貨基金(IMF)、世界銀行(WB)、

世界貿易機関(WTO)の動向と、決して無縁ではない。

欧州連合(EU)のフィシュラー農業・漁業担当委員(EUの農業大臣)は

「農産物の全面自由化によって、すべての農産物価格維持制度や農業保護を撤廃すれば

、世界の四分の三の農業者はつぶれる」と警告する。

(日本農業新聞2000年元日論説)

 

世界のあちらこちらで、人々の生きる基盤を支えている小規模な「家族農業」にさえ、

。経済のグローバリゼイションは影を落とすのだ……。

 

私たち一人ひとりの個人は1)投票をする 2)働く 3)買う 4)貯蓄する

5)税金を払う という5通りのやりかたで、「社会人として」社会に参加している。

つまり、1)有権者 2)労働者 3)消費者 4)(直接間接の)投資家

5)納税者 という5通りの、「自分で選び取った生き方」への道筋がある。

個人と同じように法人、つまり企業も社会参加している。

国際化時代の今日、企業もまた目先の金儲けだけでなく、「社会人として」の

国際社会参加が期待されているのだ。

 

総選挙を機会に、いろいろなことを考えてみた。

 

前向きに、大きなチャンス(機会)とチャレンジ(挑戦)ととらえて、投票しよう!

 

 

 

 

特に4)の貯蓄することを通じての「投資家」としての側面に注目してください。

 

次に行きましょう。

 

10月の始めに、ちょうど知事選のさなかに書いたものです。   

田中知事の選挙ポスターにも使われた「水商売」の話です。

 

 

 

「川のふるさと」

 

新世紀への贈り物

 

人にふるさとがあるように、川にもふるさとがある。

信州は「川のふるさと」だ。

 

 

天竜川、木曽川、姫川、そしてもちろん信濃川(犀川と千曲川)の「水源地」だ。

水の流れは地下水脈にはじまり、わき水となり、(目に見える形では)小さな泉となっ

て、

信州のほぼ全域にわたって分布している。

奥山を訪ねずとも、案外、身近な里山にこそ水の源があるものだ。

「足元を掘れ、そこに泉が湧(わ)く」

というニーチェの言葉は、ここ信州にこそ似つかわしい。

 

八ヶ岳の周囲、ある標高線に沿ってコンコンと、泉がわいている。

遅い春にワサビの白い花が咲いている。

本流はもちろんのこと、支流のそれぞれにも美しい水源があって、

ブナ林やカラマツ、シャクナゲやレンゲツツジの花園を抜けた奥に、

ポタリポタリと最初のしずくが落ちている。

 

残雪の多い年など、五月や六月のしろかきにも田植えにも、使える水は十分だ。

関西や九州の方々が来村する際、「実にうらやましい」

とおっしゃることが多い。

山の村にあって、日本で一番長い川の最上流域に暮らしているので、

日々「水利権」の存在を身近に感じている。

そして、ムラにあっては「水争い」の記憶は身近なものだ。

 

「この用水こそ、最も水量豊富にして、それだけに肝心な水であった。

しかも数多くの田をうるおし、順繰りに水を引いてきただけに、

干ばつの年など悲壮なことになった。

水を待ちきれず、夜陰に乗じて井堰を切ってしまう。

見つかる、けんかが始まる、血の雨が降る……」

村の古老の語りに、しばしば登場するところである。

 

 

二十一世紀は、水資源の枯渇が相当深刻な地球規模の大問題になる。

イスマイル・セラゲルディン世界銀行副総裁は、

「来世紀、紛争の火種となるのは、(原油ではなく)水であろう」と予測する。

いま世界で水不足に悩む人々は、二十六ヶ国で約三億人いる。

しかし、五十年後には六十六カ国に広がり、世界人口の実に三分の二に及ぶといわれる

「かけがえのない水が、金のあるのところにばかり流れたら?」

 

世界に二百からあるという「国際河川」での上流と下流、

あるいは向こう岸とこちら側での「水争い」は、

水の豊かな日本列島からはしょせん他人事なのだろうか?

 

七月十八日付けの読売新聞によると、

「世界の水危機、急速に拡大」「国際紛争の火種に」との見出しがあり、

「水の輸入大国」としての日本について、

「湿潤な日本は一見、水危機と無縁のようだが、

実は多量の食料輸入を通じて世界の水需要と緊密にかかわっている。

日本の穀物輸入量は年間二千八百万トンを超え世界のトップクラス」

とし、ふたりの有識者の見解を挙げている。

 

「穀物は一トンの生産に対し水資源を約千トンも消費するだけに、

穀物輸入を通しての過剰な水輸入国から転換することが必要だ」

 

「農産物輸入は現在米国から歓迎されてはいるものの、

近い将来に水不足が世界の共通問題になると、

水(穀物)を買いあさる日本への批判に反転しかねない。

早急な対策を」

 

 

貧困にあえぎ、清潔な水を入手できないでいる人々や干ばつ地に水を贈ることは、

「川のふるさと」に住む信州人にこそ期待される、

お金にはかえられない「国際貢献」となろう。

 

 

 

長いものを読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バルア氏 

あなたはいつ行ったんですか?

 

去年ですか?

 

 

池田   

今年です。

 

 

バルア氏  

今年ですか。

 

私がサマール島に最初に行ったのは、1979年でした。

そのころは、本当に貧しい島でした。

戦争の後、荒れていたんですよ。

道路もなかったし、橋もなかった。

 

やっぱり”辛口”で言いましょうか。

日本人はかっこいいこと、

形のいい仕事ばかりが好きじゃないですか。  

 

特に60年代、70年代のことでしょうか。

まさにシンボルとなるような病院を建てる、建物を建てる。

建物を建てれば、日本の援助では当時、「Japan による貢献」とかなんとか、

かっこいい事を壁面に書くんです。

そういうのが大好きだったんです。

形だけ、建物を作るのが大人気みたいでした。

 

もう一つ”辛口”で言いましょうね。

JICAのODAのやり方は、かなりドロの世界だった、ということなんです。

ごめんなさいね。

汚い、って言いたくないけれども、かなり難しいことでした。

 

どうしてかといいますと、

レイテ島で実際にあった話なんですが、日本側が”建物を建てる”と言って、

職業訓練校みたいな学校法人を作ることになり、28億円を使ったんです。

28億円ですよ!

 

日本側が、何を考えてこういう物や金、しかもこれを一気に”使い切る”のか?

私もその受け取りの現場にいたんですが、まったくひどかった。

 

 

後で詳細のレポートを読んでわかったんことですけれども、

その時日本側からは「戦争がひどかったので、いろいろ取り組みたい」との話だったよ

うです。

何でもいいから日本のお金で、レイテ島で大きな金額を使って何かしよう、

という話だったんです。

 

そうなると現地の政治家が、いろいろな動きをした。

だから、ドロの世界になった。

 

まあ、戦争がひどかったことはそのとおりですよ。

それなら同じ28億円を使って、

小学校や保健所をたくさん建てた方がレイテ島の民衆のためにはよかった、と私は考え

ています。

またそんなに大きなお金もいらないことなんですが、、、

 

しかし、当時のマルコス大統領の奥さんがやって来て、

いろいろ介入し、それでめちゃくちゃになってしまったんです。

 

こんな風に、善意で組み立てるんだけれども、細かいところに配慮が

行き届かないところもあって、せっかくの大事なお金が生きないことがあった。

残念なことでした。

 

もちろん、地域の人々の役に立っているJICAのよいプロジェクトの例も

たくさんあるんです。

だからこそ、まずかった事例が目立ってしまっているのかもしれませんね。

 

 

先ほど先生もおっしゃっていたんことですが、国によって、人によってやり方や反応が

違うんです。

ですからここではなぜちゃんとできなかったのか、なかなか簡単には答えられないんで

す。

 

私はそこでこう考えました。

今からでも”人材”を育てる方向に努力しよう。

JICAのせっかくの善意がうまく現地に届くような、そんな運用のできる人材を育て

よう!

と考えたんです。

いろいろなODAの取り組みの、成功と失敗の事例から私が導いた結論です。

 

皆さんのお手元の資料にありますように、私は”これから”のことを考えているんです

。世界に通用する健康施策の”専門家”を育てるために、教師として関わっています。

 

 

学んでいる若者の中には、図書館に行って本を調べたら、、、

あるいはコンピューター上のインターネットで出てくる情報では、、、

といろいろ考えている人もいるんです。

 

でも私は、そういったハイテク教育よりも、人々の中に入って、

地域の人々の生き方と立ち居振舞いから直接学んでいくことこそ、

基本的な Basic Human Needs への理解を持つ人材を育てていく事に向けた、

一番の近道であろうと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色平氏   

ここに、国際政治学には三つのアプローチがあると書いてありますね。

現実主義、多元主義、グローバリズム。

これは良く考えるべきところだと思います。

 

現実主義は、国家が主要なアクターでありつづけると言う感覚でしょう。

では、国家とはいつ誕生したのか。

日本においては明治国家ということになるでしょうね。

 

学生さん方の主張は多元主義です。

国家だけではない様々なアクターが存在している以上、

現実の国際政治に責任を持つべきである、ということかもしれません。

 

一方で、グローバリズムというものはですね。

現実主義とも多元主義ともまた違った、”世界が一つになる”という市場万能主義です

。これは実に”恐ろしい”ものなんですよ。

 

大きな”圧力”でもあり、影響力を持ったものになっています。

よくよく勉強してくださいね。

詳細は私のホームページにたくさん書いておきました。

 

http://home.catv.ne.jp/hh/yoshio-i/Iro/01IroCover.htm

 

 

オーストラリアのODAの専門家と話したことがあります。

彼はハンガリーの出身でした。

オーストラリアの出身ではなかった。

そして、カナダで炭鉱夫をやったあと、オーストラリアのNGOでしばらく働き、

外国人であるのに今ではオーストラリアの総理大臣と外務大臣と週に一度は会って、

”外部”から批判的に見たODAのありようが、

本当にオーストラリアの(広い意味での)国益に合致しているのか、

オーストラリアの国民を納得させることができるものなのか、

というようなことについて意見を戦わせる立場でした。

 

私が彼に出会ったのは、神戸の震災の現場を案内した時でしたが、

国内の被災者にこの程度の支援しかできていない日本政府の

”国外への援助”という話題になって、非常に恥ずかしい思いをしました。

少なくともオーストラリアではODAへの”外部からのまなざし”

が注がれていました。

 

 

一方の日本にはODA基本法があるのでしょうか?

ないとすれば、従来どのような理念で取り組んできたのでしょう?

教育基本法と同じように、ODAにも基本法が必要なのではないでしょうか。

 

もう一つ、我々はODAは国外のこと、と考えてきましたが、

日本国内のことも考えなければいけないでしょう。

”公共事業”といわれるものについてはどうでしょう。

 

みなさんは道路特定財源というものをご存知ですか。

知っている人います?

知っている人、手を上げてくれます?

 

おいでになりますね。

 

じゃあ、どのくらいの予算規模なのか、ご存知な方は?

どのくらいの規模でしょう?

年間、六兆円ぐらいです。

 

誰が作ったものでしょう?

田中角栄さんですね。

彼が提唱して、ガソリンを販売したことに伴う税金のある部分は必ず、

”道路”を作るために使うための特定財源とする、と決めたんです。

現在年間総額では十五兆円くらいのお金を、”道路”を作るためだけに使うことにして

、建設省(来年初めからは国土交通省)の道路局がこのお金を仕切ってるんですよ。

 

建設省の道路局が従来どのような公共事業を国内でやってきたのか?

ご存知ですか?

勉強してくださいね。

 

一方、道路と並んで重要な”鉄道”であれば、運輸省の鉄道局の担当なんです。

鉄道局が新幹線を作る時、どのような公益と財源とを組み合わせてきたのか、

こういったことをきちんと学んだ上で、

それが国外へ向かってはODAでの道路建設や鉄道工事になっている、

と考えなければならないでしょう。

難しい勉強ですよ。

 

 

私は山の村に暮らしておりますのでよく知っているんですが、村には自前での収入が全

然ない。

収入もないのに、村は大事業を行っている。

 

そうなると、私とバブさんは似ている立場ですね。

東京からお金、つまり補助金と交付税交付金をもらって村は生きている。

収入もないのに、大事業を行っているんです。

日本から莫大な援助をもらっているバングラデシュ、

ということで、とても似ていると思いますが、、、

 

 

みなさんは、ごみ問題などの調査で地域に足を運ばれることもあるんでしょう。

ものやごみの流れとともに、

お金の流れがどうなっているのか、ということをきちんと勉強していただいた方がいい

でしょう。

 

メディア・リテラシーやテクノロジー・リテラシーとともにマネー・リテラシーも

身につけておいてください。

 

そうすれば皆さんが将来国会議員になった時に、お役人に対してあるべきODAの姿、

あるいはこんなODAは実は日本の国益に反している、といった具体的なことを提起で

きるでしょう。

一般の人々が見落としてしまいがちなことについてこそ、

勉強をして提案できる力量を身につけていただきたい。

 

 

皆さんの資料の中には、財政投融資というものも出て来ていますね。

この”財投”ということについて皆さんはどのくらいご存知ですか?

 

これはどれくらいの規模で動いており、どう使われていたのか、いるのか?

ご存知ですか?

財投を知らないと、日本のODAを理解することはできないんですよ。

 

財投とはわれわれの郵便貯金や年金基金ほか様々な財源から集められていて、

「第二の国家予算」と呼ばれています。

年間に50兆円くらいが運用されていて、

来年の四月には財投の一部が債権化されるんですが、その規模は12兆円といわれてい

ます。

 

こういうことについての動きがわからなければ、

現実に省庁がどういう風に変わってきているのか、わからないでしょう。

 

みなさんは外務省などに足を運んだとおっしゃいました。

いいチャンスでしたよ。

もし私が外務省に足を運ぶ機会などがあれば、

その機会にこそいろいろな勉強をしたいと思いますし、できると思いますよ。

私は村の側にいるからです。

お金を受け取る側にいるという立場が、その人の問題意識を決めるわけでしょう。

 

 

もうひとつだけ申し上げて終わりにしましょう。

 

学生のうちに、”肩書き”がないうちに、ぜひいろいろなところを旅して来てください

。「人の役に立とう」、とか考えないでいいから、いろいろな人のお世話になってきて

ください。

 

私は白衣を着たがゆえに、医師としての”関係性”が導入されて、

人々と簡単には対等な関係に立てなくなってしまっています。

皆さんも企業に入ったり、あるいは役人になるかもしれないですが、

そういった地位あるいは肩書きがついた時、

相手はあなたのその肩書きとつきあうのですよ。

 

だからこそ、肩書き以前の人間関係、

つまりお上とかお金にしばられる以前の”人間の付き合い”というもの、

こういった体験を学生さんの間にこそよく味わっておいてください。

これが第一点。

 

 

第二点です。

先ほど申し上げた公共事業の『公共』という言葉を見てください。

『公』というのは、公明党の『公』じゃないんですよ。

『共』というのは、共産党の『共』じゃないんです。

『公』と『共』とは、本来は別々のものなんですね。

 

『公』というのは”publicのことなのでしょう。

 

public というのは、people に属するもの、という意味です。

 

『共』というのは、”commonsといわれるように、みんなのものという意味です。

 

信州の山の中では、ずっと自給自足で生きてきました。

江戸時代の後期には餓死者を出した村ですけれども、村内には自分の物といってあんま

りない、

”みんなのもの”ばかりでした。

私有物というより、”総有物”としての入会(いりあい)地であったり水路であったり

、そんなみんなのものばかりだったんです。

この”みんなのもの”をみんなで支えなければ、村が生き残れない、

そんな時代が長く続いたんです。

 

『共』しかなかったんですね。

明治国家は、『共』(あるいは総有物)であったものを一部の『私有物』にしたり、

あるい『公有物』、つまり公のものであるとして国有化したりして、

取り上げていく動きをとりました。

 

このような”みんなのものであったはずの”commonsを”publicあるいは

”privateなものであるとして、

”privatizationという動きで、誰かの物、『私有物』にしてしまう、

という圧力が世界的に高まっている、ということを認識してていただきたい。

 

モンゴルでは、昨年の暮れに初めて土地の登記法ができました。

有史以来の”commonsであった遊牧地の登記を始めたんです。

あの大草原、ユーラシア大陸中央部に広がるモンゴルの大草原がはじめて”誰かの所有

”になる!

これは、つい去年起こったことです。

 

日本で明治5年から6年にかけて地券が発行されて、地租改正が行われたのと同じよう

な変化が、

アジアだけではなく地球上のさまざまなところで、今起こっている。

 

このような激動の中で、この日本が持ってる資産と技術、

それを運用すべき知恵や技をどのように保持し活用していったらよいのか、

このような課題こそ、21世紀の若者に期待されているものであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色平氏   私が下羽先生に一通の手紙を出したことで、

私がここの場にいるということは、まさに”ご縁”のようなものだと思います。

 

「人間として人間の世話をする」ということがお医者さんや看護婦さんの仕事なんです

。人間として人間の世話をしていますと、お金とかお上(かみ)とはまた違った付き合

いができます。

 

お金の関係や権威とまったく関係のない友人、また会ってみたいなと思う人が、

性別や国籍、国境、年齢も関係なく世界中にできる、ということを私は実感しています

最近、「少林寺拳法」の月刊雑誌からインタビューを受けることがありまして

「信念」について語ってほしいとのお話を頂きました。

女房は「あなたほど信念のない人はいないのにね」と笑っていましたが、、、

 

私はそのインタビューの最後に、

「信念、、、もし自分に信念があるとすれば『自分は変わる』という信念であろう。

自分がいつも固まってしまわない、例えば白衣を着てお医者さんである地位に安住しな

い、

それは『自分は変わる』という信念なのでしょう。

だからこそ、山の村に暮らして、そこのご老人方の生き方から『学ぶ』ということもで

きるのです。

いつも私が何かをして差し上げるわけではないですね。

 

バブさんのホームページの中に載っている文章のなかに

「村へ入って、村を知る」と書いてあります。

このような広い世界を知るということが、我々若い日本人に最も欠けていることです。

 

学校の外にある広い世間を知る。

あるいは私のような医師であれば病院という職場は狭いわけで、

病院の外に広い世間があるということを学ぶべきでしょう。

 

日本の外に”広い世界”があるということも学ぶべきです。

このようなことがとても大事なことになっていると考えております。

 

私は小学校の時、郵便貯金や銀行預金には「なぜ利子がつくのだろう」

と不思議に思ったことがあります。

皆さんはそうは思いませんでしたか?

「預金」という言葉と「貯金」という言葉が違っていたのも不思議でしたね。

 

母親に聞きますと、私は小学校4年か5年だったんですが、

銀行は企業にお金を貸しているから、そこからたくさんとって預けた人の「預金」に回

して、

利子にしているんだよ、との答えでした。

この答えにいったんは納得できたんですが、

郵便局の「貯金」については納得できませんでした。

皆さんはいかがですか?

 

郵政三事業というものはご存知だと思いますが、どこかに貸付してはいないでしょう?

 

郵政事業、郵便貯金、簡易生命保険の三つの中に、貸付事業はないじゃないですか。

この、貸付していない、のに利子がつく!というからくりが「財政投融資」なんです。

 

ものごとについて「どうしてなんだろうか」ということをまともに考えれば、

いろいろな疑問点があると思います。

そういうことを自分で探求することは、市民的な意味での公共性です。

 

”市民的公共性”というものを担える人間になれるかどうか、が若い皆さんに問われて

いる。

単なる一市民にすぎないけれども「公共」というもの、

つまり自分の利害やお金とかお上というものとは関係のない、

そんな生き方や考え方ができるかどうか。

 

ずっと続ける必要はないと思うけれど、できるかどうかやってみること、

これは学生のうちにこそ取り組んでみるべきことだと思います。

 

 

あなた自身が頼りにされ、尊敬されるような人間になれば、

その総体としての日本は尊敬されるような国になるでしょう。

頼りにされる人間になるためには、どうすればよいでしょうか?

 

私の考えでは、みんなが注目しているわけではない、

”人が見残したもの”を見すえるべきです。

 

バブさんは貧しさの中から苦労して自分で見つけた”道”を歩いてきましたね。

私たちもいろいろなところで”壁”にぶつかるべきです。

 

 

私は医者ですので、人々の前で、その場で

一人の患者さんのために役に立たないのであれば、何の意味もないですね。

臨床医としての私は村の中で仕事をして、

まさに「人間として人間の世話をすること」ができているのか、

という原点について日々自分に問うています。

 

 

皆さんに2つだけ言って終わりにしましょう。

「大きい政府か、小さい政府か」という問題です。

大きい政府というのは手厚い政府ですね。

小さい政府というのは負担は少ないが、

手厚くないので弱者が落ちこぼれるような政府です。

 

現在の日本は「大きい政府」の代表でしょう。

ちょっと小さくしなければいけないかな、と思うのですが、、、

 

しかし現在の国際社会には200カ国および地域がある。

そしてこの国際社会は「小さい政府」の代表例でしょう。

 

日本のような平和で自由な国と、内戦や貧困、飢餓を抱えた国々、

このような極端な格差が生まれていること自体、小さい政府、

つまり調整機能がほとんど働いていない状態であることを示しています。

 

世界政府としての国連が機能していないということもあって、

事実上グローバリズムを推進するような立場に立った勢力、

つまり多国籍企業が世界をリードしているのが実情でしょう。

 

 

では、最後に行きます。

 

皆さん、お正月になりましたら1月1日にその年の目標を決めるでしょう。

ぜひやってみてほしいことがあります。

 

自分が心弱いとき、、、

人間は弱いものですから、いつもがんばりきれるわけではない。

いずれは誰でも死ななくてはならない。

つまり障害を背負って生きて、ある程度の年齢になったら死ぬわけでしょう。

 

それでは、心弱くなったときに誰に打ち明けたいか、誰と相談したいか?

そういう風なあなた自身の十人の人のリストを作ってみてください。

 

その十人の人のリストには、今隣に座っている友達の名前は、もしかしたら入らないん

です。

自分が本当に信頼して、打ち明けたいと思う人ですから、基準は高いのです。

 

私は学生のころに、お金やお上とは関係のないバブさんとの出会いがありましたし、

様々な外国の方々との出会いがありましたけれど、皆さんのリストはどうなりますか?

 

 

長い歴史を持つおじいさん、おばさんは自分の周りにいますよ。

リストに残した人が自分を残してどんどん外していく、私が村で医者とやっていて、

将来、それが勲章になるとすればその10人のリストがだんだん変わると思う。

人間は変わる。その10人が鏡となって、あなた方のアイデンティティーを映し出して

いる。

 

人間はどこからきて、あなた方は何に取り組んで、

何をするのかということはあなた方のその10人の名前が表しています。

 

10年後に村の方が、村人がそのなかにあまり上ってこなくて、

みんなが医者や弁護士、国会議員ばかりだったら、

それは私の人生としては言っている事とやっている事が合っていないことになるんです

ね。

 

自分のアイデンティティー、自分がどこからきて、何処に行って、何に取り組むのか。

自分の時間とお金を使って何に取り組むのか、

このようなことを基本にすえて、自分の人生を考えていただきたい。

 

今、学生のうちだからこそです。

しがらみにまみれてしまってはなかなかできないことを今取り組んで、

様々な方々に”お世話になってください”。

 

お世話になることによってあなた方が将来、

「人間として人間の世話をする」一端を担えるような取り組みを

自前ではじめることに取り組んでいただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色平氏   

この場には学生さんが多いから、はっきり申し上げましょう。

みなさんは自分のお金で生きていますか?

 

あるいは自分で働いていなくてもいいですが、

自分の責任でこの場に来ていますか?

これがまず”大問題”です。

 

欧米では、誰かが結婚した場合、相手を、つまり連れあいを支えるかたちで自分が働き

、その後、自分が逆に支えてもらって大学に通うものです。

つまり、十八歳では無理かもしれないが、二十歳の人は”大人”だということです。

 

大人は自分のお金で動くものなんです。

ですからこの場に、自分のお金で学校に通うことをしていない人がいたら、

「恥ずかしい」と思ってください。

 

まず、それが一点です。

 

次に、バブさんは、外国の方ですが、日本でも勉強し、いろいろな国でも勉強しました

ね。

皆さん自身がバブさんのようなお話を、英語でもいいですけど、

外国の大学で外国語で展開できるような人になっていただければ、うれしいことです。

 

 

先ほど湯下さんもおっしゃいましたが、ODAのもともとの源は戦後賠償です。

戦後賠償であるということは、皆さんも今日発表されました。

けれどもこれは、「戦争があった」ということが前提ですよ。

 

戦争があったということを、よくよく勉強してください。

今日のシンポジウムの半分くらいのテーマと話題が、

どういう戦争をこの日本がやってしまったのか、

という点になっていて、かまわないくらいです。

 

よく考えてください。

向こうの国の経済が今いいとか悪いとかではなく、

50数年前に戦争を仕掛けた側である日本の、

その日本人の若者が”事実”を知らないでいるということ、

これは「恥ずかしいこと」です。

 

一方、向こうの若者は当然事実をよく知って学んでいるということ、

このことをよく考えてください。

 

私は、学生さん方を”悪の道”に引き込んでいると、

よく女房に笑われるんですよ。

確かにこのような言い分は、日本ではよく理解されない難しい道であるかもしれない、

と考えています。

しかし、誰かに指摘してもらう必要はあるようなんです。

 

 

私の村に来れば、いろいろ学ぶところがあります。

私にではなく、村のおじいさん、おばあさん方から学ぶことがあるんです。

同じようにフィリピンのSHSに足を運べば、そこから学ぶことがあるんですね。

 

戦場になったレイテ島の人々の、思い出の中に日本についてどういうものがあるのか、

ということをきちんと聴き取ったうえで、皆さんが地道に取り組んでいきますと、

フィリピンの人々の心にそった話し方ができるようになるものと思います。

 

 

残念なことに、私はあと2分ぐらいでこの会場を出ないといけないのです。

 

みなさんがお金も地位もないのにこれだけの取り組みができているのであれば、

あなたがたにお金を出そう、という人も出てくるでしょう。

これがアメリカ的な行き方と聞いています。

 

ですから、みなさんはJICAやどこかに頼む前に、

自前のお金でこれだけのことができました、とおっしゃって下さい。

それが大事。

 

そうしたら私が、「みなさんにぜひお金を出してあげたい」

とおっしゃる人をご紹介しましょう。

 

私の村にやってきた数百人の学生さんの中からは、

多くの方がアジア諸国を訪れています。

 

アジアに行って私の名前を聞いて来たという人もいます。

バブさんに会ってバブさんの話をきいて、という人もいます。

アジアのことに関心を持ったら、日本の村にも関心を持ってください。

海外の人々の心と、戦争の記憶、そしてODAまた公共事業というように、

広く勉強していただきたい。

 

 

最後に、来月12月8日ですが、午後11時からNHK教育テレビで

”金曜フォーラム”という番組があります。

これは11月25日に東京で、日本赤十字社主催の国際シンポジウム“21世紀の選択

”が開催されて、それを全国放映するものです。

東大医学部の教授をはじめ、私どものおつき合いのある世界銀行やアジア開発銀行の方

、また、バブさんも出席し、野中ともよさんが司会します。

 

詳細のパンフレットは下羽先生がお持ちですので、後で見ていただければと思います。

 

大変申し訳ないのですが、私はもう会場を出なければなりません、ごめんなさいね。

また、お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

バルア氏  

さまざまなNGOが、皆さんが今取り組んでおいでになるみたいに、

学生たちでいろいろやってるんです。

私も学生のころ、いろいろやりました。

 

今は、人生の基礎をつくる時期です。

その基礎も、ただ浅いものを大きく構えて作るというのでは感心しません。

 

自分はこう感じるからこう変えたい、

と人前でかっこよく言うのではなく、深く考えて”行動”し”準備”してください。

 

人間は夢を持つべきです。

しかし皆さん、自分の基礎がどれくらいのものか自分でわかりますか?

 

今私は45歳です。

自分の基礎を積んでいたころ、私は何をしていたか。

そして今日は何をしてきたか。

毎日自分で自分に聞きます。

日本語では、初心を忘れない、というのかな。

 

さまざまなNGOの活動に参加して、

自分の基礎を作り、基礎を見つけて下さい。

 

先週の土日の2日間、長野市の大学で国際交流について集中講義をしました。

私と色平さんの二人で、170人ぐらいの学生さんにお話しました。

その最後に学生さんたちに、ワークショップをやってもらったんです。

 

8人ずつのグループに分かれてもらいました。

三つの質問について、考えて発表してもらいました。

 

第一の質問。

25年後、このままいくと日本はどうなるでしょうか?

一人で五つの考えを発表して下さい。

 

2番目。

25年後つまり2025年にあなたはどういう国に住みたいですか?

つまり、自分の理想とする日本について考えて発表して下さい。

 

3番目の質問です。

理想の国にするために、あなたは今日から何に取り組まなければならないでしょうか?

 

学生さんたちに夢を持っていただくことを考えてのことです。

そして夢の実現のために自分で動いてください、ということです。

 

 

私は医学生とよくつきあっているんですが、彼らに

「自己紹介して下さい」と言うと、面白いことを言うんです。

 

「訳の分からないことで、医学部の6年生になりました。」

「高校で理科系の勉強がよくできたので、先生に薦められました。」

―――あなたは明日から学校に来てくれないで、いいわ。

 

英語で言ってみましょう。

何を目指して何をして今、私は医学部の6年生になりました、

と日本の医学生が英語で言うと、

フィリピンの学生たちはものすごく笑うんです。

 

夢がない、何のために医者になりたいのか、が自分の言葉で言えない医学生。

英語がうまいとか、発音がいいとか、文法が正しいとか、

そういったどうでもいいことではない。

なんで自分が勉強しているのかわからないバカものです、

と自分で言っているようなものです。

 

私のおじいさんやおばあさんは、どのような苦労をしてここまで来ました。

お父さんお母さんがまた、どのように苦労して私を育てました。

そして私はこれからどう生きていこうか。

 

そういうふうに、自分で自分のことを毎日毎日書いて下さい。

そうすると一週間後、一ヶ月後、自分で自分のことが少しわかるようになります。

自分の中に自分の声があります。

その声に耳を傾けて聴く訓練をして下さい。

 

自分で何かを伝えたい。

私は私に何をしてもらいたいのか?

そうすると、自分の基礎がだんだん強くなります。

それに基づいて、世界を変える!

 

 

教育制度を変える?

教育制度はとても大事なことです。

 

イギリスの教育制度、アメリカの教育制度、ご存知ですか?

例えば、バングラデシュはイギリスの植民地でしたから、

バングラデシュ、インド、ミャンマーそういった国々はイギリスの教育制度でやってい

ます。

フィリピンはアメリカの教育制度ですね。

 

そういう点から考えると、日本がお金持ちである時代に、

どうして日本は日本なりの教育制度を作らなかったんでしょうか。

どうしてまだできていないんですか?

不思議なことです。

できてもいないのものを変える、というのはもっと不思議です。  

                  

1年のために計画を立てるなら、お米を植えて下さい。

10年のために計画を立てるなら、木を植えて下さい。    

100年のために計画をたてるなら、人間を教育して下さい。

 

そういう順番で考えていかなければ、明日の私が世界を変えることはできないですよ。

 

 

それからさっき学生の方から“専門”ということが出たんですが、

私はいつも学生にきびしく言うんですよ。

 

あなたは何か“専門”といってできるものを、まだ持っていない!

これから、自分の”基礎”をつくって下さい。

 

あちらこちら、いろいろなことを学んでください。

A先生には、Bさんには、Cさんには、と学んできてください。

 

私は料理が好きだから、料理の話にしましょうか。

大きなホテルで働くコックさんもそうでしょうね。

いろいろな材料があるでしょう。

ここそこから少しずつ材料を取って、自分の味を作り、

一番口に合うものをお客さんに出すんです。

 

だからそれぞれの人の生き方から、教科書には書いていないことがらを、

皆さんで自分の生き方の材料にして、学ばせてもらってください。

自分の一番いい味をつけて、活動していると、

お金がないから仕事ができない、なんて信じられないようになりますよ。

 

お金がないからこそ何でもやるんです。

自分にできるところからはじめてください。

 

計画をたてる。

活動が始まる。

お金は後からついてくる。

 

皆さんも、何もないところからここまできましたよ。

いろんなことできるじゃない!

それが言いたいことです。

 

 

もうひとつ”専門”のことです。

皆さんご存知だと思いますが、マザーテレサは専門がなかったんですよ。

私は、高校生の時からマザーのもとでいろいろ活動しました。

そのころよくよく考えたことなんですけれども、

「専門があったから何ができた」、というんじゃぜんぜんないんです。

 

自分の前で、自分の目の前で、人間がもがいて苦しんでいた。

自分のできることをやりましょう!

 

カルカッタの街のおじいさんの体を洗ってあげた。

着るものを着替えさせてあげたら、少し楽になった。

そこから始まったんですよ。」

 

何の”専門”も関係ないんです。

自分ができること、から始まるわけです。

 

だから今皆さんにできるのは、学生として自分の基礎をつくること。

いろいろ苦労することです。

 

いろいろな味をつけるために、香辛料を買って来てください。

インドに行って、自分の生き方の材料を取ってきて下さい。

 

あちらこちらいろんなところから学んできてください。

 

これから一緒に頑張りましょう。

 

 

 

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