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       看取るということ

 

            隣人として 背景見つめる

 

 

ムラで診療を始めてみると、都市での医療との様々な違いに気づかされる。

 

例えば、日々の私の診療で、

そうそう厳密なことがいつも要求されているわけではない。

もちろん、医師としての技術がしっかりしていなければ困るのだが、

高度医療が必要な際は、佐久総合病院に転送すればよい。

転送の見極めが遅れないことこそ最重要である。

 

それよりも感じるのは、私がムラの歴史や文化、

生活する村人のひととなりに関心を持っていることが大切なのではないか――

ということだ。

 

こちらが関心を持てば持つほど、ムラビトは歓迎してくれる(ようにみえる)。

そうすると私はもっともっと、このおじいさん、

おばあさんはどんな人なんだろうと知りたくなる。

 

 

「人と人」「人間と人間」という関係性を楽しめるようになってくると、

時に、高齢の方については「この人はここで看取(みと)ってもいい」とさえ思えてく

る。

日々の診療を通じ、その人が”生きる”ということについて

「こう考えているんだ」とわかってくると、「私が看取るんだ」

という妙な自負心さえ生まれてくるということかもしれない。

 

 

南相木村に赴任する前に勤めていた隣村の野辺山へき地診療所で、

村の最高齢のおばあさんを看取った。

 

最初に彼女に会ったのは、病院に入院中の個室でだった。

壁の方を向き、表情のない彼女はじっと黙ったままだった。

 

ところが、退院した彼女の自宅をお訪ねして、大きな相違を感じた。

 

彼女のベッドの上には一枚の写真が飾ってあった。

米寿の祝いのときのもので、一族全員が写っていて、

百人以上の子や孫、ひ孫がいる。

この写真を前に周囲の近親者の語りに耳を傾けていると、

このおばあさん――「つる代さん」の人となりが自然に浮かび上がってきた。

 

一族の長としてのカッコよさ、

重厚さへの尊敬の気持ちで彼女を見つめた場合、

「残念だけれども、今回九十九歳で看取ることになった」

という納得がこちら医療者にも生じてきた。

 

 

これが都会であるとどうなるだろうか?

大学病院で修行していた経験から多少わかるのだが、

残念ながら患者さんは結局「一見(いちげん)さん」にすぎない。

名前こそついているけれど、背景のない単なる「患者さん」にすぎないのだ。

病院での医療は、個々の患者の生活についての洞察や、どんな人生観を持った方なのか

、という部分になかなか踏み込めずにいる。

 

診断後は生物学的に治療は進み、

ケアされるべき弱者の「要介護度」や状態に応じて介護も進行していく。

 

医療と介護はもちろん違う。

しかし、もう治せない、となった場合の医療は、

福祉や介護と同じ方向を見つめようとすること、つまりその人の、

人生の背景を含む生活全体を見つめる眼をもつことが重要なのではないか?

 

医師は可能ならば、担当した全ての患者さんのご自宅を訪ねておくことが

望ましいのではないか――と私は夢想する。

白衣を着た権威ある医師としてではなく、隣人として……。

 

 

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