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仏教NOW(1998)から

 

同胞の心の支えに(上)

 

 ブッダム・サラナム・ガッチャーミ、ダンマム・サラナム・ガッ

チャーミ、サンガム・サラナム・ガッチャーミ…。上座部仏教の作

法で、仏法僧に帰依するとの誓い(三宝帰依)を唱える。長野市松

代町の宮本ニットさん宅に集まった在日タイ人十二人たちを前に、

パイサーン・ヴィサーロー師(41)ら、タイから来日した僧侶三人が

読経する。

 

 日本では仏壇に向かって故人や死者へお経をあげるという形式

だ。が、パイサーン師に聞けば、読経はすべて生者に向かっておこ

ない、それは葬式でも変わりないのだという。

 

 「仏法は死者のためでなく生者のためにある。『今、ここ』が大

切なのです」

 

 その日(四月十三日)はタイ暦の正月にあたり、聖水供養ソンク

ラーンという儀式がおこなわれた。額を畳みにこすりつけるように

僧侶を拝む。儀式のあとは夜半まで、それぞれの悩みをうち明け

る。「店ではタイ人同士のけんか多くて困る」とタイレストランを

経営する女性がグチるかたわらで、現場作業員の男性は「オリン

ピック後はめっきり仕事が減った」と沈む。

 

 パイサーン師は笑みを浮かべながら、一人一人の悩みにうなず

く。「タイ人にとって心の悩みをうち解けられるのはお坊さん」と

集まったタイ人たちは口をそろえる。

 

     ◇

 

 日本訪問のプロジェクトは、外国人の「医職住」に関する権利を

守ることを目的に活動する民間NPO組織「アイザック」(佐久

地域国際連帯市民の会)の招きにより、三年前から始まった。

 

 九十年代初頭から長野冬季五輪に向けて高速交通網の工事でわき

返る景気の良さ。工事現場には外国人労働者、飯場わきのスナック

には外国人女性の姿が目立っていた。

 

 五輪を間近に控え、超過滞在で働く労働者を当局は半ば黙認した

が、国民皆保険で保護される日本人とは違い、正規に治療を受けれ

ば病気によって半年分の賃金が飛んでいくハンディを彼らは抱えて

いた(それは今も変わりない)。切迫流産、交通事故、現場での圧

死、家庭内でのトラブルなど、その苦悩は医療にとどまらなかっ

た。

 

 九三年に結成された小諸佐久HIV診療ネットワーク研究会の調

べでは、結成時から九七年八月まででHIV患者および感染者数は

八十八人。外国籍は八十四人で八十一人がタイ及びその周辺国の人

だった。アイザックの事務局長でもある色平(いろひら)医師は

「一人を除きすべてが滞在資格と保険証がなく、治療もされていな

い状態でした」という。

 

 色平医師は九六年春、タイ東北部のパースカトー寺を訪れ、僧侶の

来日を要請した。医師として医療支援はできるが、精神的な面での

支えは彼らが尊敬する僧侶に願うほかなかったからである。在日タ

イ人の多くも僧侶の訪日を渇望していた。

 

     ◇

 

 パイサーン師は「在日タイ人の現況−問題点と解決策」という報

告書をまとめた。《日本経済も落ち込み、日本人も性的娯楽に金を

消費することを手控えるようになった》という手厳しい記述から始

まる。

 

 《暴力団に追われ、ビルから飛び降り脊髄を損傷したタイ人女性

は、HIV感染が判明したため手術を拒否された。次の病院で手術

を受けたが、手遅れで、半身マヒの体になってしまった》《ビザを

所持しない外国人労働者であっても労災が適用されることを知ら

ず、雇用者の言いなりになっている》《ギャンブルや過度の飲酒な

どアパイヤームック(仏教語で「破滅への道」)に陥っているケー

スも多い》など、調査は生活の全てにわたる。

 

 当初は風俗産業従事者の支援が中心だったが、帰国者が増え、新

規入国者が減り、最近では超過滞在者にとって深刻な問題が表面化

してきた。姑や夫とのトラブル、タイ語を話せない子供とのコミュ

ニケーションである。長らく心の支えになる宗教から遠ざかってい

たからだろう。「お坊さんに会えて、身の毛がよだつほどうれし

かった」と語り、うれし涙を流す在日タイ人らもいた。

 

 来日中、山梨県甲府市内の県立中央病院に入院していたタイ人男

性(40)を、僧侶らは見舞った。昨年九月、くも膜下出血で倒れ、病

院に運ばれたが身元が不明だった。甲府では山梨外国人人権ネット

ワーク「オアシス」(田ヶ谷雅夫代表)が支援活動を展開し、信州

側と協力しつつパイサーン師らタイから僧侶を招いてブッダの聖誕

祭など仏教儀式を催してきた。

 

 日ごろ身を隠すように暮らす超過滞在の在日タイ人らも大勢集

まった。バラバラだったタイ人同士が僧侶を媒介に結びつき、ネッ

トワークができた。タイ人たちは口コミで身元不明の男性の名前や

出身地を割り出し、タイの両親に写真を送って確認までしてくれ

た。カンパを出し合い、渡航費まで工面。僧侶と共に五月初旬、男

性は郷里に帰ることができた。

 

 オアシスは、タイ人僧侶との連携で国内でもモデル的な支援活動

を展開しつつある。三年前から事務局を置く甲府市内の民家に滞在

し、パイサーン師らは毎年定期的に訪れている。

 

 報告書の最後で、こう記す。《苦悩を慢性的に抱え、それを薬に

おぼれてまぎらわせているといった者も少なくない。僧侶こそが、

互いにバラバラの状態にあるタイ人たちを心一つにまとめ、お互い

に協力し合う関係へと導いていく最適役であると思う》と。

 

写真説明

聖水供養をするパイサーン師。タイ人たちは夜半まで、

僧侶に悩みをうち明けていた

 

 

 

同胞の心の支えに(下)

 

 三年前、在日タイ人たちの暮らしぶりを調べたタイ人僧侶

パイサーン・ヴィサーロー師(41)は、報告書の中で次のよ

うに指摘する。《大部分の者が超過滞在で、アンダーグラウンドと

でも呼べるような生活を余儀なくされている。日本語も十分にでき

ない。社会の表には出ず、タイ人だけの閉鎖社会ができあがる。そ

こから退廃的な生活に染まってしまいがちだ。滞在が法的に認めら

れれば、堂々と社会に出てくることができる》

 

 「家族と離れ、精神的に苦しむタイ人同士が、お互いに助け合え

るコミュニティーづくりが必要だ」と考えたパイサーン師は、以来

毎年訪日、同胞たちの相談相手となってきた。「僧侶が来てくれる

だけでもうれしい。バラバラのタイ人同士を結びつけ、心を一つに

してくれる」と同胞の一人は言う。

 

 一日約三十キロ、頭陀(ずだ)修行と称する行脚をしながらタイ

人家庭を訪問した。不況のため働く場を失い、ばくちに走り、夫婦

のいさかいが絶えない家。夫が事故で他界し、母と子だけの家。入

院中の同胞を見舞い、時には葬儀も執り行う。黄衣をまとった僧侶

の姿を見るだけで、在日タイ人たちの心がなごんだ。

 

     ◇

 

 約二十年前、パイサーン師はタマサート大学で歴史を学んでい

た。非暴力運動に心ひかれ、NGO活動にも加わった。そのころ、

仏教精神をもとに民主化をめざす進歩派知識人スラック・シワラッ

ク氏やベトナムの禅僧ティック・ニャット・ハン師らの影響を受

け、出家を決意したという。

 

 彼らは、斬新な戒律の解釈をした。不殺生は単に生物を殺すにと

どまらず、非武装をも含む。不偸盗(ちゅうとう)は搾取的経済構

造の解体にも敷衍(ふえん)される。不邪淫(じゃいん)は女性を

性的道具とするセックス産業に反対することに通じる。瞑想も社会

逃避ではなく、社会変革のための準備である、と。

 

 パイサーン師はタイ東北部の貧しい農村に入り、破壊される森の

木に黄衣を巻きつけて得度式をさせ、村人たちと植林をしてコミュ

ニティー・フォレストの運動を指導。政府主導によるユーカリなど

の安易な経済林の植林プロジェクトで伐採されそになった村の森を

守ってきた。「仏法(タンマ)にそった社会の改善を常に心がけて

きた。非暴力活動、森林保護、瞑想指導など、すべての活動は仏法

につながっている」

 

 インドから東南アジアに伝播した上座部仏教は、自分自身の救わ

れをめざす仏教(小乗仏教)だといわれる。一方、日本はいわゆる

大乗仏教国とされ、他の救いに重点をおくのが特徴だとされる。し

かし現実を見てみれば、小乗と大乗がどうやら逆転現象を起こしつ

つあるような気配を私は感じる。パイサーン師は言う。「ブッダ

は、自他両方の救いを強調している。ですから私は小乗、大乗とい

う区別をしていません」

 

     ◇

 

 訪日三年目。日本の仏教の印象は?

 

 「伝統仏教は葬式や死後の儀式に偏っている。仏教は本来、現実

生活をどうするかに主眼をおく。在家仏教教団は現実の救いに焦点

を当ててはいるが、本質に手が届いていない。モノや心という表層

的な悩みではなく、もっと奥底にある霊的な部分へのアプローチが

足りない」

 

 霊的な部分、とは?

 

 「自分にも他人にも執着しない心の解放の状態。日常の中にいな

がら、日常の流れに巻き込まれない意識を保つことだ。日本の禅仏

教に霊性を高める修行法があり、それに似ている。茶道も華道も霊

性を発達させる意味があったが、今は形だけになっているように感

じる」

 

 霊性を高めることと社会変革はどう関係するのか?

 

 「霊性を高め利己心を抑えると他者の救済、社会の改善に目が向

く。その場合、底辺で苦しみ、虐げられている人々を含め、社会を

全体として見る視点が必要だ。みんなに行き届く利益をめざさなけ

ればいけない」

 

 在日タイ人たちの変化は?

 

 「暴力、搾取という劣悪な状態からは遠のきつつある。嫁姑など

家庭問題が多くなった。日本経済も冷え込み、一番先に解雇などの

不利益をこうむるのは彼らだ。節約を心がけ、浪費しないよう戒め

ている。奥さんグループを組織し、相互にカウンセリングし合う集

いも試みたら、共通の悩みが出てきて、少しは心がいやされたよう

だ。信州には在日タイ人も多く、問題もたくさんある。山も多く空

気もきれいだ。継続的に瞑想を指導し、同胞たちが集まり、自分を

内省し、またお互いに助け合う場とシステムをつくりたい」

 

 個人の心の平安ばかりを追求するあまり、社会から身を引き、俗

世間と関わらないことが仏教僧のあるべき姿だという考えが上座部

仏教圏でも強まった。しかし開発僧などの改革派僧侶たちは、ブッ

ダが説いた縁起(えんぎ)の教えを《関係性》ととらえ、人間と環

境、社会問題にもあてはめ、実践活動を続けている。

 

 「苦しんでいる人がいれば、ともに苦しみ、その原因をともに考

えなければならない。それがブッダの教えに基づく実践」とパイ

サーン師は強調する。在日外国人を医療面から支援する南相木診療

所の色平(いろひら)哲郎所長は、パイサーン師らタイの僧侶を招

いた一人。

 

「黄衣に身を包んだ托鉢僧が歩く姿は日本中世の風景だ。しかし日

本仏教が生きている人々の世話をしないようになって久しいという

事実を浮き彫りにする。彼らは鏡となって日本仏教にインパクトを

与えてくれると思う」という。

 

筆者《ジャーナリスト須田治》 

 

写真説明

「苦しむ人がいればともに苦しむ。それがブッダの教えに基づく実

践」と語るパイサーン師

 

 

 

 

 

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