50 夏は来ぬ

「厚塗り」国土の熱中症


暑い夏が、「早く」やってきた。

プールで遊ぶ子どもたちのにぎやかな歓声が、診療所前の村立保育園から聞こえてくる。
都会では生ビールの消費量がアップしていることだろう。

それにしても、近年にない暑さだ。
日中であっても、風が吹けばまだ助かるのだが、熱風を顔に吹きつけられると、つらい。
7月がこのままカラ梅雨だと……。
8月の水不足が心配になった。

アスファルトに覆われた都市の地表面は熱を帯び、夜もなかなか冷えない。
コンクリートのビルが日中に吸収した太陽熱は、夕方に放出される。
もともとエネルギー消費量の多い大都市では、車の排ガス、
オフィスや家庭などのクーラーから吐き出される熱も加わり、
いやがうえにも気温は上昇する。
東京が「沖縄」になってしまう。
こんな「ヒートアイランド」では、熱中症の死者が続出するだろう。

「熱中症」は、単なる日射病ではない。
体温が上昇し死にいたる。
異変を発見したら、日陰に寝かせて水分と塩分を補い、
冷水と風で体温をゆっくりと平熱まで冷やしてほしい。
早期発見し医師を待つ間も、その場でできる限りの「治療」を施すのが救命につながる。
しかし本当は、ヒートアイランド化そのものを「予防」することができれば、治療に
勝るのだ。

直射日光にさらされるコンクリートの表面は日中セ氏70度にもなり、植物が育たない。
アスファルトの道路にも、コンクリート製の川の護岸にも草が生えず、管理はしやすいのだが、
植物がなければ、バクテリアから昆虫までの小さな生き物たちは隠れる場所もなく生きられない。
河川に、小さな生き物がいなくなると、それを食べていた魚が生きられなくなり、
さらに魚を食べていた鳥たちが生きづらくなって悪循環に陥り、生物がいなくなってしまう。

コンクリート三面張りの川で水量が減少すると水温が急上昇して、魚は死滅する。
川は、生き物がいることで、水中の有機物による汚れが生物の体内に取り込まれて水質
が良くなる。
このことを、「自然浄化力」と呼んできたのだが、今では、
浄化されない水が澱(よど)んで、そこここで悪臭を発している。


都市に限らず、国土のコンクリート化は何をもたらしたのだろう。
また、この暑さは、地球温暖化の影響なのだろうか。

地球が暖かくなれば、水分の蒸発量は増える。
その水分は、いずれどこかに雨となって降る。
つまり地球上の乾燥地帯はさらに乾燥しまくり、
その分どこかに大雨が降って洪水になる――
水が少なすぎても多すぎてもひどい結末になる。

21世紀を迎え、物質的な豊かさの面では驚異的に成長したにもかかわらず、
われわれの地球社会はいまだに19世紀末と同じ課題――
人々に飲み水と栄養のある食料、医療、住宅、教育を保障すること――に直面している。
しかし、19世紀との大きな違いは、問題が資源量の不足にではなく、
利用可能な資源の、「分配」の不平等にあることだ。

特に大量生産・消費・廃棄の二十世紀型経済は、有限な資源の枯渇する以前に、
地球の許容限度を超える環境汚染と循環不全を引き起こしている。
現状のようなエネルギー浪費を続けると、地球環境は長くはもたない。
破滅に向けたカウントダウンが始まっている。

プールで無心に遊ぶ子どもたちが大人になるころ、
「環境」は私たちの死活問題そのものになっているだろう。
残された時間は、それほど長くはないのだ。

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