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         植民地

 

                元衛生兵が語る日米関係

 

 

往診のたびに彼はこう言った。

「先生、知ってるか? 日本はアメリカの保護国なんだ」と。

最終的に、胃がんの病名で私が、”最期の診断書”を書いた方だ。

明治末年の生まれ。

「診断書」での彼の年齢は91歳だった。

 

 

二十歳の時、「現役」兵として、

兵役についたのは朝鮮半島の北部、羅南(らなん)だったという。

5ヶ月間、軍医から、衛生兵としての訓練を受けた。

その後は、朝鮮の北部国境で国境警備の任務にあたった。

「現役」召集を終え、ふるさとに帰った彼は、

昭和農村恐慌下の村で、しばらく働いた。

 

二度目の召集からは、足掛けで14年間を外地で暮らした。

 

最初は朝鮮半島だった。

豆満江(とまんこう)の向こう岸が、中国から満州国になっていた。

次は、南京近郊の街でしばらく、中国の一般民衆を相手に医療を施した。

「宣撫(せんぶ)工作」だった。

マラリアが流行していたが、

特効薬のキニーネは日本人用の特別の薬とされたため、

民衆には処方してやれなかった。

このことが彼の心に悔いとして残った。

 

その後、フィリピンのマニラに転戦した。

フィリピン人の抗日意識は相当高い、と感じた。

さらに、赤道直下、インドネシアのハルマヘラ島に移動し、

敗戦までを過ごした。

現地の人々からは歓迎され、食料も十分だったが、

煮炊きをして煙を出すと、ものすごい銃爆撃を受けた。

食料品に囲まれながら飢えていたという。

部隊200人中、60人が生き残った。

 

 

彼の観察によると、「保護国」と「植民地」は違う、という。

 

なぜフィリピン人が日本に抵抗したのか

――それはフィリピンがアメリカの保護国であり、

しかも独立を目前としていたため、

自分の国が軍事占領されたと感じて、日本軍に抵抗したのだ。

 

インドネシアではなぜ日本軍は歓迎されたのか

――それはインドネシアがオランダの植民地であったからだ。

 

彼によると、その国の役人や軍人、

警察官がその国の人間であれば、保護国である。

別の国から来ているようなら植民地であり、

「だから日本軍は解放軍として歓迎された」という。

 

ここまで話すと、彼はいつも、

「先生、知ってるか? 日本はアメリカの保護国なんだ」

と繰り返した。

 

日本は首相以下、自衛隊員も日本人だが、

政策は米国寄りであり、彼の定義では、

植民地でこそないが保護国となろう。

 

 

往診時に、彼はこうも言った。

 

子どものころ、日本と朝鮮は合意で国を合わせた、と習った。

ずっとそれを信じきっていた。

 

ところが最近の新聞で、とんでもないことに挺身(ていしん)隊問題が出てきた。

さらに、韓国人が”日本の植民地支配が……”とか何とか、

わけのわからないことを言っている。

自分には理解できないことだった。

 

ところが、自分なりの「保護国」「植民地」の定義にそって考え直してみた。

すると、なんと、20歳の自分が朝鮮に兵役で行った、というその事実が、

朝鮮が当時、植民地であったことの動かぬ証拠になってしまったんだよ……

 

 

忘れられない人である。

 

 

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