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        沈黙の証言

 

              時代、ひざや腰に刻まれて

 

 

村営の診療所にはポツンポツンと「お客」が来る。

 

お客のほとんどが村のご老人である。

待合室にはずいぶん腰の曲がった高齢の方が目立つが、

元気ではつらつとした表情の老人が多いことに驚かされる 。

 

冗舌な方はあまりいない。

基幹産業である農業を現役として担っている方が多いので、自分に自信があるのだろう

。簡単には弱音を吐かない、「野生の」老人たちだ。

 

そんな患者さんたちとつきあっていると、

都市とムラとではずいぶん違うものだと感じた。

 

たとえば「痛み」について――。

都会では十の痛みを百通りの言葉で表現する方が多い。

しかし、こちらムラでは、十の痛みは一ぐらいにしか訴えていただけない。

 

重大な病気を見落とさないためには、

ちょっとしたしぐさや訴えに注意することが重要となる。

患者さんの表情や、言葉になる以前の表現を読み取ろうとして、

日々努力することになった。

 

 

日々の外来診療で、「沈黙の証言」に耳をかたむける瞬間がある。

 

年配の患者さんの変形したひざや腰の骨に刻まれた、

歴史と時代の証言である。

 

関節に水がたまった彼女たちの背中とおしりをさすりながら耳をそばだてる。

すると、つぶれた背骨とすりへった軟骨がひとしきり語りかけてくる。

 

機械にたよることのできなかった時代、牛馬とともにあった村での生活ぶり。

隣近所で助けあうより他なかった農作業、

「結い」とよばれる恊働作業のありようを想像することになった。

コメがとれず、養蚕と炭焼き以外にはほとんど現金収入のなかったムラ、

すべて手作業の時代であった。

 

バスや自動車はもちろん、ガスも電気もない。

後にアジア諸国から「おしん」の時代の日本、

とのイメージで語られるようになった生活のありようである。

 

 

往診の際の、ちょっとしたすきまの時間。

一人ひとりの人生の、記憶の一瞬が、輝いた肉声で語られることがある。

 

兵隊に行った時の苦労話――。

 

「国費の海外旅行」でなぐられ続けたこと。

「肉弾」となって死んだ戦友の想い出。

ニューギニア戦線、二百人の部隊。

本当の野戦での死者は二人で、

あとの百六十人は栄養失調での餓死やマラリアなどによる病で死んだこと……。

 

山の峠を越えてお嫁に来た時の驚き。

長持をたずさえて生家から馬に乗り、

そう簡単に戻ることの出来ない、険しい村境をヨメとして越えてきた想い出。

 

「新宅」とよばれる分家のヨメとして、本家筋にいびられ続けたこと。

村内の親せき筋には語るに語れない思い。

「あの姉さんには、泣かされた……。」

 

村外者の医者相手には、話しやすいのだろうか。

つらかった記憶は、村内(むらうち)では

うち明ける相手を見いだすのが難しいのかもしれないと、ふと考えた。

 

 

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