ご縁

巡り巡ってつながる心



毎年私の村に来て、合宿研修をしている医学生・看護学生のサークルがある。
数年前、はじめての合宿を引き受けるにあたって、FAXで次のような文章をもらった
。それは、彼らが二泊三日で取り組む合宿の「目標」についてだった。

1)将来、一人診療所の所長として、取り組みたい。
  これを目標にした「卒後研修」について何かヒントがほしい

2)佐久病院をはじめ、地域の各診療所・病院との、
  日々の「病診連携」のありようについて教えてほしい

3)国外を含む村外からのゲストとの交流活動に関心がある。
  どうすれば農山村で「外部」と交流しつつ
  診療にあたることができるか教えてほしい……

いずれも、答えに窮する難問だったが、
「その村にとっては”風のひと”であっても、
”村づくり”にも関心を抱く診療所長像を目指している」と、
自分の歩んだ「道」を説明することで、勘弁してもらった。
若者たちが納得したのかどうかはわからない。
しかしこのサークルは、代替わりしても、毎年私の村に通って来る。


医学生に限らず、私の村を訪ねてくる人は、不思議と絶えない。

国外からを含め、村を訪れる様々な人たちを受け入れて、
「何のメリットがあるのか」――。
自分では考えたこともないが、たまに受ける質問だ。

私もアジアや日本のあちこちでお世話になったから
「おたがいさま」というものですよ――
いつしか、そんな風に答えるようになった。

学生のころのヨーロッパやアジアでの貧乏旅行、
まだ幼かった長男を連れて妻と3人で行ったアジアの旅、
どこへ行っても、その土地土地で、地元の方々にお世話になった。
アジアの島国から来た、金持ちでもない一学生、
あるいは一家のことを、親身に考えてもらい、大変感謝している。

この「恩義」を、何とかお返しできないものだろうか、といつも考えていた。
「近所つき合い」の距離ではないから、感謝の気持ちを、
直接本人に伝えることは簡単ではない。
例えば手紙で、最近なら電子メールで連絡し気持ちを伝えすることは可能だろうが、
「恩返し」となると、単なる言葉や贈り物では、何か違うように感じていた。


そこで直接的ではなくとも、間接的に「ご縁はつながるもの」と考えてみた。
つまり目の前の出会いの「ご縁」を大切にしていれば、
それがいつか、どこかで回り回って、
自分がお世話になった方にも届くかもしれない……といった感覚だ。

たとえば、日本の街でタイから来た人々に会う。
すると、私たち家族がタイを訪れた時に支えてくれて、
さまざまな貴重な体験をさせてくれた友人や知人を思い起こす……。
自然と彼や彼女らと話し、知り合っていくことになった。
さらには、医師という私の職業がら、多少のお世話をして差し上げることもあった。
外国の方だけではない。
医学生のころの中国大陸辺境の旅では、日本の商社員の方にもお世話になった。
村にやってくる日本の若者たちには、
今度は何か、私がしてあげることもあるだろう。

どこにいても、何をしていても、「人間として人間の世話をする」
ことに取り組むと、「ご縁」は必ず円を描いてつながっている。
そう感じる。

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