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       介護の社会化

 

時代に揺らぐ、モンダ主義

 

日ごろ私たちが、漠然と感じている老後への不安……。

近年話題になっている公的介護保険制度とは「介護の社会化」を約束し、

高齢者や障害を背負った方々を家族の手だけではなく、

「地域で」看(み)て、支えていくことをめざしているものである。

 

私がこのような社会制度、その寛容な制度自体を支える理念に、

はじめて出会ったのは二十年前のことだった。

初めての海外旅行でヨーロッパのいくつかの国を訪ね、

街角で見て考え、人に尋ねて大変びっくりした。

 

一方、日本の村では寝たきりの年寄りなどは、妻、嫁、娘らが

看るのが「当然のこと」とされ、モンダ主義とよばれる。

若者は「、、、するモンダ」。女は「、、、するモンダ」。

年寄り隠居は「、、、するモンダ」。

 

村に住み、村で働く若者には「義務ではない、お役目?」として、

消防団員になることが当然のように期待されている。

 

長く消防署がなく、救急車のなかったこのあたりの地域では、

消防団長こそむら最高の名誉職である。

 

まさに「男のなかの男」であり、時に村長(むらおさ)以上

の声望であった。

 

自分たちのふるさと、家々や里山を守って備える消防団――。

大水や山火事、子どもの川流れでは即時の出動になる。

そろいの法被をつけての猛訓練の様子、

寒風の中の出初式のありさまに接して、

ボランティア活動の原点を垣間見させていただく感慨を持った。

 

モンダ主義のようなムラビトの意識のありかたは、

ムラの介護風景をとても写真映りのよいものにする。

ご近所もまたその介護を間接的に支え関心を持つ、

という美談にかたむく。

 

しかし現実には、介護は「女衆(おんなしゅう)の仕事」、

とするモンダ主義の強制適用例もある。

都市においても同じだろう。

どこでも皆が納得してとりくめているわけではない。

 

介護保険制度導入に伴い、近年話題になっている「介護の社会化」

という美しい言葉がムラに届いた時、

女衆の期待は極大化した。

 

 

関係性が濃厚に過ぎるムラ。

 

カッコよく老いていくご老人方の介護の責任を、

女衆への負担転嫁によってなんとか乗り切っているという現状に、

都会的な「匿名性の介護」が待望されたヒーローとして登場した。

 

しかしお金を介しての匿名性の介護の実現を、

すぐには期待しにくいムラ社会の事情もあった。

 

すべてのムラビトになんらかの村内の役割があり、

障害者もまた、なんらかの居場所があって役割を受けもつ。

こういった、お互いの生活がいつもガラス張りであるという

「劇場的な」伝統的ムラ社会の関係性のたち現われ方にも、

変化のきざしが見うけられる。

 

現代の女衆は、自分たちの世代が当然、と考えてとりくんだ

家庭内介護を、次世代には期待できそうもない、

将来の自分たちの下の世話は誰(だれ)がしてくれることに

なるのかわからないという困惑、、、。

 

ヒトとヒトとをつなぐ、強固だった絆(きずな)が急速に

希薄になっていく――。

そんな、目に見えない大変動の渦中で、ムラはゆれている。

 

 

 

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