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         野生の老人

 

               地域に根をおろす偉大さ

 

私のムラには年間百五十人ほどの医学生、看護学生、

社会人らが都会からやって来て合宿をする。

 

希望者は多く、全国からやってくる。

どこでこのムラのことを聞きつけたのだろう?

リピーターも多い。

卒業してからもやって来る。

かれらには元気で活発な、「野生のご老人」の姿をお伝えしたいものだ。

 

山中の陋屋(ろうおく)に二人でくらす老夫婦の生活。

確かに国民総生産(GNP)換算すれば、マイナスになってしまうのだろう。

いつもお金に換算しなくともよい。

地域の中でどっしり根をおろし輝いている姿、

そのカッコよさ、すさまじさ、パワーをお伝えしたい。

 

 

「風のひと」としてこの村に移り住んだ外来者である私たち家族は、

隣人である「土のひと」たちに日々大変お世話になっている。

七百年の歴史をもつ自然村相木郷の包容力に感動しつつ、

進行する高齢化と過疎化の波に「ムラの自治」の将来を案ずる

医師としての日常がある。

 

 

風に根はないが、種を散らすことができる。

土は根をはって動けないが、文化を育むことができる。

 

風はとかく土を鈍重であるとバカにし、土はとかく風を根無しと笑う。

 

しかしこのようにお互いが悪口を言いあっている仲では、

一緒になってムラの再生にとりくむことができない。

 

いいところを認め合ってお互いが大事だと思えるようになるには、

一体どうすればよいのか?

 

風の中にも土の要素がある。

風は土になれないが、土の魅力を感じ、土から学ぶことがある。

 

土の中にも風の要素があるだろう。

土は風にはなれないが、風の魅力を感じ、

風から学ぶところもあるだろう。

 

 

現在私のくらしている山のムラには、かつて、

「ひもじさ」と隣り合わせの、分け隔てのなさ、生活の楽しみ、笑い、目の輝き

といったすばらしいものがあった。

 

その一方で、みてくれ、ぬけがけ、あきらめといった

ムラ社会の根性の狭さもあった。

 

このようなムラの二面性は、かつて放浪し、

へき地医療に取り組むきっかけになった東南アジアの村々を

彷彿(ほうふつ)とさせた。

 

 

では、老人は弱者であろうか?

 

老人は決して、単に弱者ではない。

確かに車がないと言う意味では「交通弱者」と言えるかもしれない。

しかし、根っこを引き抜かれ、

あきらめのなかに置かれた病院や施設でのご老人方の姿から、

「老人は弱者である」と決めつけてしまうのは、間違いであると考えたい。

 

そして家庭の中で自身の祖父母と語り合わず、知りあわずにいて、

実習として、はじめて施設内のご老人と接することで、

医学生や看護学生が、「老人は弱者である」と考えてしまいがちなことも、

今の時代、当然といえば当然だが、大変残念なことである。

 

 

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