水の循環
森と田は「みどりのダム」
地球が青いことは、現代人にとってはまったく常識的なことだろう。
しかし宇宙空間から見たわれらが地球の第一印象が、美しく青くひかり輝く海――
液体の水であることは、20世紀後半の宇宙時代開幕まで、知られてはいなかった。
自分の素顔は、案外自分には見えないものなのか。
われわれの住む地球は「水球」、あるいは「海球」の命名がふさわしいような、
「みずみず」しい惑星だ。
地球上の水のうち、実に97%が海にあり、海水の形をとっている。
朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。
濱(はま)は祭りの やうだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらひ するだらう。
「大漁」と題した金子みすゞ(1903−1930)の詩。
海こそすべての生命の母である。
大漁に活気づく浜辺と海の底の弔いをじっと見通す詩人の視線を感じる。
いわしの生命をはぐくんだ海水は蒸発し循環している。
水の循環に関する学問を水文(すいもん)学というが、天文学と似て、面白い名前だ。
海水が蒸発して雲となり、それが雨となって降り、地下にしみこみ、
川に流れ、また海に戻る、という水の動き総体を循環として考える学問である。
五月雨(さみだれ)を あつめて早し 最上川
芭蕉のこの句は、江戸時代の日本人が
「雨こそ、川の源である」とすでに知っていたことを示している。
ヨーロッパでは、多くの科学的な発展が見られたルネサンス時代でさえ、
このことは必ずしも知られていなかったという。
最上川に限らず、日本の河川は世界の大河と比較すると大変な急流であり、
日本最長の信濃川(当地では千曲川)でさえ「滝である」との感想が、
当地を訪れた外国の友人から寄せられた。
確かに、中国大陸やヨーロッパでは、大雨が降ったからといって、
目の前を流れる大河の水量がすぐ目に見えて増える、などということは観察できそうも
ない。
水文学的に見て流水を時間的に平均し、流量を安定化する機能を担っているのは、
日本列島では森林と水田であろう。
山々の残雪と森林がかんようする地下水脈は、人々の飲料水として重要なばかりでなく、
ゆっくりゆっくりと河川や湖沼に水を供給している。
日本を含むアジア・モンスーン地帯では、
水田もまた「みどりのダム」として働いて、食料生産以外の多面的機能を受け持つ。
アジアにおける水田農業こそ、環境に優しく、しかも治水にも役立つ継続可能な農法として、
その優れた環境安定化機能を高く評価できるのではないだろうか。
山の村のわが家のすぐ前に、土造りの堰(せぎ)がある。
明治40年代初頭に苦労して開墾された田んぼに、
4キロ上流から共同の用水が引かれている、その落とし水だ。
毎年4月に村人の手で堰普請(ぶしん)がなされ水音が響き始める。
秋9月までは連日連夜、大きな音をたてて流れ下っていく。
水車をすえつけたら、粉屋が開業できそうだ。
絶えることのない涼しげな水音は、生命をはぐくむ森林と水田こそ
「みどりのダム」として働いていると実感させてくれる。