老後の心配
市場の緩和だけでは……
「老後の心配」は、北欧の国デンマークにはないのだそうだ。
昨年出会ったデンマーク人で、オランダに住んでいる若者からそう聞いた。
彼は日本に来て初めて、老後が心配だという考え方が存在することを知った。
祖国の高い税金(消費税率25%)から逃れて国を出た彼だが、
同じヨーロッパのオランダで暮らして、あまり外国という感じがしないという。
別の友人からは、65歳になるとすべてのデンマーク市民は年金がもらえる、
医療費は無料で自己負担はないと聞いた。
大学も含め学費は無料、奨学金も潤沢、しかしその分税金は高い。
例えば車を買う時、消費税のほかに環境目的税が180%という。
聞きつけて、老後はデンマークで、という日本人が現れるかもしれない。
日本でも「老後は高い福祉水準を持つ自治体に住みたい」
という希望が寄せられるそうだから。
しかし実は、若いころから税金を納め続けて、はじめて実現する高福祉なのだ。
このような高負担だが高福祉、というヨーロッパ型の社会福祉像に対し、
その対極にあるのが、アメリカ合衆国の現況である。
米国は「国民皆保険」では、もちろんない。
無保険者は約4000万人に達し、大きな社会問題になっている。
人々は、人体の各臓器ごとに民間の保険会社と契約するのだ。
金持ちなら、全身のすべての病気とけがにわたって保険をかけることができる。
しかし貧乏人は、金の切れ目が文字どおり命の切れ目――になってしまう。
フロリダ州の新聞、セント・ピーターズバーグ・タイムズの96年4月8日紙面に
こんな記事が載っていた。
州内の男性が、妻を救急治療室(ER)に連れてきた。
彼女は腹部の痛みを訴え、全身に汗をかいていた。
彼女が加盟している民間医療保険会社(HMO)の担当者はERの医師に、
「今回の治療費は支払うつもりはない」
「患者には制酸剤を与え、自宅で様子をみるようにさせるべきである」と電話で告げた。
患者の夫は妻を入院させたい一心で、
彼女が「補充医療保険プランにも加入している」と、うそまでついた。
病院は彼女の入院を認め、検査の結果、腸閉そくが発見され、
緊急手術によって救命された。
近年では日本でも医療費の削減圧力が強まる中、
従来からの公的健康保険制度を補完する民間保険の導入が予定されている。
生命保険(第1分野)と損害保険(第2分野)に続く、
第3分野と呼ばれるこの民間保険やがん保険の市場で、
本格的な規制緩和がなされつつある。
米国では、このようなHMOによる管理医療(マネージドケア)が急速に普及し、
前述のようなトラブルも多数報告されている。
HMOは、「医療費の効率化に寄与した」との評価がある一方で、
専門医や契約外の医療機関などへの適切な医療サービスを受ける機会を妨げ、
必要な治療が確保されていないとの批判も高まっている(厚生白書・10年度版)。
「HMOの経営を成功させる条件とは何か」
というテーマで研究していたハーバード大学の研究者が出した結論は
「患者に高品質の医療を提供することは、
企業体としてのHMOの成功には寄与しない」だった。
研究者は更に述べている。
「HMOの中には質の悪さで有名なところがあり、苦情が多数寄せられているが、
それでもこのHMOは成長率が最も高く、成功しているHMOの一つである」
医療や福祉に、単純に米国型・新自由主義的「改革」を持ち込むのは
間違いであるだけでなく、社会に分断を持ち込み危険でもあろう。