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          村人の目の光

 

                   里山整備 知恵を受け継ぐ

 

 

この数年、村のおじいさん、おばあさんたちに接していて驚いたのは、

診療や往診のときに見せてくれる目と、

彼らのフィールドである田んぼや畑で出会ったときの目が違うことだ。

 

“仕事場”での彼らの目は、常に光っている。

いや、光らせている。

その光る目の先は……雑草だ。

 

 

田んぼでも畑でも、雑草を見つけると、スッと抜く。

かいがいしく世話をする。

それは、雑草が種を飛ばし、

自分の土地だけでなく、隣の田や畑に広がることを恐れるからだ。

「ものぐさ」は、農業を破壊し、

村の団結を壊すものとして後ろ指を指される。

共同体の不文律が、そこにある。

 

同じように、山にもこまめに手を入れる。

下枝を落とす、不要な枯れ葉は取り除く。

そうしなければ、村人が「生きていける」山ではなくなってしまうからだ。

 

 

森には二種類あることを、いつしか学んでいた。

一つは奥山と呼ばれる、人の手の入っていない大径木の森である。

もう一つは里山と呼ばれる、

人が切ったりして、その後、自然に生えてきた二次林だ。

 

里山とは、日の当たるところでしか育たない、

比較的成長の速いコナラ、ミズナラ、クヌギ、そしてアカマツ、クロマツなどのマツ類

など、

人が生活の糧をいただく「陽樹」の森のことである。

陽樹、すなわち落葉広葉樹だからこそ切り株から「ひこばえ」が生える。

それは、二十年もすれば成長した木として

貴重な薪炭の貯蔵庫となるのだ。

煮炊きの燃料を求めて、山の奥へ奥へと薪を取りに出かける必要もなくて済んだ。

アニメーション作家・宮崎駿が描くような、

子どもたちが駆け回るドングリのある森、あの世界だ。

 

 

里山は、人と動物の交流の場でもあった。

鳥やケモノは、通常は人の住むこちら側には出てこない。

人間も、里山の奥の深い森には入っていかない。

奥の山は、木地師、マタギ、たたら師といった「山のプロたち」のフィールドで、

素人の立ち入れる場所ではなかった。

 

村人たちは、この里山で木を切り、炭を焼き、シイタケを育て、

ワラビやフキを集め、下草やシバを刈った。

切った木で家を建て、余分な枝木は自家用の燃料としてボヤ炭、

バラ炭に加工して冬に備え、その灰は肥料として畑に入れた。

落ち葉や枯れ枝は拾い集めた。

林床を貧栄養にすることで、

マツタケが出てくることが期待できたからだ。

ヤブのない林床にしておくことで、積もった雪の上にケモノの足跡を残し、

獲物を捕獲することもできた。

 

山の恵みをいただき、馬の飼い葉まで得るというように、

里山での営みすべてが、生活と直結していたのだ。

 

 

こうした里山を維持するために、村人は熱心に山に手を入れた。

放置しておけば、森はすぐにでも、植物として自らの進むべき道を歩み始め、

陽樹から陰樹の原生林、極相林(きょくそうりん)へと姿を変えてしまうからだ。

そうなっては、村人は生きていけない。

人の手が入ることで、里山は里山であり続けていた。

 

そして、このトータルリサイクル・ゼロエミッションによってこそ村が生き続けること

ができることを、

山に生かされた時代の人々は知恵として受け継いでいた。

生きるため、村人は、田畑や山に常に目を光らせていたのだ。

 

 

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