ベニスの商人

富の再生産 利子と世襲


私の村には、毎年多数の医学生が実習においでになる。
その中には、在日韓国・朝鮮人の医学生が含まれている。
その一人の言葉を、時に思い出す。

「在日韓国人は仕事が限られる。
医学部に入れば、それ以外の職業につくことができるんですよ……」

彼の話によれば、「限られた仕事」のひとつが「金貸し」と呼ばれる、
市中金融の取り立て業だ。

21世紀の日本社会に、いまだ残る民族差別の一端に胸が痛む。


高利貸しの取り立てといえば、先日、中野好夫訳で「ヴェニスの商人」を読み返した。
舞台は400年前のイタリア・ベネチアの街。
圧倒的な存在感を伴う人物・ユダヤ人のシャイロックを軸に物語が展開する、
有名なあの作品だ。

しかし、かつて中学生のころ読んで感じ違和感を、またも感じた。
シャイロックは「人肉裁判」で、契約履行を主張した。
契約を履行すれば、殺人につながる。
こんな契約はおかしなものだから、当然無効だろう。
法廷も契約の無効を宣言する。
しかし、物語ではさらに、シャイロックに対し、キリスト教への改宗まで命令する。
異教徒ユダヤ人はなぜこんなに嫌がられ、けなされるのか?
そうは感じなかったろうか?

今回、中野氏の解説を読んで、疑問が解ける部分があった。
「ユダヤ人は伝統的に金貸し業者であった。
その意味で、ユダヤ人問題と切り離せぬものに、
金利に対する民衆の感情というものがある。
中世の教会は金利を罪悪として禁じていた……」

キリスト教ではもともと、利息を取ることは悪徳だった。
イスラム教では、現在も罪である。
ところが、16世紀というのはヨーロッパ各国で資本主義の
台頭が始まった変動期であり、資金の活発な動きは、
もはや「金利」即「罪悪」という旧来の道徳を許さなくなっていた。

しかし、そうした社会の客観的変化にもかかわらず、
一般民衆の頭にはいまだに牢固(ろうこ)とした、中世的な金利観が根を張っていた。
つまり、中世的な制約は撤廃されたが、完備した銀行制度はいまだ確立しておらず、
法の不備を狙った悪辣(あくらつ)な高利貸しに、当時の民衆はひどい目にあっていた
のだ。

彼らはシェークスピア劇の観客として、
金貸しユダヤ人の痛烈な敗北に溜飲を下げたわけだ。


例えば一粒のもみは、その秋には2500粒の米となって収穫される。
生物の再生産力は、驚くべき大きさである。
しかしそんなコメですら、一度貯蔵されれば、時間とともに古米となり、
その価値を減じていく。
一方でお金は、貯(た)め込んでも価値が減らず、
逆に利子で大きくなっていく。
いったん溜め込めばどんどん成長し続けるとするなら、
いったん金持ちになった一族は、永久に金持ちであり続けることができようか。


明治維新や敗戦によって、それまでの社会秩序に大きな変動を生じ、
過去のいきさつとは無関係に、各界の才能が発掘され、広く活躍し得る時代があった。

そんな話と異なり、明らかに逆行さえする「二世議員」や「世襲制度」
の昨今の実態を見聞きするたびに、
この「勝手に育つ利子」と関連づけて考えてしまうのは、私だけなのだろうか。

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