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           3.習い事と試験

                      (平成12年5月25日)

ノートとは・・・むむっ卑怯な

 

 三十年前、私が十歳だったころ、習い事といえば、習字とそろばんだった。

今は、英会話と水泳なのだと聞く。ワープロと電卓の普及で、ずいぶん様変わりした。

 ピアノは情操教育によいのだそうで、いつの時代も盛んだ。

 この点で、ピアノには大変感謝している。学生結婚して、ピアノ教師の女房に、し

ばらくの間養ってもらっていたからだ。

 

 結婚することで親の扶養を離れたことで「無収入」となり、大学から授業料の免除を受けた。

 少しくやしかったが、「助かった」とも思った。それまで親からの仕送りに頼らず、

自分で働いて学費を支払い生活していくのは苦しかった。一カ月の寮費が百円という

学生寮に住んで、自分の大学の生協食堂で働いた。

 この自治寮を見つけていなかったら、医学部を卒業することは、とても出来なかっ

ただろう。

 

 金がない。日本語の医学書は高くて、とても買えなかった。

英語のは安いが、英語は難しい。

日本の医師国家試験は日本語だから、講義に出席して、医学用語の難しい漢字を

何とかして覚え込む必要がある。

 医学部専門課程になると、臨床各科の講義に、ほとんど出席者がいない。

京大生は、頭がいいんだろう。講義など聴かずとも、教科書を読めば試験に通る、

との自信の表れだったのだろうか。

朝、私ひとりの前で講義が始まり、昼前になって出席者五人、というのが一番ひどかっ

た。

 講義で不明な点はその場で確かめ、終了後は、講師を引き留めて、研究的な内容に

ついても、個人的に質疑とした。意味不明の講義を続けた教授には、何度か質問し

たが、らちがあかず、講義の最終日に「来年からあなたは講義をせんでよろしい」と

申し渡した。

こっちは年をくっているし、講義を聴いて理解不能なら、試験に通らないではない

か。自分で働いて学費を払っていた当時の私にとって、趣味的な講義を看過する余裕

はなかった。生き残りがかかっていた。

 いつも最前列で講義を受けていた。講堂の後ろの席で、ざわついている学生たちが

いた。私は立ち上がって「出て行け!」と、怒鳴りつけた。怒鳴って悪いことをした

かなあ。でも、彼らはたぶん、自分の金で学費を払ってはいないんだ。

 

 小学生ころから変わっていた。九九は半分しか覚えなかった。

九の段は、九九八十一とだけ覚えた。九八は八九と同じはずだ。

九七は七の段でやったじゃないか。裏九九を覚えていない分、筆算では慎重になり、

決して間違えなかった。

 ある時、怒りとともに、突然気づいたことがある。試験のことだ。

 正々堂々と、腕組みをして先生の授業を集中してきく。その場で理解できるだけ理

解して覚え、それで「勝負」する。世間知らずにも、そう信じていた。

 ところがなんと、「ノート」というメモを取っているヤツがいる。その上、試験前

に読み返して覚えるヤツまでいるという。なんて卑怯(ひきょう)な連中だ……。

 

 十歳の私は、この時初めて、試験の「常識」を知った。

 

 

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