医療・行政の使命

リーダーの方針明示が重要

「もっと知りたい、ことしの仕事」と題する予算説明書を入手した。
北海道・ニセコ町が作った町財政の説明書である。
普通、行政が作成する予算書や決算書というと数字が並んだ分厚い判じ物なのだが、
これはまったく異なっている。
町内全戸に配布される130ページの説明書は、小中学生にも理解できるようにと、
わかりやすい略図、写真と棒グラフで描かれていて親しみがもてる。

「町の予算は、本来、町民のみなさまのものです。
町は、予算をわかりやすくみなさまに説明し、ご理解いただく責任を持っています。
この予算説明書も、わかりやすい言葉を使うよう心がけました。
町の課題や疑問を発見し、議論するための一助として
ご活用いただけることを願っています」。
「予算書」冒頭にある、逢坂(おうさか)誠二町長のあいさつである。
町政のあるべき姿や使命について、実にすっきりと語りかけている。


日本で、第一線の臨床医に「病院の使命とは何か」と尋ねると
「病気やけがを治すこと」と答えるだろう。
しかし、いつも完治する病気やけがばかりではない。
治療に反応しない場合もあろうし、重い後遺症が残ることもある。
そこが実につらいところだ。

一方、米国のある病院の玄関には
「患者さんに安心いただくことが、われわれの使命です」
という言葉が掲げられている。
確かに、安心感なら、スタッフ全員が共有できる使命感たり得るだろう。
逢坂町長の言う「住民に説明し、理解いただくことがわれわれの使命である」
との方針に通ずるものがある。

米国の別の病院では、スタッフ全員が、1年のうち1週間は、
看護助手として病棟看護の現場で働くことになっている。
また、2年に1度は変名で24時間だけ「入院患者になる」ルールになっている。
「よい医療者になるには、病気を体験し、患者になってみることだ」
との古い格言を実地で行っているのだろうか。
「世界中の医者や看護婦はみんな健康すぎる。
病人のあの苦しみや心の痛みは、本当に病気になってみないとわかりませんよ」
という笑い話には、単なるジョークでは済まない部分があるようだ。

日々の診断・治療行為において、無意識ながらも、
患者に向けた極めて権力的な作用が働くことに、
医療者側はついつい無自覚になりがちだ。
同様に、日々の予算執行において、一般住民にどんな作用が働くのかについて、
無自覚に陥りやすい役場職員や県職員が存在するのではないか。
そうであればこそ、リーダーたる首長や病院長の「方針の明示」が重要となるのだろう。

「おおむね5人ほどの方が集まりましたら、町長が指定の場所におじゃまします。
時間や場所に制限はありませんので、自由に決めてください」。
ニセコ町の予算説明書の末尾にはこうあった。
これは「まちづくりトーク」とよばれる取り組みであり、
数年間に40数回行われ、町長は500人ほどの町民と直接話し合っているという。
お任せ民主主義から参加民主主義への意識変革こそ、自治の緊急課題であろう。

地方自治法94条によると、町村は議会を置かずに、
選挙権を持つ人々の総会を設けることができる。
いきなり「議会に代わる総会を」との極論まではいかないだろう。
しかし、このような素晴らしい町長を盛り立てていく町は、
たとえ高齢化が進行しようと、決して安易に町村合併とはならない自治の気概を感じた。

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