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      WTOが助長する南北・国内格差

                南の視点から

     ウォルデン・ベロー(フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス)

 

WTO改革論議はなぜ誤りか

 

 市民フォーラム2001や他の組織・団体のみなさま、私を今回お招き下さり日本のみ

なさまにお話しするチャンスを与えてくださりどうもありがとうございます。みなさ

まの前でお話しすることができ光栄に思います。

 昨年(1999年)12月にシアトルで開かれたWTOの第三回閣僚会議は、会場の外で繰

り広げられた大規模な抗議行動、会議場内で途上国代表団が示した抵抗、そしてEUと

米国の貿易交渉が暗礁に乗り上げたことなどが同時に起こったために失敗に終わった

わけですが、その結果、グローバルな貿易管理システムは現在、混迷の状況を呈して

います。

 しかし、グローバルな観点から活動する多くの人々にとって、こうした混乱は新た

なチャンスでもあります。閣僚会議の失敗後、NGO、政府、市民が今後取り組まなけ

ればならないのはWTOの改革であるとの意見が起こりました。シアトル後の状況はWTO

改革論議にまたとない機会を提供したというわけです。

 歓迎すべき動きとして伝えられるものに、米国のバーシェフスキー通商代表がシア

トル閣僚会議直後に述べた以下のようなコメントがあります。「誕生間もない組織に

相応しい運営プロセスからWTOは逸脱してしまった。多くの加盟国のなかには、より

多くの様々な国が参加できるよう、内部の透明性や議論への参加のレベルをもっと高

めた運営システムが必要だとの声が大きくなっている」*1。

 別の喜ばしい動きとして伝えられているのは、2000年1月にデリーで開かれたイギ

リス連邦貿易大臣会合で、英国のバイアーズ貿易産業相が述べた次のような発言で

す。「WTOは現在のような形で存続することはできないだろう。134の加盟国全部の要

望や目標に応えるためには抜本的かつ徹底的な変革が必要である」*2。

 こうした発言は、私たちの考えでは、WTOが受けたダメージをどうにかくい止めよ

うとする目的で発せられたものであり、シアトル以前はWTOが抱える構造、運営方

法、目的といった点での不平等性を最も強固に支持していたこれら二つの政府が、改

革に真剣に取り組む考えを示したとはとても受け取れません。両政府の実際の政策と

は切り離されたところで、バイアーズ、バーシェフスキー両氏のこれらの発言が一人

歩きし、根本的に全く欠陥だらけの組織がなおも強化される方向に向かうような改革

論議が途上国やNGOを巻き込むために引用されているのは皮肉なことです。

 そうではなく、今、「南」の政府と「南北」両方の市民が取り組まなければいけな

いことは、WTOの持つ権力をぐんと削り、WTOを複数の管理システムからなる多様な世

界貿易システムのなかに存在する単なる一組織としてしまうことなのです。

 

◆WTOは必要か?

 

 これは改革論議の方向を決める基本的な問いです。世界貿易はWTOなど存在しない

中、1948年から1997年の間に1,240億ドルから10兆7,720億ドルへと伸びました*3。こ

の拡大はGATTにより管理されていた柔軟な貿易体制のなかで起こりました。1995年の

WTO創設は1930年代のような世界貿易の崩壊や危機に応えたものではありません。世

界戦争や貿易関連の戦争がその時期に起こっていたわけではないので、世界平和に

とって必要だったわけでもありません。朝鮮戦争(1950-53年)、ベトナム戦争

(1945-75年)、スエズ危機(1956年)、第3次、第4次中東戦争(1967年、1973

年)、フォークランド紛争(1982年)、湾岸戦争(1990年)という、この間の7つの

主要な国家間紛争に、貿易をめぐる紛争は見あたりません。

 実のところ、GATTは世界貿易の自由化に向けての枠組としてかなりうまく機能して

いたのです。GATTの紛争解決システムは柔軟なものでしたし、途上国の「特別かつ差

異のある待遇」を認めることにより、第三世界の国々が発展と工業化に向けて貿易政

策を策定し、世界経済のなかで居場所を得られるような措置を講じていました。

 

 

◆それではなぜ、1986-94年の

 ウルグアイ・ラウンドに続いて

 WTOが創設されたのか?

 

 主要貿易国のなかで、農業分野、および公式、非公式両方の様々なメカニズムに

よって市場アクセスに関し国内の生産者が最も優遇される産業システムを守りたかっ

た日本は、非常にどっちつかずな立場に立っていました。EUにしても、域内で完結し

た貿易圏の形成に向けての道を歩んでいたところであり、域内で実施されている農業

への多額の補助金システムが批判に曝されることが明らかだったこともあって、同様

に立場は定まりませんでした。途上国は製品および農産物の「北」の国々への市場ア

クセス増大を望んではいましたが、しかし、こうした要望が強力な貿易官僚体制に

よって押しつけられる包括的協定によって実現するとは考えておらず、1970年代の後

半にUNCTAD(国連貿易開発会議)の後押しで合意に達した統合一次産品プログラム

(Integrated Program for Commodities: IPC)あるいは一次産品安定基金

(Commodity Stabilization Fund: CSF)のような個別の交渉や合意によって可能に

なると考えていました。

 WTOの創設から主に利益を受けるのは米国です。第2次世界大戦後の世界において

圧倒的な経済的優位を確保することには役立たないだろうと判断し、1948年に国際貿

易機関(International Trade Organization: ITO)の創設を阻んだのが米国だった

ように、競争が増した世界経済のなかで自国の企業が今や以前とは逆の立場を政府に

求めていると知り、1980年代の後半から1990年代の初めにかけてウルグアイ・ラウン

ドの包括的合意とWTO創設を最も積極的に進めたのも米国でした。1950年代に、牛乳

と他の農産物に対する保護措置を認められないのならGATTを脱退すると脅しをかけ、

農業貿易をGATTの適用外とさせたのが米国だったように、1995年にGATT/WTOシステ

ムに農業を入れさせたのも米国の圧力でした。米政府の方針変更の理由は、1986年の

ウルグアイ・ラウンド開始時に、当時のブロック農務長官がおこなった以下の発言に

きわめてあからさまに示されています。「途上国自身が自国に必要な食糧を生産しな

ければいけないという考えは過去のものであり、時代錯誤である。途上国は、米国の

農産物に頼ることで自国の食糧安全保障が達成できる。米国の農産物はほとんどの場

合、低価格で手に入るのだから」*4。米政府はもちろん途上国の市場だけを念頭に置

いていたわけではなく、その考えには日本、韓国、EUも含まれていました。

 サービスをWTOの管轄領域に含めるよう中心になって働きかけたのは米国ですが、

その裏には成長著しい国際間サービス、なかでもとりわけ金融サービスの分野におい

て他に抜きんでた業績を上げている自国企業の利益を守らねばならないとの判断があ

りました。WTOの管轄領域をいわゆる「貿易関連投資措置(TRIM)」と「貿易関連知

的所有権(TRIP)」に拡げたのも米国です。TRIMは、多国籍企業の子会社間での国境

を越えた生産部品のやりとりにあたり、途上国が自国の産業を育てるために設けてい

た障壁を取り除くことを目的とするものであり、TRIPは先端的な知識集約型産業の分

野における米国の優位な立場を強化しようとするものです。また、自国に有利な裁定

を履行するには不十分なGATTの仕組みに業を煮やし、WTOの驚くべき紛争解決・実施

メカニズムの創設を推し進めたのも米国でした。米政権の貿易交渉に学者として加

わっている国際経済研究所(Institute of International Economics)所長のバーグ

ステンが上院議会で述べたように、WTOの強力な紛争解決メカニズムは米国の利益に

沿うものですが、それは「今や国際機関の力を全面的に使って、貿易障壁を特定し、

減らし、取り除くことができるからなのです」*5。

 要するに、国際貿易体制の形を決めたり、その形を変えたりしてきたのは、自国の

経済的利益の追求には何が必要かについての米政権の認識なのです。1995年にWTOが

誕生したのは世界がそれを必要としていたからではありません。そうではなく、緩や

かで柔軟性のあるGATTではもはや自国企業の利益を守ることはできず、それに代わる

非常に強力で広い領域をカバーする機関が必要であるとの米国の判断がWTOを生んだ

のです。その土台となっている自由市場パラダイムからウルグアイ・ラウンドの様々

な協定で述べられている詳細な規則・規定、そして意志決定やアカウンタビリティの

システムに至るまで、WTOはアメリカ株式会社が世界的な覇権を握るための設計図で

す。WTOが追求するのは米企業が蓄積してきた有利な立場を制度的に固めあげること

です。

 WTOは必要なのでしょうか。米国にとって、答えはイエスです。しかし世界の他の

国々にとってはノーです。WTOが必要であるという考えは現代の最大の誤りの一つで

あり、その考えが受け入れられているのはナチスの宣伝相ゲッペルスがやったのと同

じ方法でプロパガンダが繰り広げられているからです。つまり、嘘も繰り返し聞かせ

れば、真実と受け取られるようになるということです。

 

◆WTOは途上国の利益に貢献するか?

 

それでは途上国についてはどうでしょう。WTOは、欠点が何であれ、コストよりは利

益をもたらしてくれ、したがって改革に労力を注ぐに価する組織なのでしょうか。

 ウルグアイ・ラウンドが交渉されている最中、その交渉プロセスに対する途上国の

熱意はかなり薄いものでした。何といっても、これら途上国はUNCTADの中心勢力を形

成していたのであり、一国一票の多数決システムを備えたUNCTADこそが自分たちの利

益をうまく押し出せる国際機関だったのです。途上国は、1970年代後半から1980年代

前半にかけ、貿易大国がUNCTADを弱体化させるような政策を採ってきたことに憤慨し

ながらウルグアイ・ラウンドのテーブルにつきました。

 資金難から多くの国が交渉の場に姿を現しさえしない中、消極的な傍観者であった

途上国は、ウルグアイ・ラウンドの終了とWTOの創設を決めた1994年のマラケシュ合

意に同意させられてしまうことになります。先進国、途上国両方が参加する農業輸出

国グループであるケアンズ・グループに属する途上国の中には、WTOが「北」におけ

るそれら途上国の農産物のアクセス拡大に貢献するだろうとの期待からWTO創設に積

極的な国もありましたが、しかしそうした国はかなり少数派でした。

 WTOを「南」に売り込もうとして、米国のWTO推進者たちは、WTOに加わらないと世

界貿易から取り残されてしまうことになる(「北朝鮮のように」)と恐怖をかきた

て、「ルールに基づいた」世界貿易システムは貿易大国の一方的な行動から力の弱い

国々を保護するとの約束を喧伝しました。

 自国の経済をIMFと世界銀行に牛耳られ、急激な貿易自由化を中心課題の一つとす

る構造調整プログラムをこれらの機関に押しつけられる中、債務危機の後に反発とし

て芽生えた「新国際経済秩序(NIEO)」が高まりを見せた1970年代に比べると途上国

同志の連携はブロックとしてはずっと弱まり、ほとんどの途上国代表団は署名に応ず

るしか選択肢はないと感じていたのです。

 しかし、その後数年のうちに、これら途上国は、自国の発展のために必要な様々な

重要な貿易措置を講ずるための権利をこの署名により譲り渡してしまったことに気づ

かされるのです。

 発展に向けた取り組みを進める余地が残されていた緩やかなGATTの枠組とは異な

り、包括的かつ厳密なウルグアイ・ラウンドはその趣旨において根本的に開発を阻害

するものであると言うことができます。

 それは以下のような事柄に明らかです。

 

◆開発推進に向けた貿易政策の消滅

 

 GATT/WTOに加盟することにより、第三世界の国々は輸入に関するすべての数量制

限を撤廃し、多くの輸入工業製品にかかる関税を削減し、他の全輸入製品に関しては

関税引き上げを行わないことを約束させられました。そのようにして、工業化を進め

る目的で自国の貿易政策を策定することを途上国は放棄させられることになったので

す。新興工業国(NICs)は輸入代替化政策によって工業化を達成したわけですが、そ

うした方法は今や工業化への道筋としては不可能になっています。

 工業化を阻害するというGATT/WTO協定の本質は、貿易関連投資措置(TRIM)と貿

易関連知的所有権(TRIP)により鮮明に表れています。韓国やマレーシアといった新

興工業国は、工業化の過程で、外国投資家が輸入する原材料の総額と輸出される完成

品の総額とが釣り合うよう求める貿易均衡要求や、生産に使用される部品の一定割合

を現地で調達することを義務づける「現地調達(ローカル・コンテント)」規定と

いった革新的なメカニズムを用いていました。

 こうした規定は外国投資家の活動に制限を課していたわけですが、新興工業国はこ

れらをうまく活用し、外国からの投資を国内の工業化に役立てようとしたのです。こ

うした措置により新興工業国は、地元企業が国内市場に優先的にアクセスできるよう

保護しつつ、資本集約型の製品輸出から収入を得、産業を育成し、技術導入を図るこ

とができたのです。たとえばマレーシアは、現地調達規定を戦略的に活用することに

よって三菱と協力して国産自動車の生産に成功したのですが、現在、この車は部品の

80%を現地で調達しており、国内市場シェア70%を達成するまでになりました。しか

し、TRIMのおかげで、こうしたメカニズムは今や違法となってしまいました。

 

◆技術普及に課せられる制限

 

TRIM同様、TRIPも第三世界諸国の工業化と開発を巧妙に妨げるものと考えられていま

す。そのことは新興工業国だけでなく、後から工業化を進めたほとんどすべての国々

の経済を振り返ってみれば明らかです。そうした国々が工業化への道を歩んだ際に重

要だったのは、先端技術に比較的容易にアクセスできたことです。米国の工業化は、

かなりの部分、イギリスの製造業の先進技術をほとんど使用料を支払わずに利用でき

たことに負っています。ドイツも同様です。日本は、米国の技術革新をどんどん拝借

することにより工業化に成功しましたが、アメリカ人に対してその見返りを支払うこ

とはほとんどありませんでした。韓国は、使用料をほとんどかけずに米国と日本の製

造・加工技術を自由にコピーし、工業化を果たしました。

 しかし、遅れて工業化に乗り出したものからすれば「技術普及」にすぎない行為

が、今では、トップを走る工業国から言わせれば「海賊行為」なのです。TRIPが実現

したのはトップを走る工業国の立場の擁護であり、これにより模倣による工業化は非

常に難しいものになってしまいました。TRIPは、UNCTADの言葉を借りれば「広範な

人々への普及ではなく独占的支配の下でおこなわれる技術革新を優遇する...知的

所有権システムを、時期尚早に強化しようとする*6」ものです。

 TRIPでは、一般に最低20年間の特許保護期間が与えられます。半導体とコンピュー

ター・チップについては、保護期間はそれより長く設定されています。知的所有権違

反と判断された製品については厳格な輸出入取り締まりが行われます。そして、工業

特許に違反したと訴えられれば、訴えられた側が潔白であることを証明する義務を負

うのです。

 TRIPの導入は、長い間、革新技術の普及を取り締まる、より強力なメカニズムを求

めて活動してきた米国のハイテク産業の勝利です。今日の世界で経済力を決定するの

は、コンピューターのソフトウェア・ハードウェア、バイオテクノロジー、レー

ザー、光電子工学、液晶技術といった知識集約型のハイテク分野における技術革新で

す。そして、新興工業国であれ第三世界諸国であれ、ある会社が技術革新を行いたい

と望んだ場合、コンピューター・チップのデザイン、ソフトウェアのプログラミ

ング、コンピューターの組み立てのどれを行うにしても、どうしてもいくつかの特許

デザインや特許工程を利用しないとならないことになるでしょう。そのほとんどはマ

イクロソフト、インテル、テキサス・インスツルメンツといった米国の巨大電子産業

が持っている特許なのです*7。韓国の苦い経験が示すとおり、アメリカの「ハイテク

・マフィア」と呼ばれる人たちに支払われる法外ないくつもの特許使用料によって、

新規参入者の利ざやは非常に低く押さえられ、国内における技術革新への意欲をそい

でしまうのです。

 予想されるのは、「南」の製造業者が技術革新を行うことをやめ、技術に対してた

だ特許使用料を支払うようになり、結果として「北」の企業に完全に技術的に依存し

てしまうという状況です。こうして、TRIPにより、技術面でのリーダー(この場合は

米国です)は、競争相手の工業国、新興工業国、第三世界諸国における技術及び産業

開発の進み具合に大きな影響を及ぼすことができるのです。

 

◆「特別かつ差異のある待遇」原則の

  形骸化

 

 WTO創設によって力を奪われてしまったUNCTADですが、その中心的原則となってい

るのは、貿易と開発には決定的に重要な結びつきが存在するのだから、途上国には先

進国間での貿易に対して適用されている規則や規定を同じように適用するべきではな

いとの考えです。途上国がおかれてきた歴史そして構造に鑑み、途上国が世界貿易に

対等に参加するためには特別な配慮と支援が必要だとする考えです。開発を進めるた

めに保護関税を課したり、先進国に輸出される途上国製品に対し市場への特恵的アク

セスを与えること等が含まれます。

 GATTは開発の問題を中心的に扱っていたわけではありませんが、途上国に対する

「特別かつ差異のある待遇」は認識されていました。1973年に行われた東京ラウンド

宣言のなかに、おそらくこの点に関する最もはっきりした文言が出てきます。そこに

は「実現可能な場合には、交渉分野において特別かつ優遇的待遇が与えられるよう途

上国に対して差別的措置を講ずることの重要性」*8が認識されています。

 その後につくられたGATTルールには、さまざまな箇所に、途上国が、特定の産業振

興のために税率の再交渉を行えること、経済開発や財政改善のために関税を利用でき

ること、幼稚産業を育成するために数量制限を導入できること、貿易交渉における途

上国の非互恵主義原則*9などが記されています。1979年に結ばれた、授権条項

(Enabling Clause)として知られている枠組協定(Framework Agreement)では、途

上国からの輸出品に優先的アクセスを与える一般特恵システム(General System of

Preferences:GSP)に対し、永久的に法的根拠が与えられました*10 。

 大きな転換が起こったのはウルグアイ・ラウンドにおいてです。GSPに拘束力はな

くなり、先進国は途上国に対しても、あらゆる輸入に適用される最高関税率と同レベ

ルの税率まで関税を引き上げることができるようになりました。実のところ途上国

は、「二国間交渉という型」でGSPを外すよう圧力をかけられたのです*11。特別かつ

差異のある待遇は、自国の産業保護や市場アクセスに関する途上国の特別な権利に重

点を置くものから、「WTOでの決定事項を実施するにあたり、途上国がうまく対応で

きない場合にとられる措置」*12へと形を変えてしまいました。貿易システムがもつ

構造的不平等に取り組むことを目的としていた措置の代わりに出てきたのは、関税引

き下げ率を低く押さえたり、決定事項の実施期間を長めにとるといった措置であり、

途上国は、本質的に皆と平等に扱われる競技場で、単に後から追いつこうとがんばっ

ている国々として扱われるようになったのです。

 特別かつ差異のある待遇はWTOでは弱体化させられてしまいましたが、このことは

WTOを支えている新自由主義の思想がGATTのケインズ的思想とは異なっていることを

考えれば驚くにはあたりません。開発にとって必要な特別な権利もなければ、保護的

メカニズムも存在しないということです。開発への唯一の道筋は、急激な貿易(そし

て投資の)自由化をおこなうことだとされているのです。

 

◆途上国に対する特別措置の運命

 

 WTOで途上国が重要視されていないことを最もよく示しているのは、途上国の特別

な状況に応えようとして取られた措置がたどった運命でしょう。以下の3つ合意がそ

の措置なのですが、WTO推進者たちによれば、これらは特別に「南」のニーズに応え

ることを目的として策定されたものだということです。

1)1994年4月にマラケシュで承認された特別閣僚合意。貿易自由化が純食糧輸入途

上国に与えるマイナスの影響を抑えるために特別な補償措置を取ることを認めた。

2)繊維および繊維製品に関する協定。途上国から輸出される繊維や衣料に対する

「北」の輸出数量割り当てシステムを向こう10年間でなくす。

3)農業協定。不完全ではあるが、途上国の農産物の市場アクセス拡大を約束し、第

三世界市場への穀物の大量ダンピングにつながっていたEUと米国の政府による手厚い

支援及び補助金引き下げに向けて取り組んでいくとの約束が行われたと考えられてい

る。

 

◆これらの措置はどうなったか?

 

 マラケシュでの特別閣僚合意は、純食糧輸入国に対して、先進国の補助金削減に

よって食料輸入にかかる費用が上昇した場合に、こうした事態を緩和する目的で行わ

れる支援に関するものだったのですが、全く実施には移されませんでした。世界の農

産物価格は1995年から96年にかけて2倍以上に上昇したのですが、世界銀行とIMFは

「価格上昇は農産物によるものではないし、いずれにしろ誰がそうした支援を提供す

るのかという点について合意など全くなかった」*13として、価格上昇から来る悪影

響を相殺するための支援実施を認めなかったのです。

 繊維および繊維製品に関する協定について見ると、これにより先進国は2005年1月1

日までに4段階に分けて、あらゆる繊維・衣料品の輸入をWTOの貿易自由化原則に沿う

ものにする義務を負っています。その鍵となるのは、多角的繊維取決め(Multifiber

Agreement: MFA)で禁止されている輸入数量割当の撤廃と、それに類似する第三世界

からの廉価な衣料や繊維が先進国の市場にどんどん入っていけるようにする措置だと

考えられています。しかしながら先進国は、いつどんな製品を自由化するかを決定す

る権利を握っており、輸入を禁止していない製品をまずWTOの管轄下にもってきて、

禁止している製品についてはずっと後回しにしようと考えているのです。

 結果として、第一段階ではすべての輸入禁止製品は輸入数量割当の対象に残り続け

たのです。それは先進国の割当て撤廃リストには、フェルトの帽子とか動物の毛から

とった細い織り糸といった、輸入が先進国内の同業者にとって脅威にならないと考え

られる品目だけが入っていたからです。1998年1月1日に自由化対象となった製品リス

トを見ると、実施の第二段階でも、禁止されている製品のうちの非常に限られたもの

しか数量割当て撤廃の対象になっていません*14。

 こうした状況を前に、エコノミストのジョン・ウェイリーは「途上国のなかには、

2004年にはMFAは消滅しているかもしれないが、ダンピング防止関税の大幅な上昇と

いった他の貿易措置がそれに取って代わって大きな障壁となっているかもしれないと

いう考えが広がっている」*15と述べています。

 農業協定については、ウルグアイ・ラウンドの最中に、途上国からの輸出品に市場

アクセスを提供し、第三世界の市場価格を破壊する先進国からのダンピング輸出につ

ながる先進国の農家への高額補助金を引き下げる方向への重要なステップとして途上

国側に示されたものでした。しかし、5年経ってみて、先進国市場へのアクセスにつ

いて見るべき成果はほとんどなく、補助金については、輸出奨励金、輸出信用、価格

支持、様々な種類の直接支持など、あらゆる種類の補助を巧妙に組み合わせた形で行

われているために、以前よりも増加していることがわかっています。

 数字を見れば一目瞭然です。OECD加盟国の農業補助金はWTOが誕生した1995年には

1,820億ドルだったのですが、1997年には2,800億ドル、1998年には何と3,620億ドル

に膨れあがりました。農業協定は革新的政策などではなく、フィリピンの前貿易長官

の言葉を借りれば「農業協定は多国間貿易システムが是正しようとしていた不公平な

貿易市場を永久に存続させるものです。それどころか、高額の国内補助金や輸出奨励

金を拠出できる国々と比べて途上国が市場で競争する際により大きなハンディを負わ

せる内容なのです」*16。

 シアトルにおける農業交渉の決裂は、農業協定に変更を加えることがいかに困難か

ということを示す最もよい例です。EUは、補助金の「大幅な削減」を義務づけられる

合意に最後まで抵抗しました。しかし米国に罪がなかったわけではありません。米国

は、輸出信用、農家への直接支払い、「緊急」農業支援といった形の補助金を削減す

ることには断固として反対し、自国産品の途上国市場におけるダンピングについて言

及されることにも強硬に反対したのです。

 

◆少数による意志決定で

 方向性が定められる

 

 WTOの意志決定システムは改革可能でしょうか。WTOよりはずっと柔軟性に富んでい

たものの、GATTももちろん完全とはほど遠いものでした。そのGATTからWTOが引き継

いだ悪弊の一つに意志決定システムがあります。GATTでは「コンセンサス」と呼ばれ

るプロセスで物事が決められていました。コンセンサスは、IMFや世界銀行に加盟す

る先進国が直面したのと同じ問題に応えてつくりだされたものでした。つまり、数の

上で力の強い「南」の新しい加盟国を前に、どのように「北」の支配を確実なものに

するかという問題です。IMFと世銀では加盟国の出資金額によって加重投票をおこな

うという意志決定システムがつくられ、そのおかげで米国と他の裕福な国々は両機関

を効果的に操れるようになりました。

 GATTでは当初、一国一票システムが導入されたのですが、貿易大国はこれでは自国

の利益は守れないと考えました。そういうわけで、GATTでは公式な投票が行われたの

は1959年が最後です*17。代わりに行われていたのは、米国の経済学者バーグステン

が言うところの「投票では機能しない。現実には米国、日本、EUカナダの四大勢力が

支配するコンセンサスによって機能する」*18システムです。彼はさらに続けて、

「何か大きな物事が決められる場合には他の国々からそれに合意を取り付ける必要が

あるだろう。確かにそれはそうだ。だが、投票は行わない」*19とも言っています。

全く、WTOは非常に非民主的な組織で、決定は会議場の外で貿易大国が呼びかける会

合を通じて非公式に行われます。民主主義では意志決定の中心となる場所であるはず

の公式の本会議は、演説のための場所と化しています。1996年にシンガポールで決定

された情報技術分野の貿易自由化、1998年にジュネーブで決定された電子商取引の自

由化という、WTOの第1回、第2回閣僚会議の成果となった主要合意は、すべて非公

式の舞台裏の話し合いによって決定され、本会議場には単に既成事実として提出され

ました。コンセンサスは単に、力の弱い国が主要貿易国間で合意された「コンセンサ

ス」に従うよう圧力をかけられ脅されるプロセスを見えにくくする役割を果たしてい

るだけなのです。

 3回の閣僚会議すべてに中心的役割をはたした米国のバーシェフスキー通商代表

は、シアトルの記者会見の場でこの意志決定システムの実態について、驚くべき率直

さでもって次のように述べています。

 「3年前のシンガポールの際からそうだったのだが、意志決定プロセスはかなり排

他的なものだ。すべての会合は20から30の主要国間で行われた。つまり100カ国を超

える全加盟国が、一同に討議の場にいたことはなかった。そのため、討議に参加でき

なかった国の間には、自分たちは意志決定の場から排除されていて、シンガポールの

場合にしても、会議に参加することができた20ないし30の国が決めた結果を押しつけ

られているという非常に不愉快な感情が生まれることになった」*20。

 その後彼女は、より幅広い声を吸い上げるためとの理由でシアトル閣僚会議のため

につくられた「作業部会(ワーキング・グループ)」で代表団たちがコンセンサスを

得られなかったことに不満を露わにし、代表団にこう警告します。「全閣僚にはっき

り申し上げたのだが、もし目標を達成できないのなら、最終合意に達するためにもっ

と排他的なプロセスをも使う権利が私にあることをご承知おき頂きたい。議長として

それを行使する権利が私にあることにも、議長としてそれを行使する意志が私にある

ことにも何の異論も挟ませない」*21。

 そうして、彼女はWTOに加盟する主要途上国の一つであるインドが参加しないまま

で、強引に宣言文を通そうと真剣に考えていました。自国の面子がつぶされないよう

に最後の最後まで粘ろうとして米国が開いていた非公式会合の場から、インドは決

まって排除されていました*22。

 シアトル閣僚会議の決裂後、そのダメージをこれ以上拡げないために、バーシェフ

スキーやマイク・ムーアWTO事務局長、それに他の豊かな国の代表はWTO改革の必要性

について発言してきました。しかし、誰も、民主的な国際機関にふさわしい公正な方

法であろう一国一票の多数決制度や人口に応じた加重投票制度の導入については言及

しません。そうしたメカニズムは意志決定にあたって途上国に優位な立場を与えるた

め、決して採用されることはないでしょう。

 

◆時代遅れのWTOに対し、

 改革を試みるべきか

 

 改革は、問題となっているシステムが基本的には公正なのに腐敗しているといっ

た、いくつかの民主主義国家にみられるような場合には有効な戦略でしょう。しか

し、目的、原則、プロセスにおいて根本的に不平等であるWTOのようなシステムの場

合には有効な戦略とは言えません。WTOは豊かな国、なかでも米国の貿易及び経済面

での優位性を一貫して保護しています。途上国から発展するための施策を実施する権

利を奪い、途上国が「特別かつ差異のある待遇」を受ける権利を大幅に削ってしまっ

たのです。WTOは意志決定の原則にも不平等を持ち込んでいます。

 WTOは、しばしば、力の強い国々の一方的措置から力の弱い国々を保護する「ルー

ルに則った」貿易の枠組であると喧伝されてきました。しかし実態はその反対です。

WTOは、他の多くの多国間国際協定と同様、不平等を制度化し正当化するためのもの

です。より柔軟性ある国際システムでは、自分たちの主張をとおすよう数多くの小国

に働きかけるために莫大な費用を費やさねばなりませんが、その費用を削ることが主

要な目的です。

 現在、WTOとIMFの両方が、組織の正当性に関して深刻な危機に陥っているのは驚く

にあたりません。一握りの国家、エリート、多国籍企業の関心や利益に合わせて世界

規模での経済、社会、政治、環境への取り組みが決定されるための、非常に権力が集

中し、アカウンタビリティに乏しく、不透明な組織であるという点で両者は共通して

います。

 こうした組織の活動は、南北両方の多くの人々、国家、地域社会の間に急速に生ま

れている民主主義への要求とは相容れません。こうした組織の中央集権的な性格は、

地域や国家が自分たちの進む方向を自分たちで決め、経済的、政治的に権限の分散や

分権化をはかることにより、ささやかながらも安定した生活を築こうとする努力とは

相容れません。言い換えれば、こうした組織は参加型で進められる政治・経済の民主

主義の時代からとり残された恐竜時代の組織なのです。

 

◆国際貿易を管理する

 複数のシステムを創設する

 

 明らかなことが一つあるとすれば、途上国政府と市民社会はこれらの組織の改革に

労力を費やすべきではないということです。そうすることは、根本的に欠陥のある組

織にちょっとした化粧直しを施すことにしかならないでしょう。今日、必要なのは、

改革されようがされまいが新たな権力集中型世界組織をつくりだすことではなく、組

織の権限分散化や分権化を進めることであり、柔軟な協定や合意のなかで組織や機関

が相互に意見をやりとりできる多元的システムを創設することです。

 ラテンアメリカと多くのアジアの国々が1950〜70年の間にある程度の工業発展を達

成したのは、あらゆる貿易を対象とする強力な多国間機関によって覇権が制度化され

てはいなかった多元的な世界システムの下においてでした。WTOの自由市場信奉とは

大きく異なる、国家が積極的な役割を果たす貿易産業政策を通じて東アジア、東南ア

ジアの国々が新興工業国になったのは、権力が制限され、柔軟で、途上国の特別な立

場にWTOより同情的で、より多元的なGATTの世界システムの下においてでした。

 強力なWTOにとって代わるべきなのは、ホッブズの言う「万人の万人に対する闘

争」が繰り返される自然状態ではありません。こうした恐怖をあおるのは常に力のあ

る者です。複数の国際機関や地域機関がお互いをチェックし合いながら共存する世界

では、国際間の経済関係の姿は、喧伝されるような「意地が悪く」「野蛮な」世界と

はかけ離れたものです。もちろん、大国による一方的措置の脅威はこのようなシステ

ムでも存在するでしょうが、自分たちの正当性が危うくなる事態を招きかねないこと

や、対抗勢力が団結して行動を起こすことを恐れ、大国でさえそうした行動を取るこ

とを躊躇するようになるでしょう。

 言い換えれば、途上国と市民社会が目指すべきものはWTOの改革ではなく、受動的

な方法や積極的な方法をさまざまに組み合わせることで、WTOの持っている権力を大

幅に失わせ、他の国際機関、協定、地域グループと共生しチェックし合う国際組織の

一つにしてしまうことです。UNCTAD、様々な多国間環境協定、国際労働機関

(ILO)、南米南部共同市場(メルコスール)、南アジア地域協力連合(SAARC)、南

部アフリカ開発共同体(SADCC)、東南アジア諸国連合(ASEAN)といった多様な組織

や制度がこれには含まれます。「南」の国々や地域社会が、それぞれの価値観、ペー

ス、戦略に基づいて開発を進めていくことができるのは、こうした複数のチェック&

バランス機能が存在する、より柔軟で多元的な世界においてなのです。

 

参考文献

1. Press briefing, Seattle, 2 December 1999.

2. Quoted in "Deadline Set for WTO Reforms," Guardian News Service, Jan. 10,

2000.

3. Figures from World Trade Organization, Annual Report 1998: International

Trade Statistics (Geneva: WTO, 1998), p. 12.

4. Quoted in "Cakes and Caviar: The Dunkel Draft and Third World

Agriculture," Ecologist, Vol. 23, No. 6 (Nov-Dec. 1993), p. 220.

5. C. Fred Bergsten, Director, Institute for International Economics,

Testimony before US Senate, Washington, DC, Oct. 13, 1994.

6. UNCTAD, Trade and Development Report 1991 (New York: United Nations,

1991), p. 191.

7. See discussion of this in Walden Bello and Stephanie Rosenfeld, Dragons

in Distress: Asia's Miracle Economies in Crisis (San Francisco: Institute

for Food and Development Policy, 1990), p. 161.

8. Quoted in John Whalley, Special and Differential Treatment in the

Millennium Round (CSGR Working Paper, No. 30/99) (May 1999), p 3.

9. Ibid., p. 4.

10. Ibid., p. 7.

11. Ibid., p. 10.

12. Ibid., p. 14.

13. "More Power to the World Trade Organization?", Panos Briefing, Nov.

1999, p. 14.

14. South Center, The Multilateral Trade Agenda and the South (Geneva: South

Center, 1998), p. 32.

15. John Whalley, Building Poor Countries' Trading Capacity (CSGR Working

Paper Series )(Warwick: CSGR, March 1999)

16. Secretary of Trade Cesar Bautista, Address to 2nd WTO Ministerial,

Geneva, May 17, 1998.

17. C. Fred Bergsten, Director, Institute for International Economics,

Testimony before the US Senate, Washington, DC, Oct. 13, 1994.

18. Ibid.

19. Ibid.

20. Press briefing, Seattle, Washington, Dec. 2, 1999

21. Ibid.

22. "Deadline Set for WTO Reforms," Guardian News Service, 10 January 2000

 

著作リスト

Iron Cage: The WTO, the Bretton Woods Institutions, and the Third World

(Bangkok: Focus on the Global South, 1999)

A Siamese Tragedy: Development and Disintegration in Modern Thailand

(London: Zed Press, 1998)

Dark Victory: The United States, Structural Adjustment, and Global Poverty

London: Pluto Press, 1994)

Dragons in Distress: Asia's Miracle Economies in Crisis (London: Penguin

Books, 1991)

 

 

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