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        エネルギー革命 

 

                  失われた日本人の「原風景」

 

四十年ほど前、「エネルギー革命」がやってきた。

ちょうど高度経済成長が始まる時期だ。

石油や電気、ガスが暮らしの中に根付き始めた。

車に乗り、バスが通い、家々に電化製品が普及し、

ガスで煮炊きする生活が浸透する一方で、

かまどや薪や炭は時代の片隅に追いやられていった。

古来変わることのなかった日本人の生活スタイルが、

このエネルギー革命一つで大転換した。

 

 

エネルギー革命は、山も変えた。

薪や炭の需要が激減して、ドングリの森が、

植林された”経済林”としてのカラマツ林になった。

カラマツには虫がつかず、虫を追う鳥がいない。

小鳥を追う小動物もいない。

「沈黙の森」になり、生態系も変化した。

 

人の手の入らなくなった「さびしい森」を越えて

シカやイノシシが里へ出てくるようになった。

食料のないカラマツ林を抜けて里に出て

「害獣」と呼ばれるようになった。

 

 

山を生きる場所と考えなくなった村の若者は都会へ出て行き、

代々伝えられてきた知恵と技を受け継ぐ者はいなくなった。

里山や入会地を保有保全することの価値が薄れ、

山や樹木は、宅地化など大規模な開発の流れに押し切られていくしかなかった。

落葉広葉樹から「ひこばえ」が出るぎりぎりの時間は四十年と言われる。

いま、エネルギー革命から四十年だ。

 

「コナラはミズナラに比べて水気が少ないから、いい炭になった」 

と言う村の古老に、

「いま切ったら、ひこばえは出るかな?」と聞いた。

 

「どうかな……」

「最近、手は入れてない?」

「炭を焼く人もいないね……」

 

「木を切って山を残す」という知恵も技も、

コナラやミズナラと一緒に、歴史の中で消えかかっている。

「環境保護」を唱える現代人に「切って残す」という考え方があるだろうか。

  

尊敬する記録映像作家の姫田忠義氏が高知県の山村・

椿山(つばやま)で三十年前に行われていた焼き畑と、

現在の椿山の様子を撮った映像が、昨年、テレビで放映された。

小さな山村が生きるための道だった焼き畑も、すでに途絶えて久しく、

いまでは植林されたスギの経済林に変わっていた。

村人も十数人しかいない。

町に嫁いでいった女性が、

一人山に残った母親のもとへ孫を連れてお盆に戻ってきていた。

父や母が登って焼き畑をした山を見つめ、涙した。

その涙は、日本人に共通の「原風景」と「文化」をかすませる。

人が里山を育てながら、実は、人は里山に育てられていた。

 

 

手入れの行き届いた黒々とした畑が、僕の家の前に広がる。

その向うに、猫の額分だけだが、

「ものぐさ」がいることがわかる緑色の一角が見える。

きょう診療所で点滴を打った近所の地主さんが貸してくれた、

わが家の畑だ。

 

畑自慢するなら、

野菜と雑草の同居する「ものぐさ」な畑からも、

ジャガイモだってパクチ(タイの香草)だって、できる。

それだけでも僕たち家族にとってはうれしいのに、

このパクチを村に嫁いでいるタイ人の女性に届けると、

まるでエビで鯛(たい)を釣るみたいに(?)、

おいしいタイのスープに姿を変えて戻ってくる。

 

だから僕は、子どもが間違ってパクチをスッと抜かないように、

目を光らせる。

 

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