「あったかいご」2001年 秋号
長野発・介護と地域の情報誌

インタビュー

● ながの この人

● 農村医療に取り組む
  色平 哲郎さん【南相木村診療所長】

● 地域に深く分け入って、村人の人生、生き方から学びたい

●看とりの時、人生が見える

先日、98才の女性が亡くなりました。
大往生です。
村の最高齢の方でした。
一族全部数えあげれば数十人にもなろうというおばあさんです。

今回の看とりの体験も、私にとって大きな学びの機会でした。

いよいよ、という時が近づくと、都会から子どもや孫たちが村に戻ってくる。
「私にとって、実はこんなおばあちゃんなんです――」
いっしょにくらす同居家族からは伺うことのできない、
新たな発見がありました。

今まで見知っていた彼女の人間像に加えて別の物語が重なり、
百年におよぶ彼女の歳月を以前よりも、
より立体的に身近に感じるようになりました。

今回も、残念ながら「最終診断書」を書くのがきっかけになって、
新たな人生の断面を存じ上げることになったわけです。

おばあさんは世間的には全く無名な方でしょう。
私にとって山の村での日々は
「あの人もこの人も、困難な時代をこうやって生き抜いてきたんだ」
と、彼や彼女の生き様や思いが響き伝わってくる毎日になりました。

●村の歴史を知る

私は、お年寄りの人生の「根っこ」が地域にあるというなら、
そこに深く分け入って、村人の人生や生き方から学びたいものだ、と考えています。
地域にくらす人の生活ぶりを深く知るためにはいったいどうしたらよいのだろう、
と考え、自然と村の成り立ちや、村人の持っている豊かな有形無形の財産に
関心を抱くようになって、人々の語りを聴きとることをはじめました。

しっかり根を張って生きておいでになった人生の先輩方の語りを聴いていると、
自然にその人を尊敬するようになりました。
こんなふうに、多様な人生のありようを聴きとることのできる仕事で幸せです。

「手作り」の介護や看とりは、なかなか大変なものですね。
しかし困難な分、報われるところがきっとあるものです。
「人間として人間の世話をする」というケアの原点について、
出会いと別れのありように深く感じ入ることがあります。

●多角的にものを観る

私の村には年間200人くらいの医学生、看護学生が合宿研修においでになります。
村人の住まいにいっしょに伺って、子ども時代のくらしぶり、戦争の話、
満州でのご苦労の話など、
どういう人生をどんな思いで歩んできたか語っていただくようにしています。

学生たちには難しい話になることもあります。
今の若者は知識でしか「おしん」の時代の人々の生活ぶりを知らないので、
語りの内実を受けとめることができなくてとまどうようです。
そんな時、「実は今、君自身がどういう人間であるかが問われているんだよ」
と申し上げます。

ご老人の苦労話を伺うことから、
この列島に実に様々な生き方があったことを知ってほしい。

医師や看護婦を目指している人は、特殊な環境で育った良心的な”エリート”が多い。
エリートとは世間知らずな人のことを皮肉で言っているのですが、
患者さん方はもちろん世間でくらしておいでになる。
学生として時間がとれるうちにこそ、世間の人が何を大切にし、
何を誇りに思って生きてきたのかを学ぶ必要があると感じます。

人と関わる仕事につくからこそ、多角的にものを見ることができるようになってほしい
。目はひとつでは距離感がわからないのです。
複眼的に物事を見るようにしてほしい。
そのためには、日本の村ばかりでなく、
外国の農村にくらす人々の生き方も学んでほしいと、申し上げています。

●根を張って生きる人々を支える福祉とは?

医療の世界では、どうしても病気や障害だけに注目し、
その背景にある生活を忘れがちです。

医療技術で、どんな病気や障害も完治するのならそれでもいいでしょう。
しかし実際にはすべての病気が治るわけではない。
障害とともに生きていく時間も長いのです。
そこを支えるのが、福祉だと思いますよ。
福祉=幸せな生活、と私は理解しています。
保健・医療・福祉の三者の中で1番大切なものは福祉だと思う。
人々の幸せな生活を地域で支えるのが福祉だからです。

しかしなぜか現状ではこの理解は広がっていきません。
病院の中だけで考えていると、医学で何でもできるような気になってしまいがちです。

しかし家で自分らしく生きて死にたいお年寄り、夫婦の生活を守りたい思いの強い方、
地域で根っこを張って生きていきたい人々は病院には来たがらないんですよ。

そういう人を支える時こそ、福祉の出番です。
私は、幸せをサポートするための福祉と連携できる医療像を目ざしたいものだ、
と考えております。
「人々の心のそばに住みつく」ことが現場で大事だと考えています。



色平哲郎(いろひら・てつろう)さん:

南佐久郡南相木(みなみあいき)村診療所長。
佐久総合病院内科医。
NPO「佐久地域国際連帯市民の会(アイザック)」事務局長。

1960年横浜市生まれ。
東京大学中退後、アジア各国を旅し、医師を目指し京都大学医学部へ。
卒業後厚生連佐久総合病院、京都大学医学部付属病院などを経て、
長野県南佐久郡南牧(みなみまき)村野辺山へき地診療所長。
98年より南相木村の初代診療所長となる。

外国人HIV感染者・発症者への「医職住」の生活支援、
帰国支援を行うNPO「アイザック」の事務局長としても活動を続ける。
こうした活動により95年、タイ政府より表彰を受ける。
長野県版朝日新聞に、村の生活、村人の人生を綴った「風のひと土のひと」を連載中。
現在、村内で家族5人暮らし。

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