痛みを伴う改革

治療」するのはだれ?


人類史上前例を見ないスピードで少子高齢化が進み、
人口の減少さえ起こるであろう今世紀の日本社会を考えた時、
一刻もはやく、持続可能な「循環」社会へとシフトする必要があると思う。

現在日本では「不況だ不況だ」といわれているが、
東京都だけでも、毎日500万食分の残飯を出しているという。
世界中から集めた大量の資源をゴミにして、
「捨て場がない」と大騒ぎしているのだ。
不況で、お金がなくて、ものを買えないのではなく、
まったくその反対である。

実際、日本の輸入総量は毎年7億トン、
一方で輸出総量が1億トンなのであるから、
この差はどこかにたまっていくのだ。
ゴミにしたなら、燃やすか捨てるかしなければならない。

国内では燃料も含め、毎年4億トン分は「燃やして」いるようだ。
しかし次の年も、また次の年も、差し引き分の2億トンはたまっていく。
狭い日本の国土は、放っておけどんどん重たくなってしまう。
国民1人あたり、大人も子どもも毎年1トン強の持ち物が増えることになる。
はじめはリッチな感じで喜べても、いずれそれはゴミになり、
かさばって重い負担になる。

この状態を示されれば、病的であることはだれもが気づく。
しかし、どこが どのように病気なのか?

「病気の原因がわかれば、実にその病気は治ったも同然である」
とは、知られた古代ギリシャの医療観なのだが……。

医者としての私は、循環が阻害された状態であるという印象から、
人体の血液循環が滞った「うっ血性・心不全」の病態に似ているように感じる。

症状から的確に「診断」し、強心剤や利尿薬を使って「治療」するのはいったいだれな
のか?
またその治療は?
根治療法として輸入総量をいずれは減らす方に向くのか?
単なる対症療法として、つらさだけを取り去って、問題は先送りするだけなのか?


小泉純一郎首相は参議院選のさなか、次のように発言をしていた。

「国民は、まだ、痛みを伴う改革の真意がわかっていない。
 どの程度の痛みかがわかるにつれて私への支持は減少し、
 今の半分程度になるかも知れない……」

「痛みを伴う」と聞くと、名医の見立てを期待する。
政治家こそ困難な状況下での名医であってほしい、そんな期待感だろうか。

しかし、火のないところに煙は立たない。
現状の「心不全」症状をもたらした責任者が、どこかに必ずいるはずだ。
つまり暴飲暴食して、塩分と糖分を過剰に摂り、体重増加とむくみを招いた責任者だ。
それは政権にあった政党とその指導で政策を実行した官僚、
そして政権に投票した国民自身だろう。


百姓は土地を守る、商人は街を守る――友人の言葉を思い出す。
地域で地道に働きながら、変革を目指す人である。
友人はこうも言った。
「変革は、よそもの、わかもの、ばかもの、が担う」

今までの主流だった人々が、改革を担うことができないであろうこともまた、
明らかだと思う。

IT化とか、情報ネットワークとかいった掛け声でない、
「地域有為」の人材の輩出を望む。
国家有為の人材、と自称してこのひどい症状を発現させた責任者には、
しばらく下野していただきたいものだ。

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