語り合える友

私自身の内面映す「鏡」

風は遠くから理想を含んでやってくるもの
土はそこにあって生命を生み出し育(はぐく)むもの
君風性の人ならば土を求めて吹く風になれ
君が土性の人ならば風を呼びこむ土になれ

土は風の軽さを嗤(わら)い
風は土の重さを蔑(さげす)む
愚かなことだ

風は軽く涼やかに
土は重く温かく
和して文化を生むものを

(玉井袈裟男著・詩集「風のノート」より)

先日、JR小海駅から村まで歩く機会があった。
消えかけた旧道を歩きながら、「風のノート」の一節を思い出した。
駅舎内の小海診療所から10キロの道のり。
自宅まで2時間かかった。
車がいかに便利なものかと感じた一方、
歩くことで周囲の田んぼ、
森や川の景色がいかに鮮かに見えるものかと気づいた。

川には早瀬がある。
水音を聞きながら歩くと、普段聴き落としていたことに気づく。
途中道端に「小海村道路元標」とかろうじて読み取れる石碑があった。
このあたりは本村と呼ばれ、大正8年(1919年)の佐久鉄道小海駅開業以前は、
その名のように旧小海村の中心地だったところだ。
相木川がせき止められてできた湖のあった場所で、
「小海」との地名の由来となった。

しばらく坂道を登ると、いったん北相木村へ入る。
川又という両相木の川の分岐点から右に南相木側を見上げると、
石造の親子像が見える。
「不戦の像」というわが村のシンボルだ。
兵士となった父親を見送る、子どもの手を引き赤ん坊を負ぶった母親の石像――。
私の患者であった元村長が建立した、二度と戦うまいとの誓願である。

若いころは、よく歩いて旅をした。
「大汗かいて、何のためにわざわざ歩くのか」との友人の問いには、
「息をして、何のために生きているのか」と似たような質問ではないか、と答えた。
人生は旅であり、旅は過程が重要だと考えていた。

次第に遠出するようになり、東京から関東平野を北へ横断したことがある。
広い広い単調な平野だった。
車がいやだったので、旧街道や土手道を選んで歩いた。
野宿した神社の床下に警官がやって来て、職務質問を受けた。
ずいぶんとひどい風貌になっていたのでないか。
関東平野の北端、水上温泉郷から山中に入り、
谷川岳のすぐ東を抜けて蓬(よもぎ)峠を越えると、私のふるさと越後の国へ出た。


歩いているといろいろなことを考える。
希望について、絶望について。
歩いている人間は小さく、弱いものだ。
落ち込んだとき、悩んだとき、苦しいとき、
壁にぶつかったとき、だれに相談したらよいのだろう。
打ち明けることのできる友人が何人いるだろう。
いっしょに語り合う友がいれば……。
それで、人生の明るさも決まってくるのではないか、そう思った。

心弱くなったとき、「相談にのってほしいなあ」
という人は、あなたにとっていったい誰だろう。
家族だろうか、職場の先輩だろうか、近所の人だろうか。
そういう人たち、十人のことを心に想い浮かべながら歩いた。
そして立ち止まって彼らの名前を、実際に手帳に書きつづってみた。

この十人こそ、私自身の「鏡」であろう。
私の内面を反映していることになるのだ。
毎年、その十人のリストは少しずつ、しかし間違いなく変化していく。
それは私自身の内面の変化の現れなのだ。
良くも悪くも人間は変わっていくのだ。
山道を歩きながら、そう考えた。

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